担任雑記No,31 「ヨーロッパ旅行記18」 ドイツの交通事情に慣れ、一般道も彼らのペースに合わせて走れるようになった。今日はヒルシュホーンから、学生の街22万リットルのワイン樽で有名なハイデルベルグを通過、北に進路を変えて遥か300km先のケルンへ向かう。もちろん、「アウトバーン」を通ってだ。制限速度なし、使用料金なし、夢の高速道路、「アウトバーン」である。自動車を愛し、走ることが好きな人なら誰しも一度は走って見たい道、それがドイツの誇る「アウトバーン」である。
既に述べたとおり、一般道でさえ80km/hが普通。相当、ハイスピードを覚悟しなければならない。少々緊張した面持ちで道路標識の指示にしたがってアウトバーンに入った。
日本の高速道路ならば、高速道路にアクセスする道路はちょっと広くて小ぎれい、そこを通ると料金所があって通行券を受け取るという手順がある。これは「今から高速道路にはいるんだぞ」という心構えと気持ちの引き締め、緊張感のほぐしに大いに役に立っていることが帰国後日本の高速道路を利用して気づいた点である。
アウトバーンは唐突に始まる。道路標識のとおり行くと、いきなり目の前に片側3〜4車線の広い道が現れ、目の前をビュンビュン自動車が飛び去っている光景がある。合流車線で停車する訳に行かないので、流れに乗ろうと加速するが、足が緊張してアクセルをうまく踏み込めないのだ。トロトロと走っていると後ろからパッシング。気が付くとその車が隣にぴったりと並び、スイーッと抜き去って行く。速度計を見ると70km/hのつもりでいたのがなんと100km/hを指している。何しろこちらの自動車の速度計は220km/h間で刻まれている。日本車の感覚で運転していると体で感じている速度と本当の速度とのギャップで仰天することがあるのだ。しかも、私を追い抜く自動車はバックミラーに映ったかなと思うと次の瞬間ブレーキランプを眺めているペースだから、なおさらその感覚が増幅して見えるのである。
片側3車線の内、進行方向に向かって一番左手(内側)が最も速く走りたい自動車、一番右手(外側)はトラックとかキャンピングカーなど重い自動車というルールが整然と実行されている。私達のプリメーラは一番右手車線を走るしかなかった。だが、ここを走っていれば安心であることがだんだん分かって来た。
アウトバーンは思想から違う。人それぞれ顔も形も職業も生活リズムも違っているのと同じでそれぞれの車のペースがある。だから、速く走りたい人、中くらいの人、遅く走る人(速く走れない人)にそれぞれに合わせた走行車線を設定しているのである。だから、自分のペースにしたがって正しい車線を走行していれば、安全だし安心なのである。プラス思考の安全思想である。だから、アウトバーンはすごい。ポルシェ、BMW、メルツェデスなど、速そうな車はオーバー200km/hでバヒューンと抜き去って行く。たまげたのは、VWゴルフという大衆車がポルシェを抜き去って行くのがちょくちょくあったこと。普通車は真ん中の車線を140km/h。外側車線でさえ、80km/h以下で走ってはいけないとなっていたことだ。これは意外と走りやすい。慣れて来たわたしは序々に運転のカンをつかんで、うまく流れに乗れるようになった。ハイデルベルグから150km程走った時点でわたしの車の速度計は160km/h巡航、ケルンから残り後100km時点で170km/hにまで達した。そんな速度でさえ、全く不安はなかったし、車は安定していたし、トラックやおかしなスポーツカーが無茶な運転していることも皆無だった。道路は完全に整備されているので、ハンドルを捕られるようなわだちや段差はほとんど無い。ドイツの道に「渋滞」などという言葉は存在しない。どんなに大きな都会に入っても、ペースを崩さずスムースに運転できるのだ。まさに「快適」の一言につきる。途中給油するために一般道に降りたりして休息した時間を含め、300kmオーバーの道程を3時間かからずに走破した。
ドイツでは交通事故がここ十数年激減しているそうだ。私の体験からそれはよく頷ける。まず、第1に道路の整備が完璧。第2に、プラス思考の交通安全対策の整備。第3に、自動車の基本性能の高さ。第4に、ドライバーの運転マナーのよさ。すばらしさ。ドイツに日本が見習うべき所は山ほどある。アウトバーンを走るだけでこれだけいろいろ学んだ。ドイツは素晴らしい。
ここで、日本の道路事情を振り返ってみよう。日本の高速道路の場合、一応「追い越し車線」と「走行車線」の区別がある。この考え方は、走行車線をはみ出る場合はよっぽどの時である、危ないからむやみに追い越さないこと、という日本流のマイナス思考の安全思想が浮き彫りにされる。だが、それを律義に守って走行車線で走っていると、後ろから大型トラックが迫って来てパッシング、邪魔物扱いしてぎりぎりに抜き去って行く。こんな馬鹿らしく、むしろ危険なことはない。日本の高速道路は走ってみるとほとんど無法地帯となっている。だから、警察では「禁止事項」を増やし、躍起になって取り締まる。だが、現実の事故の発生は、増加の一途だ。私が一番改革を望みたいのは、「〇〇はやってはいけません」「〇〇禁止」という、禁止だらけマイナス思考の交通ルールと法規。また、「遅いのは邪魔だ、邪魔物ははじへ行け」とばかり、坂道にある「登坂車線」。考え方を変えて、「速く行きたい人はどうぞ」と、「追い越し登坂車線」に改造すべきだ。「禁止大好き日本人」の滑稽な姿を客観的に見るべきだし、自分の身の回りにある「禁止・禁止」の窮屈さによってどれだけ個人の能力開花の場面を剥奪しているか気づくべきだ。学校教育の現場から変えて行かなければ、日本人は自分で自分の首を絞めることになる。
そして、何と言っても高速道路利用料金の馬鹿高さ。建設省はいつかは無料化すると言っているようだが、何かと理由をつけて値段を吊り上げている。短命に終わった羽田首相時代、公共料金の値上げ凍結政策は歴史の教科書に載せるべき事実と喜んだものだが、夢で終わってしまったのは何とも悔しくも儚い。
もうひとつ、大改革を望みたいのは、日本のガソリンスタンドである。まず、ヨーロッパやアメリカはどうか。ガソリンスタンドに威勢のよいにいちゃんや茶髪のネエちゃんは見当たらない。スタンドに入っても、だれも出て来ない。ガソリンは自分で入れる。支払いは雑貨屋も兼ねている休憩所のレジで払う。ガソリンはドイツでは60リットル満タン73,51DM.(約5439円)。1リットル約90円だ。内陸部での値段だ。窓を拭きたければ自分で拭く。エンジンを見たけりゃ自分で見る。それで十分なのに、日本のガソリンスタンドはどうだ。
「いらっしゃいませー」と、威勢よくユニフォームを来たバイトが飛び出し、
「オーライ、オーライ、オッケーッ」車を誘導する。窓を開けると、
「いらっしゃいませ、お疲れ様でした。いかが致しましょうか」と、愛想よくたずねる。用件を述べるとおうむ返しで
「現金、レギュラー満タンです、了解」と叫ぶ。ノズルを差し込み、
「窓をお拭き致しますが、スプレーをかけてもよろしいでしょうか」と、どうでもいいことを耳元でささやく。一通り拭くが、拭き残しがあって、余計汚い。煥発入れず
「車内のお煙草、ごみのほうはよろしいでしょうか」と覗きこむ。断ると、
「エンジンルームの点検を致しますが、ボンネット開けてもよろしいですか」と下手に出る。態度がいやらしいので、つっけんどんに断ると、めげずに
「今水抜き材をお安く致しておりますが」としつこい。またまた断ると、
「洗車いかがですか」とあたかも気が利いた言葉の様だが、それだけ自分の車の汚れを露呈させられたような気分になって、剥きになって断る。すると、
「ただ今、現金カード会員の募集を行っておりまして、入会金がタダになっております。ここにお名前とご住所をお書きになってくだされば、今からガソリンがお安くなります。いかがですか」と駄目押し。面倒臭くなってついついサインしてしまうが、その手に引っ掛かって6枚ももっている事を思い出す。
「お待たせ致しました、レギュラー満タン、消費税込みで5684円です。ハイ、6004円のお預かり。しばらくお待ちください」と、また待たせる。
「お待たせ致しました。320円のお返し。ありがとうございました。」やっとこれで終わり、バイバイかと思ったら、
「どちらへ行かれますか」“どっちだっていいだろ”と思いつつ進行方向を指すと、
「ではこちらからお回りください、ありがとうございました」と誘導、出口で交通整理をする。そして、勇気あるお兄さんだと道のド真ん中まで出て、疾走する車を勇敢にも素手で制止させ、無事客の自動車を道路に出すと、道のど真ん中でさらに大きな声で
「ありがとうございましたぁぁっ」と手を振り脱帽する。 この「サービス」を当然だと思っているあなた、どれだけ人件費でガソリン代を節約できるか考えたことがありますか。何を言う、これぞ人と人との心の通ったコミュニケーションの心地よさだと主張する向きもあろうが、笑わせるなである。
一種、トルコのエフェソスで見た土産物売りの客引きを連想させる。ガソリンにかこつけて、いろいろと遠回しに売り付けているのだ。客に媚びて、何がコミュニケーションであろうか。ジュースは自動販売機で売っているのに、ガソリン売るにはわざわざ人を使う。どこか日本のアンバランスを感じずにはいられないのだ。店の人と「今日はお寒いですねぇ」「エエ、もう、雪が降りますよ」とか何とか、自然と会話が始まるのがコミュニケーションではないだろうか。ヨーロッパ各地でそういう光景に触れ、かつての日本も、町の雑貨屋産ではこんな光景がよく見られたのに、絶滅してしまったのかなと、哀愁にも似た気持ちになることがあった。
アウトバーンからとんでもない方向に話がそれたが、我々は無事、ケルンにたどり着き、プリメーラと哀愁のお別れをした。レンタカー会社社員のブロンドネーちゃんに3日間だけの愛車のキーを渡すとき、私の心のなかに「星影のワルツ」が流れていたことはだれも知らない。
この後、ケルンで宿泊、次の日はベルギーを通過し、フランスに入る。人味違ったフランスを経験したが、それはまた別の話。