担任雑記No,33 「ヨーロッパ旅行記19」 日本では猛暑が続き、史上最大の水不足が深刻になりつつあるとんでもない真夏のころ、私達はベルギーの首都、ブリュッセルにいた。ケルンから国際列車“EC”に乗り3時間ほどの所である。ヨーロッパは国際列車がとても発達しているので、時間と旅を楽しむ余裕さえもっていれば、とても安価で簡単に隣の国へ移動することができる。しかも私達はヨーロッパを貧乏に旅行する人なら誰でも持っている「ユーレイル・パス」を購入しておいたので、決められた期間ならヨーロッパのどの列車も乗り放題であった。加えてヨーロッパの列車事情は大変に快適である。どんな観光シーズンであっても、日本のあの地獄絵図を思わせる鮨詰め状態になることは絶対にない。そして、今は少なくなったが、客室が6人一部屋の個室の形態をしている列車があるので、実に優雅である。ヨーロッパを旅するなら、ぜひ、列車の旅をお勧めしたいものだ。
ところで、我々はベルギーはフランス・パリへ向かうためのただの通過点に過ぎなかった。だから特に観光は考えていなかったが、せっかく“EC本部のある国”、ブリュッセルへ来たのだから、話の種にあの有名な「小便小僧」の像を一目見て行こうと、ブリュッセル駅を降りた。
「小便小僧」がなぜ有名なのであろうか。考えられることの一つに、大人の男性や女性をモデルにした記念碑的彫刻が多い中、「小僧」(この彫刻は『幼児』である)を題材にしている珍しさに加え、「小便」している場面を堂々とまじめに取り上げているという事がこの像を有名足らしめる要因であろう。日本でそんな彫刻を作ったら、「風紀を乱す猥褻物陳列だ」と即刻撤去である。しかし、小便するポーズには特別な意味がある。それは日本人にはなじみの薄い「愛国的精神」の象徴であり、彼は国民的英雄なのだ。昔々、この国が外国の侵略に遭ったころ、ブリュッセルも陥落寸前であった。あるとき大規模な爆弾がこの町に仕掛けられ、絶対絶命のピンチであった。そのとき、たまたまそこにいた時の王様の年端も行かないご子息が、その爆弾の導火線を見つけてしまった。ピンチであることは幼心にも分かっていたかどうか、とにかく大人に知らせなければならない。ところが、大人はだれも気づかない。すると、何故か知らねどご子息は急に尿意を催したのである。そして何とすばらしい決断力であろうか、その導火線目がけて発射されたのであった。見事的中、街は壊滅的な打撃から救われたのである。
失笑を禁じ得ないエピソードだが、街を救ったのにはかわりない。この小さな英雄を永遠に語り継ごうと、ご存じのとおりの記念碑を建て、世界的な名所になったのだ。
ところが、そんな世界的名所は“エッこんなところにあるの?”と思わずつぶやいてしまう場所にあり、人によっては期待外れでガッカリするらしい。私達が訪れたときは狭い路地に観光客の人だかりで背伸びしなければ見れない程だった。でも、観光シーズンが過ぎ、人が少なく街が静かになったとき彼に出会ったら、ここはちょっとしたおしゃれな空間としてとても気持ちのよい街角ではないかと思うのである。世界的名所といえど、さりげなく街に溶け込んでいるところが私は好きである。
さて、ブリュッセルはあいにくの雨だった。だから、傘を用意し街にでた。雨は小康状態。雨に濡れる石畳のブリュッセルの街はどこかロマンチックである。妻はカーディガンを羽織っていたが、私は短パンにサンダル、Tシャツいっちょ、猛暑盛夏のいで立ちである。暦的には私は間違ってはいない。だが、周囲から完全に浮きまくっている。何故か。街行く人々はセーターにレインコート、中にはマフラーまで巻き付けている人がいたりして、これではまるで秋のいで立ちだ。とたんに寒くなり体に震えが走った。ブリュッセルは寒いのである。今回の旅の中で一番北、北海道よりも北にいることになる。日本は猛暑で苦しんでいることも知らずに、私はブルブル震えていた。
妻も私も骨の髄から冷えてしまい、食事をとって体の中から暖めようということにした。ちょっとしたレストランがあったので、勇気を出して中に入った。地元密着型の大衆レストランという雰囲気がプンプン、おじさんたちがおいしそうにベルギービールを呑み、くつろいだ感じ。最初戸惑ったが、そんなこと言ってられないほど体は冷えきっていた。隣で老夫婦がうまそうに食べている料理が気になってしょうがない。うまそうな香りと、うまそうな湯気、うまそうなフライドポテトにうまそうなベルギービール。妻と私はお品がきを見るまでもなく、それを頼んでいた。
これはブリュッセル名物の「ムール貝の白ワイン蒸し」“Moules au Vin Blanc”。ナベの中に山盛りのムール貝と臭み消しにセロリを入れ、白ワインとバター、塩少々などで味付けして蓋をして蒸すだけ。これがうまいの何のって、おそらく今朝捕れたての新鮮な貝を出しているのだろう。身が大きくてプリプリである。一気に武者ぶりついて、貝殻まで食べ尽くす勢いだった。貝の数を数えたら一つのナベに45個。日本でならば何とも贅沢な食事だが、これはベルギーの定食“Menu”(「ムニュ」と読む)なのだ。今までの体の震えはすっ飛んで行ってしまって、幸せの極致。スイスの山のレストランで食べた料理に次ぐ、うまい料理であった。ベルギーの思いでといえば「ムール貝」と言えるほど、インパクトが強く、今でも池田家の語り草である。
この後、国際列車でフランスは花の都パリへ向かう。ここから約3時間の距離である。パリは1泊するだけだ。特にどこを見るという訳でもなく、街をぶらぶらした。パリもまたそれほど暑くはなかった。どこか、秋の気配が漂うパリを見た気がする。6年前の冬に来たときとそれほど違わなかった。この街は既に完成されている街なのである。
翌日、フランス超特急“TGV”(テー・ジェー・ヴェー)に乗り、ノルマンディー地方にある「モン・サン・ミッシェル」へ向かう。そこは、“最果ての地”だった。