担任雑記No,35 「クリスマスの夜に」

 ♪雨は夜更けすぎに 雪へと変わるだろう 

Silent Night Hoiiy Night 〜♪

 今や日本のクリスマスソングのスタンダードとなって不動の地位を築いた観のある山下達郎“クリスマス・イブ”。この曲がラジオで、デパートで、レストランで、B.G.Mとして流れ出すと、日本中が赤と緑のクリスマスカラーに染まる。今年もまた、日本国民はクリスマスの本当の意味も分からず、「メリークリスマス」とつぶやいていた。

 さて、そうは言ってもなんとなく優しい気持ちにさせてしまうこの時期に、私はなんとなく考えさせられた光景を目にした。それは目を逸らし、記憶の外に弾き飛ばしてしまえばいいような些細なことであったが、その光景を目の当たりにした数秒間をなぜか忘れることができないのだ。それは、12月24日の午後6時半頃の事であった。

 その日私はちょっとした用事で妻と一緒に佐久の実家へ日帰りのドライブをしていた。18号線を長野方面に向かって走っていて、天気が大荒れになるということで少し速めに動いたのが功を奏したのか、道路はほとんど混雑もなく、スムーズであった。もう少しでアパートに着くという安心感とクリスマス色に彩られた街の空気を妻と一緒に堪能していた。歩道ではクリスマスプレゼントを買ってもらったばかりなのか、優しい笑顔に包まれた親子連れや、初々しくも手を握り、恥ずかしそうに伏せ目がちに歩く高校生カップルなどが歩いていた。何とも、ほほえましく、昔は俺もこうだったのかななどと感慨に耽っていたりした。

 屋代に差しかかり屋代駅前の交差点の信号で一時停車しているときのことであった。どこからともなく甲高い乾いた轟音が町中を揺るがしている。何事かと音のする方向に視線が行く。すると、交差点の左手から二人乗りをしたバイクが激しく空吹かしをして、ゆっくりとこちらの方向に向かってくるではないか。しかも、二人ともノーヘル、後ろに乗っている男は片手に鉄パイプを握り、振り上げて見せている。まるで、周りのもの全てに威嚇しているかのようである。所謂「ヤンキー」である。

 私はしばらく彼らを見つめていた。そして、妻がCDプレーヤーの操作をしている手を一瞬とめ、シートに座り直したとき、私のしている行動に「しまった」と舌打ちしてしまった。そして、視線の彼らから素早く離し、何事もなかったかのような素振りを作ったのである。何故か。一瞬、彼らと視線が合い、彼らが私の車のほうに向かって来たような錯覚がした。しかも、相手は鉄パイプを振り上げ破壊する獲物をねらっているように見えたのだ。この硬直した数秒間、自分の顔の表情が凍りつくのが分かった。妻も同様だったらしく、硬直し、車の中は異様な静けさに包まれていた。幸せなクリスマスのネオンが視線の向こうで空しく瞬いていた…。

 その後、信号が青に変わり何事もなく発車し、彼らは視線の範囲から消え去った。妻が硬直した場を取り持つようにCDプレーヤーのプレイボタンを押した。音楽に気は解れたが、私はしばらく渋い顔をしていた。妻がそれを見取って、「どうしたの、」と声をかけた。私はそのとき、2つのことを考えていた。

 1つは、彼ら「ヤンキー」のような存在は「社会の癌」として、除外すべきものだという考えである。もう少し勇気があったなら、車から出ていって、彼らをぶん殴ってやるという、強がりのようなものであった。教師という立場上、彼らのような存在を一種、許せないような妙な職業意識を持ってしまうことである。だから、別に自分の教え子でもない赤の他人であっても、彼らのような一種「目の上のタンコブ」を生み出した教育におかしな責任感を持ってしまうのだ。

 もう一つは、彼らのような存在も「必要なのだ」という考えである。周りが妙に「幸せ一杯の日・クリスマス」を演出することに、反発をする。なんとなく分かる気がするのだ。世の中には「幸せ」を感じられない人だって山ほどいるのだ。この日ばかり、みんな“いい子ちゃん”になりやがって。彼らのように社会的にあまり認められていないものたちが、余計この日は隅に追いやられ、蓋をされてしまう。彼らがあのような行動に出たのは当然だと言えるし、もしかして、この行為によって我々日本人の犯している間違いを鋭くえぐっているのではないかとさえ思わせてくれる。

 私はこのことを妻に話した。すると、妻は私に同意した。そして、「彼らだって、認めてほしいのよ。」と、優しい言葉でぽつりとつぶやいたのである。

 日本人は全てが同じでないと気が済まない民族である。その国民性の代表格として中学校教育における「制服」の奨励である。また、クリスチャンでもないのにどこの家庭でもクリスマスを“祝い”、サンタ・クロースを待つ。これが年中行事であり、行わない人はさみしい人呼ばわりされる。そんな独特の国民性の歪みが生んだ彼ら、「ヤンキー」たち。彼らは主張があって社会を壊しているのではない。主張がない社会だからこそ、それを求めて社会を壊しているのだと思う。

 クリスマスが近づくと、ラジオから、デパートから、レストランから、どこからともなく幸せそうなクリスマスソングが流れてくる。そして、山下達郎の「クリスマス・イブ」も、もはや一部のファンだけのものでなく、この時期の日本国民のスタンダードとなりつつある。

 ♪雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう…♪今年のクリスマスはまさにその歌詞にあるとおりになった。だが、この歌は決して幸せ一杯の歌ではない。ご存じですか、この終わりの歌詞を。そして、込められた意味を。

♪きっと君は来ない 一人きりのクリスマス・イブ 

SilentNight HoiiyNight…♪

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