担任雑記No,40 「百武彗星を求めて」 春休みのある夜のこと。どこのテレビニュースも挙って「百武彗星が見える」とやや興奮気味に伝えていた。この日は地球に最も近づく日らしく、これを逃すとあと1万年は見られないという代物らしい。普段、天体にはほとんど興味をもたない私でも、見てみたいと漠然と思っていた。アパートのベランダからでもきっと見えるに違いない。そんな程度に思っていた。が、気まぐれとはすごい力をもっている。
妻と夕飯の買い物へ出掛けたときであった。仕事につかれ、二人とも余り活力がなかった。会話が途切れがちになる車内で、ぽつりぽつりと、独身時代の遊んだころの事が話題になった。よくその日の朝に思い立ち、気がついたら房総半島の先端にいた、などという、とんでもない日帰り旅行をやっていたことが走馬灯のようにまぶたの裏に蘇る。あのころは二人共若かったのよ、冗談とも諦めともつかないため息交じりの会話になった。あのころは楽しかったね…と、言いかけて、ふと、思いついたことがあった。
「じゃ、今は楽しくないのか?」
そう思うと、確かに独身のころのような無茶をやっていない。と、言うより、無茶をしようと思わない生活にどっぷりと浸かってしまっていると言った方が正確であろう。体力の衰えはまだ無いと自負している。ちょっと、仕事にも疲れていて、心を浄化したいなあ、とも思っていた。こうなればやることは一つ。妻も私も、満場一致で「百武彗星を見に行こう」となったのはごく自然の成り行きと言ってよい。これは言わばB型血液をもつ人間の典型と言っていいだろう。そういえば、私も妻も、B・B型である。
その日の天候は北部地方、くもり、中部、南部地方、午後ははれ。ラジオやテレビで言っている予報が正しければ、長野にいても彗星は見られない。必然的に松本か佐久へ向かった方が良いことになる。佐久に行こうか、松本にしようか迷ったが、最近、何かの景品でハイウエーカードをもらっており、一度も使っていなかったことを思い出し、高速道路を利用しても懐はさほど痛まないことが判明、タイミングの良さというべきか、まるで以前から計画されてでもいたかのように、我が愛車ベンツの燃料計は満タンを指している。此で決まった。私たちジャスコの前を通過して、一路松本方面へ向かう。この決断を下すまでの時間は僅か10数分、あのSBC通りを徳間方面から三輪方面へ向かう車中の出来事であった。
ジャスコで材料を調達するはずだった夕飯は、どこかで手軽に済ますことにした。今は食事の心配よりも、百武彗星が鮮やかに見れる場所をを探すことが先決であった。ちょうどよいことに18号線道路沿いで見つけたMosバーガーのドライブスルーに入ってたくさん買い込む。これなら運転しながらでもハンバーガーなら食べられる。私たち夫婦はこの手軽さが気に入って、ドライブスルーを結構利用させてもらっている。更埴インターから、長野道に入る。すっかり日も落ちて当たり辺りは暗くなっていた。空を仰ぐと、依然どんよりと分厚い雲が夜空を覆い、私たちの求めるものは何も見えなかった。ここからは、雲の切れ間を探して、ひたすら南下することになる。夜中の高速道路は視野が狭く速度感が鈍くなるので、昼間より集中力を必要とする。だから、私は夜空を見ることはできない。従って、妻が夜空の観察を担当した。
姨捨P.A.からの夜景は美しかったが、夜空はどんより。麻績S.Aを過ぎ、長い長いトンネルや、カーブの連続する難所を抜け、明科の明かりが見えて来た。ここまでくると急に視界が開けてくる。私たちは期待をしながら夜空を仰いだ。…。見事な曇り空であった。どんよりと厚く覆いかぶさった雲は切れ目なく伊那方面の空へと続いていた。落胆した。天気予報は当てにならない。当たってナンボの世界であることをすっかり忘れていた我々が悪かったのだ。
もうちょっと粘って諏訪を越え、伊那を抜けて飯田まで行けば何とかなるであろうが、如何せん、そんな気力もお金も、時間もなかった。塩尻北インターで降り、今度は19号線を一路長野へ帰ろうか、と言うことになった。
でも、悔やんでも悔やみ切れず、もう一つの選択肢であった、佐久の実家へ妻が電話を入れた。
「プルルルル、ガチャ。もしもし、あ、ミーちゃん(妻の妹がでたらしい、妻は実家でこう呼ばれている)、彗星見たぁ?こっちはすごいよぉ、おかーさんも見たんだから」絶句した。妻は一言ふたこと会話して、力なく受話器をおいた。これではっきりした。我々の選択がミスであった。間違っていた。アンビリーバブル!!恐れていたことが現実に起こっていた。我々は松本にいる。ここから佐久まで、険しい峠を2つ越えて、2時間。(高速道路で長野に帰るなら1時間弱。)気力が失いかけていた。
ところが、B型夫婦はここから本領発揮なんである。我々は何と、佐久方面へ行くのは癪だから、上田を廻って長野へ帰ろうと決断した。つまり、快適な高速道路よりも、峠道を選んだのである。時計の針は夜中の8時を回っていた。闇が迫る寂しい三才山有料道路をひた走り、途中にあったかつて究極のラーメン屋に立ち寄って夜食を取り、平井寺トンネルを越えた。パッと開けた目の前は遠くに上田の街明かりと、星空が。思わず道端に車を止め、少々の期待を込めて夜空を仰ぎ見た。
そこには、紛れもなく数万年に1度の天体ショウが繰り広げられていた。
興奮が徐々に盛り上がってくるのを感じつつ、北斗七星の杓子の柄のほうに筆でシュッと描いたかのような「百武彗星」を見ることがようやく叶ったのである。
長野に戻った時刻は12時近く。途中、ものすごい睡魔と戦いながらようやくたどり着いたわが家のベッドで、その晩、彗星に乗って宇宙を駆け巡る夢を見た。