担任雑記No,44 「ヨーロッパ旅行記22」

 ドイツ・ケルンを過ぎたころから薄々感じていたのであるが、私も妻も、「ホームシック」にかかっていた。私も妻も、旅行の日程が後何日残っているかが、目覚めの挨拶のようなものであった。このように書くと、随分贅沢な話であるが、「疲れ」を無視した旅行日程を組んでしまったことに、いささかうんざりしたと言うのが本音である。これが、もう4〜5年前の体力で気ままな一人旅であったら、そんなことは露とも思わなかったであろうが、新婚旅行というのは、想像していた程、スウィートなものではなかったと肌で感じ始めたのである。

 ホテルはどこも清潔でゆったりできるふかふかベッドが用意されていて快適、肉体的な疲れはその日のうちにある程度取ることはできたが、やはり精神的な疲労はなかなか取れなかった。その原因の一つに、「言葉の壁」があった。ヨーロッパ各地の文化芸術、生活を覗き見たいという好奇心は衰えを知らなかったが、言葉が通じないもどかしさはどうしようもなかった。妻が英語はもとよりフランス語、スペイン語などを駆使して現地のタクシーの運ちゃんなどとコミュニケーションを取る姿を見るにつけ、「せめてもっと英語を勉強しておけばよかったな」などともう一人の私がつぶやくような淋しい思いは、どんなに感動的な経験をもってしても拭い去ることなどできなかった。自分の国の言葉を自由に喋れる幸せを痛感し始めたのもこの頃である。(だが、妻はもっと疲れていた。それもそのはず、私の言葉まで翻訳せねばならないのである。言語をつかさどる左脳が普段の倍、いや、10倍も稼働せねばならん様を想像すると、脳のシナプスに流れる電流はきっとオーバーヒートの寸前であったに違いないのである。今考えると拷問とも言える激しさではなかったか。妻に感謝しなければならない。)

 そうは言っても、日本へ帰れる日(航空券の予約日)までまだしばらく時間がある。贅沢と言われては返す言葉が出ないが、残りの日々を「消化」することに徹した。「モン・サン・ミッシェル」の次に、訪れたのは古城巡りの中心地「トゥール」である。

 フランスの有名なお城(宮殿)と言えば、10人に8、9人までがあの“ヴェルサイユのばら”で有名な「ヴェルサイユ宮殿」を思い起こすに違いない。確かにこの城は庭園の広さだけで100ha以上もあり、宮殿の規模も装飾品も当代随一を誇る。「太陽王」を言われたルイ14世が有名になったのはすべてこの宮殿のお陰。だが、フランス革命が勃発し、何世紀も栄華と繁栄を極めて来たルイ王朝が倒れ、共和制が確立して今日のフランスが建国されるまで、この国はさまざまな王様や皇帝たちがこの国の各地方にさまざまな趣向をこらしたお城を建てまくったという歴史がある。ヴェルサイユ宮殿はその最たるものであり、その巨大さ、豪華さゆえに、自分の首を絞めたと言っても過言ではない。そうは言っても、このトゥール地方にはそれほど豪華で巨大なお城がある訳ではないが、おしゃれな、こぢんまりとした、ちょっと立ち寄ってみたい喫茶店のような感覚で古城が幾つも点在しているのである。どれも、戦闘を重視した要塞型は少なく、装飾性豊かな建物と、庭自体が芸術品といった趣の宮殿型のお城がほとんどであり、それぞれの目的に合わせて特徴や個性を持っていた。

 例えば、ブロワ城。入り口にはルイ14世の騎馬像が誇らしげに建ててある。ガイドブックによると、「13世紀から17世紀にわたってのゴシック、ルネッサンス、そして、豪華絢爛な古典様式を居ながらにして一度に体験できる、という恐ろしくも便利なお城。」とある。なるほど、建坪はそれぼど広いとは言えないが、中庭には指向を凝らした螺旋階段、壁や柱には美しいレリーフが透き間を作るのを拒むかのようにびっしりと施されている。中を見学すると、豪華絢爛の調度品の数々、ここが王妃の部屋、ここがアンリ何世の寝室で、ここでこんな歴史的な会議が開かれました、などなど、説明され、観光客でごった返すヴェルサイユ宮殿よりも500年前の贅沢な貴族の生活が身近に分かったような気がした。

 王家の狩り遊びのためだけに作られたという城もある。ブロワ城からタクシーで約30分程の所にある、広大な雑木林と草原に囲まれたシャンボール城。この城は、装飾が大袈裟で有名である。尖塔がヤタラメッタラ、建てられている。すべてが装飾のため。実用性は全く無い。こともと住むことを目的としないので、実用性よりも派手であれば何でもよいのだ。贅沢にも程があると思うが、当時の王家の莫大な財力を物語っている。また、その裏には数百年にわたって民衆が搾取され、民衆にとってつらい時代だった事も隠されていることを忘れてはならない。どうしてこの国に民主主義が生まれたのか、少々分かったような気がした。この城の建物の中心に、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ様の設計したと言われる2重螺旋階段がある。

 もうひとつ、庭園の美しい城もある。ヴィランドリー城は、こぢんまりとしたかわいい城だ。日本の感覚と違うところは、植木に人間の手を強烈に入れてしまうところである。この庭は植木を幾何学模様に刈り込んでいるところに特長がある。あまり広くない庭に(と言っても、ヴェルサイユ宮殿に比べればの話)まるで迷路のように、びっしりと幾何学模様の乱舞である。よくぞここまで刈り込んだねぇとため息が出てしまう。

 今回見学したのはこの3つであるが、トゥール地方にあるお城全てが国の管理下におかれて、手入れがよく行き届き、周辺に広がる農村ののどかな風景と絶妙なマッチングで、中世から近代に至る王侯貴族の優雅な一日にタイム・トリップできるお手軽な観光地なのである。ぜひ一度、優雅な一時を体験しに訪れてほしい場所である。

 さて、この後、花の都「パリ」へ向かう。5年越の夢であったルーヴル美術館見学が目前に迫った。はやる気持ちを抑えつつ、その日の疲れを取る2人であった。

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