担任雑記No,45 「ヨーロッパ旅行記23」

 トゥールから懐かしいパリへ戻り、一晩明けた。ホテルの目の前、いや、私達の泊まっている部屋の窓の外には、左手に広大なルーヴル美術館、続いて中央にチュイルリー公園、右手に視線を動かして行くとマリー・アントワネットの処刑されたコンコルド広場、さらに続いてあのシャンゼリゼ通り、そして、奥のほうに絵葉書と同じ形、色をした凱旋門までもが一望できる。右手奥、遠くにはあのエッフェル塔、中央ちょっと右にモンパルナスタワー。1〜2分も歩けばパリの足、メトロ(地下鉄)の駅もある。パリ見物の拠点としては絶好の場所にホテルがあると言えよう。学生時代、パリに訪れたとき、ルーヴル美術館が全面改装中で、門前でじたんだを踏み悔しい思いをして早5年。この情景だけで気持ちが高揚し、開館と同時に飛び込んでしまいたいが、一人旅ではない。連れを無視した行動は、「成田離婚」に直結だ。とりあえず妻のリクエストにつきあい、済ませてしまってから、世界の至宝に囲まれ、歴史的芸術に思う存分に浸るのも遅くなかろうと考えた。そこで、本日は観光とショッピングに専念することにした。

 パリは世界の一流品が集まるところとしても有名であり、「シャネル」「ルイ・ヴィトン」を筆頭にさまざまなブランド物、高級品を数え上げることができる。

 そのなかで「エルメス」と言えば、海外旅行のお土産の定判ともいえる免税品のスカーフが頭に浮かぶ。そう言うとなんだか安っぽく聞こえてしまうが、「エルメス(HE−LMES)」とは、ヨーロッパの長い伝統と実績に裏付けられた由緒正しき「高級馬具メーカー」である。君たちのお母さんはエルメスのスカーフ一枚くらいはおもちではないかな。もし、もっておられたなら柄に注目して欲しい。鞭(むち)、鐙(あぶみ)、はみ、ヘルメット、長靴、手綱など、馬具を巧みに構成し、デザインしているはずである。これは、「エルメス」が馬具に関係していなければ、このようなデザインは考えられない。「スカーフ」の「エルメス」は、ほんの一部分に過ぎないのである。

 さて、そんな「エルメス」であるが、パリに本店がある。5年前、一人で訪れたときは二十歳そこそこの若造が入るにはあまりに場違いというか、身分不相応だったので、前を通りすがっただけであった。今回は妻の要望もあり、勇気を出し、革靴を履き、身なりをきちんと整えて出掛けた。世界的に有名、さぞ豪勢な門構えの店舗であろうと想像して訪ねてゆくと、もしかした拍子抜けするかもしれない。パリの町並みを壊さないようにまた溶け込むように、控えめ。それがむしろ客に媚びない、無言の威厳とも、威圧とも言うべきものを感させるのだ。

 店に入る。表の静けさとは裏腹に、何やらむんむんとした熱気が感じられる。聞き慣れた言語、見慣れた顔付き、しぐさ。標準的な日本語に交じって、関西系の威勢のいい語尾、イントネーション。さらに、授業参観日のあの匂いで思わず噎せる。熱気の源は「日本人団体客」であった。

 彼女ら(女性客が店内を90%以上占める)の目付きは異常に吊り上がっていた。テンションが高い、というよりも、キレている。店員が少々日本語が通じるのをいいことに、「もっと違うの見せて」「あれ取って」「これどうや」と注文がうるさい。どこかのバーゲンと勘違いしているようだ。また、教訓的に覚えていることがある。カードでショッピングは、このような集団トランス状態のときに使うものではない。と言うのは、ある中年夫婦は、代金の支払いに誇らしげにゴールドカードを差し出した所、店員が困った顔をして戻って来て、カードを返した。どうやら、彼女らの知らないうちに利用限度額を越えてしまっているらしい。事態を理解し慌てた彼女らはしばらく呆然としていたが、ショーケースを机代わりに占領し、計算機のキーをたたいてにらめっこである。他の客が見たいけど見れない。全く、みっともない。

 ヨーロッパでは日本のように気安く商品に触ってはいけない。商品は店員に取ってもらうことが原則であり、それも、ある程度買う決意をしたものだけを厳選することがマナーである。特に格式や伝統のある店では、客の品格というものも大事にされるのだ。「店が客を選ぶ」事が至極当然の文化に有って、日本人団体客の嵐のような振る舞いに、「エルメス」も成す術もない、といった諦めとも呆れとも思わせる空気が店員の表情から見て取れる。

 ドイツ・フュッセンで出会った日本人団体を想起させるに充分である。私は目の前で繰り返される醜態に何度もダウンしそうになった。

 この店舗には馬具も飾ってある。「エルメス」の本当の姿である。もちろん、店内を彩るディスプレーでは有るが、ものによっては、販売もしている。それらの美しい曲線、立体的造形美、実用的、機能的な美を余すところなく鑑賞することによって、私の中の「エルメス」の格式、威厳、伝統を取りもどさんと努力した。妻は、「団体」に混じってこの状況を楽しんでいた。女性というものは男にとって修羅場としか思えないところでも、楽しみ方を知っているものだと、つくづく感心した。私は格式や伝統に捕らわれ過ぎているのだろうか。できれば彼らの文化を我々の観念によってぶち壊しすることは避けたいのである。日本人のよくない所はそういうところにあるように思えて時々ひどく日本人嫌いになる。海に囲まれ、他国からの侵略をほとんど受けずにのほほんと暮らしてきた歴史をもつ日本人。それに対して陸続きで隣の国の脅威と常に戦って自分自身の文化を築き守り通して来たヨーロッパの人々。戦後50年経って依然、他国から反省を求められている日本人は、国際的な観点から見て、非常に甘い民族ではないだろうか。このように考えることは日本人としてタブーなのであろうか。

 日本人はもっと海外旅行をして、海外の文化を学ぶべきである。

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