担任雑記No,46「ヨーロッパ旅行記24」 エルメスで怒りを燻らせた後、メトロに乗って「モンマルトルの丘」へ向かった。パリの北にある小高い丘のことをそう呼ぶ。ここには真っ白に輝くサクレクール寺院が建っているので、パリ市内からもよく分かる場所である。
ここは、昔から貧乏な芸術家たちが集まって、その日の暮らしのために似顔を書いたり自分の作品を売ったりしていた。急な坂道に急な階段、そこへへばり付くように薄汚いアパルトマンが立ち並び、石畳の道、ポプラの木々など、19世紀初頭の若い芸術家の感性を櫟るに十分な街角があちらこちらにある。日本人らしき中年の男性が階段の手摺りに腰をかけてスケッチをしていたり、小さな画材店が点在していたり。かつて、あのピカソもまた、佐伯祐三も、また荻原碌山も、ここを何を思って歩いたのかな、などと美術評論家を気取って、ウキウキしてしまう自分がそこにいた。
ところで、私はここでもスケッチを絶対やろうと心に決めていたのだが、日本からもって行ったスケッチブックのページも終わってしまっていた。画材屋に入ってスケッチブックと鉛筆を購入。早速絵になる場所を探しに歩いた。
広場に出る。美しい花や植物で飾られたカフェ、レストランに囲まれたそこは絵描きたちが集まっていた。観光客をモデルに似顔を描く人達。木炭でアカデミックに描く、白髪で髭を蓄え、ベレー帽を被ってでっぷりと太ったおじさん。ちょっと太めの日本人をモデルにしていた。日本人は顔がのっぺらぼー、凹凸が少ないので少々描きにくそうだったが、見事に彼女を美しく表現して余りあり過ぎる程の出来だった。また、若いお兄さんは、ファッションモデルかと思うような整った顔立ちの白人女性をモデルに、鼻と唇と目を異様にデフォルメさせた似顔を鉛筆で描く。描き方にそれぞれの個性があって、それを見ているだけでも十分楽しめた。
ひとまわりして、サクレクール寺院の方へ向かおうとしたとき、私と妻に声をかける男性がいた。「ヘイ、ミスター、そこの彼女の似顔を描かせてもらえないか?」
お金も無いし、似顔なら私が描けば事足りると思っていたので、「No」と断る。
しばらくすると、また別の男がよって来て、今度は日本語で「5フンダケ…、ウマクカクヨ」と言う。「No,thank you」とていねいに断る。10歩も歩かないうちに、またもや、同じような男が声をかける。まるで、エフェソスの土産物売りたちのように、ひとつしか知らない日本語、「5分だけ…」の連発だ。始めは楽しめたが、さすがに、3人目のときは私も飽きてしまっていた。
と、ひとつ閃いたことがあった。スケッチブックを見せて、「私も画家なんだ」と言ってみたらどうなるだろう。ちょっとばかり悪戯心と、彼らの反応を知りたい欲求で、その作戦を実行した。
「5フンダケ…」腰の低い男が、猫なで声で声をかけてきた。きたきた、カモがネギしょってきたぞ、早速実行だ。ここぞとばかり、
「I'm a painter,too…」の言葉と同時にスケッチブックを誇らしげに見せる。すると、彼の表情が一変し、私の思いもよらぬ行動を取った。
「Fuck you!」そして、中指を突き立て、目を三角にし、歯を剥き出しにして私を威嚇する例のあのポーズを取った。フランス語訛りのその言葉には妙に威圧感があった。私と彼らとの周りには大勢の観光客がいて、彼のその言葉にみな一瞬こちらに振り向き、0,05秒だけ静寂が走った。私は二の句が告げず、唖然とするばかり。
彼とはそれ以上のことは何もなく、彼は去って行った。そんな彼の後ろ姿を見て、「客に媚びずにもっと自分を主張して描けよ!」というムカムカした気持ちと、「その日暮らしには仕方ないのかな」という哀愁に似た気持ちが複雑に絡み合い、こんな馬鹿なことをしてしまった自分に腹が立って少々興奮した。そんな私を見て、妻がこう言った。 「そういうときは、“Thank you,You too!!”と言ってやれば良かったのよ。」(「ありがとよっ、お前もなっ」ってな意味)
妻を尊敬してしまった。そして、なぜか妻も私と一緒になってムカムカしていた。
さて、スケッチを何枚かやって、つかれたので画家の集まる広場のカフェに入った。いすに座るとちょうど広場に向えるようになっているので、観光客と画家たちの織り成す人間模様をゆっくり観察するに絶好の場所だった。ここに座っていても似顔絵画家たちが近寄ってくる。だが、テーブルに無造作におかれたスケッチブックと鉛筆を見るや否や、表情を急にこわばらせ、去って行く。そのうち、徘徊している似顔絵画家たちは私たちのところへは近づいて来なくなったが、遠巻きにこちらをちらちらと見ては、仲間と何やらひそひそ話をするようになった。
どうやら私のことを言っているようだが、だんだんと彼らの視線が鋭く、厳しいものになって行くのが肌に射すように感じられるようになった。どうも、彼らの縄張り荒らしと思われたらしい。私はただ単にここの風景や人を描きたいと思って、スケッチブックを片手に歩き回っているだけなのに、誤解されたようだ。自分としては、彼らの生活を侵害するような子とは何もしていない。ただの観光客である。しかし、私は芸術を愛好する一人でもある。だから、絵を糧に日々暮らす彼らのことは、なんとなく分かるつもりであるだけに、彼らの私に対する威圧感が、ものすごく大きく感じてしまうのである。もし私もここで暮らす絵描きであったら、彼らと同じような反応を示すだろう。
午後10時近くまでそこにいた。幸い暴漢に襲われもせず、無事ホテルに戻ることができたが、彼らの指すような視線と無言の威圧感、緊張感は今でも忘れることはない。