担任雑記No,49 「アメリカ旅行記」 この夏(1996年:Web up時注釈)、私はアメリカ合衆国へ旅行する幸運を獲た。十四泊十六日間の長丁場だ。もちろん団体旅行ではない。計画、手配をすべて個人的に行った、言わば「わが家オリジナルの旅」だ。(注1)しかし、旅のテーマはっきりしていなかった。
行程は、成田から10時間のフライトの後ロサンゼルスに入り、時差ぼけのままサンディエゴへ向かい三泊、日帰りで国境の町メキシコのティファナ、ロサンゼルスを経由してラスベガス二泊、またロサンゼルスに舞い戻り二泊、カナダのバンクーバーへ飛んで四泊、サンフランシスコにかえって二泊、大西洋を右に見ながら南下。途中どこか知らない町で一泊、ロサンゼルスより帰国という、2年前に行ったヨーロッパ旅行よりは、少々余裕を持たせた旅である。
私にとってアメリカ大陸は「未知との遭遇」同然だった。ニュースではやたらと日本人が銃で撃たれたと報道している(直前、サンディエゴでは、親子が撃たれていた)し、日本人嫌いの人も沢山いると聞いた。絶対に入ってはいけないところもあるというし、夜も出歩けないという。また、レンタカーを借りることになっていたが、車にはいつもミネラルウォーターを積んでおけという。何故か。何故なら、いつ砂漠の真ん中でオーバーヒートするか分からない、その時のためなのだそうだ。もちろん、飲料水用もあるが、実のところは車のラジエーターにぶっこむためのものだと言う。とにかく車が動かなくなってしまったら、どうしようもないのだ。それは、「死」をも意味する。決して大袈裟ではないのだよ…。とある友人がささやく。私の実家の両親には「安全祈願」なるお守りをもらったし、一体アメリカってどんな国なの?一抹の不安を拭えずも約10時間のフライトの後ロサンゼルス空港に降り立ったのであった。
「アメリカは大きい。国土は日本の25倍もあるのである」とむかし社会科で習った。(でも人口はたったの二億人。同じ人口密度なら日本の人口は8百万人で十分の所を、1億3千万人も居るというのだから、日本のお父さんお母さん、随分ガンバッタもんです。)その知識としてしか知らない広さを実感し始めたのは、空港で5時間も足止め食ってやっと、レンタカー(注2)を借りてフリーウエイを走り出したころからだ。色あせたテレビドラマでしか見たことなかった「アメリカの風景」が、ロサンゼルス郊外を出たとたん目の前に広ると、セピア色した「知識というキャンパス」が強烈な対比の極彩色で塗り替えられてゆくようにじわじわ実感が込み上げてくるのだった。「ああ、アメリカンだあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」と運転席で叫んでいるのを横目に、妻は、「はいはい、もうちょっと左によって」と冷たくあしらってくれた。(注3)
何でそう熱血したのか。移動のほとんどはレンタカーと飛行機。自動車社会の発達しているアメリカでは、自動車がなければ何もできないと言っても過言ではない。ちょっとスーパーマーケットへ買い物に行ってくるといって、あの片側五車線(!!)のフリーウエイ(“ジョン&パンチ”(注4)のオープニングに出てくるあの道だ。知ってるかなあ)を15分もすっ飛ばすのが日常。その店舗の広さだって、日本のが「篠ノ井西中校庭」ならば、アメリカは「東京ドーム」であるからして、駐車場の規模となると半端ではない。一歩間違えれば自分の車を探して三十分程さまよい歩く羽目になると言えば、お解りであろうか。そう、まさに、ジョン&パンチの世界そのもの。この広さ、スケールの大きさと、あの、小学校のころテレビにくぎづけになって見た「あの」場面とほとんど変わらない風景が私を興奮させたのである。
それはどこまでも荒涼としていて、小高い丘が幾重にも重なって遠くへ広がっている。黄土色した大地にはチョボチョボとしか木が生えていない。背の低い潅木ばかりだ。それはカリフォルニア一体が地中海気候であることを示す乾燥地帯特有の風景だ。フリーウエイ以外何にも無い。そして、どこまでも地平線の遥か彼方までゆるやかなカーブを描いて続くフリーウエイを、時速80マイル(時速約百三十キロ)で二時間南下する。その間、私の車を悠々と追い越して行くトラックはサビ錆でガラスにひびが入っていても平気だ。かと思えば、60年代くらいの古い車だけどぴかぴかに磨き上げ、へこみも傷も一つもないくらいきれいな車に乗って、周りを気にせずあくまでマイペースでゆっくり走るプラチナヘアーのおばあちゃん。そんな風景や人々を見ていると、アメリカのおおらかさまでもが伝わってくるような…。
こんな何にも無いところに、どうして住もうと思ったのか。アメリカ開拓の歴史に思いを馳せる。何にも無いところから生み出さねばならなかった歴史の積み重ねなんだなあ。何でもかんでも外国の文化の真似をして世界にのし上がって来た日本には無い、「クリエイティヴ」なアメリカの、大元を見た気がした。
最初の目的地、サンディエゴに夜中の8時半頃到着、ホテルにチェックインし、夕食を食べに出掛ける。夜の街は犯罪が多いという先入観か、歩くのは控え自動車で出掛けた。だが、心配するほどこわいことは何も無かった。お守りが効いているのだろうか。いや、街灯が明るく照らし、特に広場や駐車場はかなり遅くまで明るい。犯罪防止のためだろうか。そういえば、妻が住んでいた8年前(注5)よりも、ホームレスが少なくなったそうだ。市当局が相当努力したみたいだ。10時過、時差ボケと飛行機での疲れ(注6)がピークに達し、その晩は布団に溶け込むように眠りに落ちていった。
それまでどちらかというとヨーロッパに目に目が向いていた自分だが、だいぶアメリカに興味がわいてきた。美術的観点よりも、人間の生き方や、社会構造という点で。そして、何をいわずして「アメリカ」と言うべきなのか、捜し求めたくなった。そして、「アメリカ探し」が今回の旅のテーマとなったのである。(注釈:次頁)
担任雑記No,49「アメリカの旅」注釈集 (注1)偉そうに言っても、航空券の手配、ホテルの予約、レンタカーの予約等など、英語関係は妻にほとんど頼りきりの自分が情けない。例によって私の立場は「荷物運び」であり、さらに今回は「お抱え運転手」にもなった。
△△(注2)ロサンゼルス空港でレンタカー会社直行シャトルバスに乗るとすぐにレンタカーを借りられる。アメリカはこのシステムがすごく発達していて便利だ。車は「フォード・サンダーバードLX」という、自分の車の1,7倍ほども車幅のある、シャンパンゴールド色をした、日本の住宅事情には厳しすぎるアメリカン・カーだ。排気量は5000ccは越えているだろう。“鯨が氷の上を滑る”感じのドライビングだ。
△△(注3)アメリカは右側通行。左ハンドル。従って、高速道路では左側が早い車。(ほとんどその原則は無視されているが)巨体のため右側の車幅間隔がつかめず、いつもセンターラインを踏んでいたための妻のアドバイス。ちなみに、アクセル、ブレーキは日本のと同じだが、ウインカー、ワイパーのスイッチが逆位置。右に曲がろうと思って、ワイパーが動く、という、海外で定版の笑い話が有る。私の場合、日本に帰って来てその逆現象をおこして、妻に失笑を買った。
△△(注4)70年代のアメリカからの輸入番組、邦題「白バイ野郎 ジョン&パンチ」。California Highway Patrol、通称“Chip's"の白バイ警官、白人のジョンとメキシコ系アメリカ人のパンチがチームを組んで、ハイウエイで巻き起こるさまざまな犯罪を解決し、すごいカーチェイスや派手な格闘シーンに目を引き、時には心温まらせ時には目に涙をためるエピソード、必ずエンドシーンで見せるおとぼけなどなど、幼き私と弟の心を魅了し掴んで離さなかったテレビドラマ。その舞台となったのが、今回訪れたロサンゼルスを中心に南北に走るフリーウエイなのだ。
△△(注5)妻は8年前、サンディエゴに2年半ほど語学留学のため暮らしていた。
△△成田発19:30→10時間→早朝5:30着(日本時間)
13:20着(LA時間)→約7時間→20時に寝るというスケジュールになる。飛行機の中ではほとんど眠れない。すると日本からサンディエゴで寝るまで10時間+7時間=17時間。さらに出発の日、朝の8時に起きたから、11時間足して、その日は28時間夜が無かったことになる。
また、飛行機のエコノミークラスのシートは狭いし、リクライニングもほとんどできない、すごい騒音、の3拍子だ。私は耳栓を利用したから、数時間眠ることができたが、妻はほとんど眠れなかったという。飛行機の旅にはどこでも眠れる強靭な精神力が必要なんだとつくづく感じた。(鈍感という声も有るが、私には理論的に当てはまらない)
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