担任雑記No.55 「優しい人々」

 自宅にコンピュータを購入して、インターネットを利用できるようにした。インターネットは始めるととても楽しい。テレビを見ているのと感覚は似ているが、「受け身」の状態であるテレビとは別物だ。世界に何万、いや、世界人口の数ほどもあるチャンネルの中から自分の好きなものを探すことができる。しかも、好みのチャンネル(この場合ホームページとか、ウェブページなどと呼ぶのだが)の制作者と、直接電子メールなどで時間差なくコミュニケーションを取ることだって可能である。そのお陰で自分の欲しい情報が自宅にいながらにして手に入れることだってできるし、近い将来、カタログショッピングもインターネットで簡単に済ましてしまう様になるだろうし、地球の裏側の小さな町角のパン屋さんに自分だけのパンを焼いてもらう事だって可能だ。大学の図書館へ行かなくてもほしい情報をすぐにも取り出せる。アメリカでは日常の、そして今、日本でもようやく普及しつつある分野なのだ。

 篠ノ井西中学校もホームページをもっている。我が学校は意外にも時代の先端を行く学校だったのだ。ご存じでしたか?

 さて、我が家のコンピュータ(Macintosh Performa5410)につないだインターネットであるが、おもしろくてたまらない。1時間も2時間もコンピュータの画面に釘づけになる。カミさんは「コンピュータにとり憑かれている」というが、B型の私としては一度始めたら止まらなくなってしまう。それだけ魅力的な世界が画面の向こうに広がっているのである。(これを読んでニヤニヤしているお父さん、あなたも「通」ですが、誤解しないでください)

 話の本題はここから。インターネットは電話線を利用するために、コンピュータで電話をかけている。だから、当然電話会社への通信使用料を支払う。無料の電波を利用するテレビとは違うところである。インターネット接続専用に使っている0088の11月1カ月間の利用明細表兼請求書が来た。まさにこれは、「開けてびっくり、玉手箱」状態であった。なんと¥9,888なり!

 妻も私も目が点になった。噂には聞いていたけど、まさかこれほどとは…。

 驚きの余り、私はインターネットで知り合った(正確に言うと妻の友達の旦那さん)カナダに住む男性、ともさんに電子メールでこの事を話した。彼は即座にカナダのインターネットの現状と日本の現状を比較して返信してくれた。

 カナダでは、電話代は月固定制なのだという。つまり、ある金額(20カナダドルだったかな)を電話会社に支払えば後はかけ放題、使い放題。NTTがやっている深夜割引の制度を24時間にわたってごく普通に行っているのだ。だから、インターネットの使い心地は最高、ときたま噂に聞く日本事情から考えると天国のようだと言っていた。

 そして、私の支払う電話料について「それは、カナダだったら絶対暴動が起こりますよ」と付け加えた。

 暴動とはまたエラク物騒なことだ。よく映画で見るような光景が私の頭の中をよぎった。できれば平和に解決する方法を見つけたいのだが、見方を変えると一番手っ取り早い方法ではある。

 日本人は暴動を起こさない民族である。それはそれでとてもすばらしく平和的民族であるという裏付けにもなる。一種、誇りとも言っていい。

 だが、公共のお金を官僚や政治家、一部の権力者が不正に、又は適正に使わないことが発覚しても、さらに、行政システムや流通システムに不合理なことがあったとして、自分の生活が脅かされたり、不利益を被ったとしても、だれも動こうとはしない。だれも変えようとはしない。むしろだれも変えられない。それは、きっとだれかがやってくれるだろうという希望的観測なのか、「どうせやっても無駄さ」という失望的無気力なのか分からないが、社会のみんなが幸せになろうという運動に「非積極的」な人が多数を占めているのは事実である。「平和的解決」の名の下にである。黙っていればすべてが平和に動いてくれる。それが日本の現状か。

 「12人の優しい日本人」というビデオを見たことがある。日本の裁判に陪審員制度があったらどうなるか、舞台劇の映画化作品だった。ある女性が殺人罪で告訴されて、その評決を一般市民から無作為に選ばれた12人が陪審員となって下す、と言うストーリーだ。12人それぞれ初対面で、始めは建前から入って行くのだが、徐々に本音が出たり入ったりする。この問題に真剣に論議しようとする人、陪審員に選ばれたことに怒っている人、どっち付かずの人、全く無関心な人。一応それぞれの意見を一通り述べるのだが、だれ一人とて判決についてはお茶を濁す。陪審員のだず意見の流れによって有罪になったり無罪になったり、猫の目のように判決が変わる。ついにはその論議も面倒臭くなって一人を除いて「無罪」と結論づけ、めでたし、メデタシ。

 実際日本に陪審員制度がなくてよかった。と鑑賞後の感想だ。そして、なんとなく自分の姿を鏡に映して見ているような恥ずかしさが残った。

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