担任雑記No.59 「真実の愛(宣伝広告放送3)」

女:「うわぁー、見てみて!!のりおさん、浅間山ってきれいっ!!」

男:「ははは、るみこ、あれは八ヶ岳さっ!!」

女:「ねえねえ、あれは千曲川でしょ!!」

男:「いやだな、あれは天竜川さ!!」

女:「のりおさん、諏訪湖って大きいのね!!

男:「(ちょっと語気をつよめ)あれは、木崎湖だよっ!!」

女:「のりおさん、こんなるみこなんか嫌い〜ぃ?▼」

男:「馬鹿だな、大好きに決まってるじゃないかぁ、あーはっはっはっはっ!!」

                               ♪〇野トヨタ♪

 久々に、にやけ運転のできるラジオCMに巡り会えた。このCMの信条は「スピード」である。モタラもたらやっていてはこの掛け合いのよさは伝わらない。女のとぼけた台詞に男が畳み掛ける。最初の3つの掛け合いでスピードと緊張感を高めておいて、最後の台詞でストンと落とす。「起承転結」の定石とおりだ。これ程すっきりと気持ちよく決まってくれると、思わず苦笑するのと同時に、心地よさがさわやかなミントのような後味となって心に残る。「ボケとつっこみ」と言うべき手法、いわゆる上方漫才を東京風にアレンジしたという感じか。

 さて、この二人の掛け合いから感じる事ができるのは、「愛とは人を強くする」と言うことである。たかがCM、何をおおげさな、と宣われる御仁もおられようが、以前より再三述べているように、「されどCM」なのだ。

 愛する彼女がどんなにちんぷんかんぷんで掛け離れ、とぼけたことを口走っても、彼は切れそうな脳血管を感じつつ強靭な精神力をもってぐっと我慢をし、優しく応対する。愛は彼を強くしたのだ、彼を一段と逞しく、雄々しい人物に育てたのだ。そう、この彼の姿に「愛」を感じずにはいられない。いや、感じない人がいるとすれば、きっとその人は不感症だ!CMの彼は彼女のどこに引かれているのか推測の域を出ないが、彼女の容姿、彼女の声、彼女の髪、彼女の知性、彼女のしぐさにそこはかとなく彼の心の奥を引き付けて止まない引力にも似た不思議な力が働いているのであろう。そして、寛大な心で彼女を受け止め、しっかりと支える彼。これぞ男のダンディズムを感じないだろうか、男子諸君。君たちはきっと将来、伴侶となる女性と巡り会うことになるであろう。いわゆる、もう一人のアンドロギュノスである。もし幸運にも巡り会うことができたなら、きっとこのCMの様子と同様な行為をするであろう。そのとき君たちは初めて「愛」の崇高な精神世界を感じることとなるであろう。嗚呼、愛とは何と美しいことか。嗚呼、すばらしい甘くトレビアーンな世界!!わっ、はっ、はっ、はっ、ははははは。

 一方、彼女はどうであろう。一見ちんぷんかんぷんに聞こえるこの問答に、深い、ふかあーい哲学的思想が隠されていること皆さんはご存ぢであろうか。

 彼女は八ヶ岳を見て「浅間山」といった。浅間山は佐久地方の北に聳ゆる独立峰、八ヶ岳は佐久地方の南の連峰である。彼女にとって、山といえば一人堂々と立つ「浅間山」であることが分かる。「山」は男性のイメージ。これは彼女から彼へ向けたメッセージなのだ。あの、雄々しき活火山、時折噴火をして周辺地域に広域にわたって火山灰を降らせ、農作物に被害を与える。察するに、普段から彼は先ほど述べたように「優しく彼女受け止め」ているのではなかろうか。彼女はその「優しさ」に不安を感じ手いるのではなかろうか?女性というものは男性に「優しく」されればされるほど「本当に彼は私のことを愛しているの?」と確かめたくなるものだという。彼は「彼はやさしい」。しかし、それ以上のことは何もない。時には強く、時には荒々しい彼の姿も見てみたい!!貪欲な彼女の求愛の心が、このスマートな一言に込められているのだ。

 さらに、彼女は「天竜川」を「千曲川」といった。川は人生のイメージ、曲がりくねってさまざまな障害を乗り超え、大河となって海へ注ぐ。千曲川は日本海へ流れ、天竜川は太平洋へと注ぐ。千曲川は途中松本地方から流れて来た犀川と合流して、「信濃川」と名前を変え、滔々とした流れとなり安定する。それに対し天竜川は諏訪湖から流れ出て、一本である。つまり、この言葉に隠されているメッセージは「いつか、私と一緒になってね、ダーリン▼」である。彼女は彼との結婚を望んでいる。このチャンス逃せば、いつになるかは分からない。でも、そんな悲惨さを彼に悟られたくはない。そんな心理状態が生み出した、すばらしくスマートな比喩なのである。元の意味さえも分からなくなってしまうほど、洗練された思想がこの言葉に込められているのだ。

 また、彼女は木崎湖を、諏訪湖と言った。これら二つの湖、間違えようのないものをあえて間違えたことから、彼女は彼を確かめたことは日を見るより明らかであるのだ。ここで彼女の言動に対し、彼が苛々とした仕草のかけらをも見せたら、彼女はきっとこう思うであろう。「私を愛していないのね」

 女性とはそう言う点は厳しいのである。一度チェックが入ると、ちょっとしたかすり傷に過ぎなかったものが、いつも間にやら肉を裂かれ骨を断たれるという事態にも成りかねない。実に用心すべき言葉である。

 最後にこの緊張感をほぐすべく、彼女、るみこはきっと、目を潤うるとさせながら、放った言葉は「それでもわたしのこと好き?」という、念押しなのであった。

 さて、ここまで考えて来たことは男子諸君、今の君たちにはもしかしたら無縁なのかもしれない。だが、いつか、このような試練が君の前に立ちはだかる日が必ずや訪れるであろう。その日の為に、君たちよ、熟読しておくがよい。そして、健闘を祈る。

担任雑記No.61

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