担任雑記No.62 「股旅」

 心臓の鼓動が止まりそうな程のベースとバスドラムの織り成すビート。鼓膜が破れるかと思うほどでかく歪んだ(ひずんだ)ギターサウンド。バリバリに割れたボーカル。お世辞にも、クラシック音楽のように心をうっとりとさせてくれるような美しいサウンドやメロディーとは言えない。

 でも、聴衆は心踊り、血沸き、喉が枯れるまで叫ぶ。髪をかきむしり頭を振り回し、拳を振り挙げ、手が熱くなるほど手拍子をおくる。汗が額から滴り落ちる。息が切れる。耳の奥で「キーン」と耳鳴りがする。足がふらつく。

 この充実感 、爽快感。さわやかな歌なんて一つもないのに、じっくり聞けば心 打つ歌詞があったろうに、この暴力的なまでの圧倒的な音圧と音量によって、そのディティールはほとんどわからなかったのに、このすっきりした気分は何だ。

 これが、Rock'n Rollだな。しかも、本物の。そして、かなり重厚な。そして、武骨。ブルースとも言うかもしれない。

  … …

 奥田民生の’97ツアー「股旅」を見てきた。伝説のスーパーバンド「ユニコーン」が解散してソロになってからも、「愛のために」「イージューライダー」「息子」などなど、数々のヒット曲を飛ばす、あの、奥田民生のコンサートである。近ごろはPaffyなどという女の子デュオをプロデュースしたりしているあの民生でもあるが。

 だから、結構ポップス系のミュージシャンのイメージが強いかもしれない。そして、君達中学生から、高校生くらいの年齢層 の若者には、『ありがとう』を井上陽水とのユニットで発表したところで、軟派でよれよれのイメージが定着しているかもしれない。もしかしたら、今ときめく「あの」T.K.族の奴らよりも低い地位に考えている人もいるだろう。まあそれはそれで、その人の音楽性であるから文句を言うことはできないけれど、T.K.族に関して一言自分の個人的な感想を述べさせてもらうとすれば、あの取り巻きはすばり「ワンパターン」と「音痴をARTと言い切ってしまうのは才能か?」である。FM長野の大岩堅一さんもおっしゃっていたが、「売れてしまったもの勝ち」ならなんでもいいんだよなあ。これ以上は本題からずれるのでコメントは避けよう。

… … …

 だからコンサートは楽しい雰囲気で、聴衆を引き付けるコミカルな演出ありーの、ダンスを披露しーの、というような、和やかな雰囲気のものかと思ったのだろう。コンサートに集まった聴衆の7〜8割は、10代後半から20代前半のいかにもミーハーで華奢な姿格好をした女の子たちであった。私としては若い女性に囲まれて気分はそれほど悪くはなかった。人気者の民生であるから、そういう状況であろうとは予想して、(期待して?!)いたものの、あれほど多いとは。しかし、年齢層から見ればきっと私は民生自信の次に歳を食っていそうな雰囲気であったと今思うと少々恥ずかしいと感じている。

 さて、コンサートの展開は、民生自身のMC(曲紹介や進行のこと)であり、彼の生のしゃべりを見ることになるのだが、これがまったく彼はしゃべりが下手クソなのである。舞台に登場してきて一言、目線を聴衆にあまり向けないようにしてボソッと

「ども」。

 そして、「よろしく」と言ったかと思うと、いきなりドラムスのカウントから、激しいギターサウンドが飛び出してきたのであった。曲名は定かでないけれどかなりヘビーな曲であって、2〜3曲一気に、怒涛の如く畳み込む展開。これはもう大変である。昔からの民生のFanであろう、ステージに一番近い席を陣取った彼等にはすでに慣れた展開なのであろう。この音の大洪水の中、大暴れして踊っているところからして、『ぎゃー』とか『イエーーー』などと声にならない叫び声とともに歓喜の表現を全身で示していた。ところが悲しいかな、私の見たところ、途中あまりのハードな曲構成の展開に、いかにも軟派な感じの女の子達は、呆然と立ち尽くしてしまっていたようだった。

 

 とはいえ、一部の真のロックを愛する者にとっての狂気乱舞の約2時間は徐々にエンディングへ。

 一通り演奏を終えて、「ありがとう」と一言残し、バンドのメンバーと舞台を去って行く民生。舞台の照明も落ちてしまった。これで、観客席の照明が明るくなると本当の終演で帰らねばならぬが、そうはさせるマジと、一旦引っ込んでいった彼等をもう一度呼び出して演奏させるべく、聴衆の手拍子は続く。やや長い間があって彼等は出てきた。ま、いわゆる「お約束」のアンコールである。2曲ほど演奏し、惜しみない拍手の中彼等はまたステージを去った。しかし、聴衆は納得いかない様子、さらにアンコールを催促する手拍子。焦らしにじらして、彼等が出てきて、「愛のために」のイントロを奏で始めると、会場は最高潮になった。だれもが拳を振り上げ、手拍子をし、合唱した。あの軟派な姉ちゃんも、老いも若きも見んな一緒に、興奮である。

 そして、「ありがとおー!!」の民生の絶叫に聴衆も満足した様子、彼等がステージから去ったあと観客席に照明が灯り、真の終焉となった。聴衆は呆気ないほど席をたち会場を去っていった。民生グッズを買いあさるために売店に殺到しているためだ。

 私も民生グッズの一つくらい欲しかった。日本手拭が¥500で売っていたので、買いにいこうと思ったが、あの人だかりは私にとっては生き地獄そのものであったため、わざわざそんな過酷な目に遭うこともあるまいと、遠慮した。今思えば、2つくらい買っておけばよかったかな、と弱気である。

 

 県民文化会館の公園は静かだった。でも、「キーン」と耳鳴りが残る。そして、民生の重々しいビートが今だ体を揺らしていた。このロックなノリは、軟派な女の子やおこちゃまにはわからなかっただろう。ガキにはちと早かったのさ。もっと大人になってから聞きにきな。そんな妙は優越感を胸に秘めつつ、疲れ切って、ぐったりとその辺の植え込みに座っている軟派な女の子を横目にわざと元気良く歩いて見せた。本当は自分だって、ぐったりと座り込んでしまいたいくらいだったのであるが。

… … … … 

 人生はRock'n Roll、どう転ぶかはだれにもわからないし、止めることなどできないのだ。これから君たち中学生3年生は人生を決めるかもしれない巨大な難関に立ち向かう試練が待っているが、私がその身代わりになることはできない。君たちの転がり始めた人生は自分自身の手でコントロールするしかない。それが君たちにどれだけ自覚できるかが、この夏休み有意義に過ごせるか、そうでないかを決めるような気がしている。結局信じられるのは自分自身しかいない。

 といったところで、今の君たちには難しい哲学だろう。ロックが分かるようになって、もう一度読み返して見たらきっと何かを感じるかも。いや、そのときにはもう遅いかもしれないな…。

 なにもこんな唐突な、関連ないようなこと付け加えることもあるまいが、コンサートを終えてなぜかフト、頭をよぎっていたのである。それだけRock'n Rollとは奥深きものなりね。演奏している奴はそれほど考えもしないだろうが。

… … … … … …

余談

 民生の数少ない客との会話。

 「ええ、長野といえば、オリンピック。みなさん、準備に大変みたいですが。

 駅を降りたら、(しばらくの沈黙)何にもないですね。大丈夫ですか?

ほんとう、関係各者には聞かせられないなあこの言葉。でも、事実だから、しょうがないか。

これが、彼の長野に関する感想なのであろう。実に端的に、言いえて妙、と思う。

ホームページへ  担任雑記No.63へ

1