担任雑記 No.63 「24時間テレビ」
(長大)

 まず、今回の雑記は、いつにも増して皮肉や批判を込めたものであるので、あらかじめお断りしておこう。全国的に人気があり、感動の渦となって動いている巨大な国民的行事となりつつある(もう20回もやっているのだから、そうなってもいいころだ)行事を批判するのだから、このことについてある種、熱狂的な信望を抱いている人、または、この日のために小銭などこつこつとため、そのテレビ番組に釘付けになっていた人にとっては、全くもって失礼千万な記事と受け取られることを敢えて覚悟している。そのことを了承していただきたい。

 1997年8月23日午後7時から24時間、日本テレビ系列の企画として、「24時間テレビ」という、募金集めを中心とした番組が放映された。今年で20回を数えるこの行事は、やや年賀状やお盆の帰省ラッシュのような、国民的な行事となりつつあり、この放映によって多くの国民が感動の嵐の渦に巻き込まれている。

 さて、今年のテーマは「勇気をだして」。企画のメインは、「障害者」であるらしく、さまざまな「障害」を持つ人々が「勇気を出して」海を遠泳したり車椅子でパラグライダーをしたり、人気タレントが24時間のマラソンをしたり、それらを励ますカラオケをしたり、と、バラエティーに富んでいる。24時間、たいへんな企画が目白押し、さぞ準備に時間がかかったのだろう。皆出演者は同じ黄色のTシャツを着ているところからも、気合いのいれ方が伝わってくる。

 その企画のなかに、脳性麻痺で体の自由が利かず、ほとんど自力で歩くことができない少年、「ともきくん」の挑戦、というものがあった。

 彼は、ご両親はもちろん、彼のリハビリに立ち合った人や、周りの応援もあって、彼は果敢にも富士山の自力登頂に挑戦する。5合目から、中腹の山小屋に一泊して翌日の午後3時ごろの到着予定で山頂を目指すという。

 彼、ともきくんはほとんど足を動かすことができないので、両足にはギブス、両手には杖を持つ。ガレキの富士山登山道は、一般の「健常者」にとってもかなり辛い道(八ヶ岳に比べればたいしたことはないが)であるから、ともきくんにとってはわれわれからでは想像もつかない辛さであるに違いない。そこをあえて登頂に挑戦するのであるから、思わず心から「がんばれよ!!」と応援する気持ちが生まれるのは、当然なことである。

 さて、私はその出発の中継放送を23日午前7時に見た。いつも見る日本テレビの番組の中でそれが紹介されていたからだ。両親、リハビリ担当者、タレントや撮影スタッフに囲まれ、スタジオのアナウンサーに励ましの言葉を背中に受けつつ、ともきくんは出発した。そのたどたどしい足取りと、周りの、特にタレントのたどたどしい支え、といった映像を見ているうちに、ともきくんが無事頂上に立ってほしいという「激励」の気持ちをもった。が、その中継が終わり、1日半、全く記憶の外になっていた。

 翌日、たまたまつけたテレビに映ったのは、大型肉体派タレントが、ともきくんを背中に背負って、頂上まであと150メートルという地点の映像であった。スタジオの司会者、タレント、集まったギャラリーからは、盛んな声援を送っている。「頑張れ、がんばれ、もうすこしだ」と。すると肉体派のタレントは膝の古傷が痛みだしたのをこらえている様子が十分伝わってきたが、それでもその声援に答えるべく、苦渋な表情を浮かべ、眉間に皺を寄せつつも、彼を頂上に担ぎあげてゆく。背中のともきくんのにこやかな表情が実に対照的であった。これはさらに心にググッと迫る映像だ。リアルタイムの予期できぬ映像に、時として本物のもつ迫力を感じ、心が震えるあの感覚である。

 が、その大物タレントはさすがに耐え切れなくなり、残り50メートル地点でギブアップ。彼を背中から降ろすときの歪んだ顔は、視聴者の心をゆさぶるにさらに効果的だった。

 ともきくんは、自分の足で登頂をする、と言ったのだという。周りの支えや、スタジオからの声援、そして、本人の頑張りによって、彼は無事(と言うよりもいくつもの難関を乗り越えてがただしいのか)、富士山のゴール地点である頂上にたどり着く。思わず抱きつくお父さん。スタジオの熱狂、涙を流す出演者たち。ぼんやりと画面を見つめていても思わず涙があふれそうな、すごい演出の映像であった。

 さて、彼等は休む暇もなく『登頂成功の暁には』、と用意されていた企画が始まった。ともきくんがご両親にあてた手紙を読む、と言うものだ。肉体派タレントがたどたどしく読み始める。すると、ともきくんは、両手で耳をふさぐしぐさをする。彼は照れているのだ、しきりにその場から逃げ出そうとする。しかし、逃げ出されては良い画(え)が中継できないので、必死に周りのサポート隊の人は彼を抑え込んでいた。彼は照れているのにも加え、もっと大事なこともあったにもかかわらずである。

 そして、スタジオやギャラリーの感動のなか、当然のごとくともきくんの感想をもとめる。ここで、彼が「がんばりました、」とか、涙で声にならない、などのだれもが期待する行動とはうらはらに、『おしっこいきたい』と言った。

 周りのものは一様に困惑した様子、その彼の訴えを無視して、それ以上彼にはなにも聞くこともなく、スタジオに画面は移って、励ましのカラオケになったのであった。

 まず言いたいことは、頂上間近にして周りや遠くからの「頑張れ」という声援のなかに、何故『ゆっくりでいいから、もうすこしだよ!!』という言葉が出なかったのだろうか?目標達成成功は明らか、焦る必要はない、むしろ体の体調を気遣うのが本筋だろう。

 考えられることは、これは放送の構成から行けば、午後3時に着く予定のものが大幅に送れたことが関係する。つまり、放送の演出上、早く頂上に着いてほしいのだ。

 もう一つ、あまり『頑張れ』とはやし立てて欲しくなかった。『頑張れ』という言葉にはいわれたものに対しての言い知れぬ『プレッシャー』が含有されている。だから、あの肉体派タレントは膝を限界以上に酷使してまでも急がねばならないよう追い込まれたのだ。あの場面、だれもが頑張っている。あたりまえのことをさらにあおるように浴びせる「がんばれ」の言葉。成功したからいいようなものの、あそこで万が一のことがあったら、「がんばれ」と声をかけた者はどのように責任をとってくれるというのか。

 そして、頂上でのおかしな演出。彼は照れて照れて仕方がなく、自分が書いた両親あての手紙を聞こうとしない。まあそれはそれで微笑ましいとして、「おしっこしたい」という彼の表情からは照れだけでなく、本気が混じっていたようだ。

 何故すぐに彼の要求をに答えなかったのだろうか。それはわかっている。さきほどから再三述べている「放送上の演出」なのだ。視聴者の感動をさらに増幅して、この企画が印象深く、しかも末永く後世に伝えられるためには、彼にはまだ画面の必要物なのだ。

 だが、演出家の思惑とは全くはずれて、彼は本気であの場面から逃れ、一刻も早く用を済ませたいという表情が、手をとるようにわかってしまった。

 まるで拷問のような2日間であったであろうこの富士山の登頂劇、彼にとって我慢しなければならないことは山とあったはずだ。そして、彼はあの不自由な足を引きずりながら同じ道を『下らなければ』ならないのだ。まさか、富士山頂上まで、迎えのヘリコプターをよこすほど予算がある番組とは思えない。そんな過酷な道のりを、まだ小学生の彼にはまっているのだ。そんなことまで考えず、視聴者は勝手に「感動」と「勇気」を与えられたような気分になっているのである。

 ともきくんのほかに、車椅子でパラグライダーに2度挑戦した男性は「私が挑戦したことによって、多くの障害者の人が(パラグライダーに)勇気を出して挑戦していってくれたらうれしい」といった。たしかにその通りだ。障害をもつ人がほかの健常者とともにスポーツを楽しみ、ショッピングをし、登山をし、学習し、職業につく。それには勇気がいる。今の日本の社会には、障害をもつ人々が普通に暮すためには「勇気」を出さなければ駄目なのだ。そんな状態にあるのが日本の現実。

 パソコン通信で知り合った人のなかで、「視覚障害」をもつ人がいる。彼は私のホームページを読んでくれて、電子メールで感想を寄せてくれた。私も彼のホームページを読んでみた。ジョーク好きで実に明るく、自分のありのままを口語調で書かれた日記などで構成されているページだったので、「あなたは本当、前向きに生きているところがすばらしい」と返事を書いた。しばらくして、彼のホームページに私が書いた感想のことが載っていた。「ある人がぼくのことを『前向きに生きている』といったが、本当はそうではない。後ろ向きにいきているのに・・・」と心の葛藤を記してあった。

 彼は目が見えないので、文字を読むことも、写真をみることももちろんできない。だから、コンピュータの力によって、文字を言葉(音声)に変える方法によって、パソコンを操る術を身に着けている。しかし、大学4年生で就職をしなければならないこの時期に、視覚障害ということで、就職はかなり困難をきわめている状態らしい。ホームページを読んだところによれば、コンピュータ関連の仕事に就きたいという希望があるが、うまくはいっていないらしい。この文明が進み、コンピュータが浸透している社会だというのに。彼がその希望をかなえ、ハンデを感じずに健常者と対等に勝負できる世界はいつ来るのか、24時間テレビの募金によって何とかならないものだろうか。

 日本には障害をもつ人をまるで拒絶するようなデパートや公共施設(わが篠ノ井西中学校だって、論外ではない)が多すぎる。長野駅や篠ノ井駅は何故橋上駅の構造にしてしまったのか?エレベータがあるにしても、そこにたどり着くまでの歩道がたいへんだ。駅前に限らず、長野市の繁華街は、視覚障害をもつ人や車椅子の人、歩行に難儀する人が歩くには、放置自転車や歩道にまではみ出した商品かご、段差のはげしい歩道など、あまりに配慮がなさ過ぎる。本当にオリンピックが来る街なのか?

 24時間テレビによってものすごい数の募金が集まり、長野市の会場となった若里公園周辺はすごい渋滞に見舞われているという。そこまでして募金を集める気持ちがありながら、何の変化も、実績もなく、国内には目を向けず、海外の貧しい国々や医療の遅れている国に学校や病院を建てまくって、さぞ、日本テレビスタッフはご満悦であることだろう。

 そして、こつこつとこの日のためた小金を募金した皆さんも、「ああ、哀れな人々にちょっとだけど募金できたわ」と「施しをした」優越感を感じているだろう。

 だが、20年もやってきて、なにも進化しない、ただ感動を求め、「愛ダ」「愛よ」と大騒ぎやお祭り騒ぎするのもいいかげんにして欲しいと思う。どうせこの24時間が過ぎればあとは何事もなかったかのように日が過ぎて行くに違いない。

 募金を集めるのなら、まず自分のすんでいる社会をしっかりとしたものにするためにそれらのお金を有効利用して欲しいものだ。少なくとも、今年、取り上げた「障害者」の皆さんが「勇気をだして」何かをしなければ何もできないという、社会環境が変わるようなことをして欲しいのだ。

 こんな素晴しい募金集めがただの民間放送局1社とその系列局の範囲内でしか展開されないのは、局のイメージアップを前提にしているのが明らかだ。本当に募金を有効利用して、社会に貢献し世界平和に役立てようと考えるならば、他社も協賛して、もっと全国規模の大きな展開にするはずだ。

 政治や行政が信用ならないこの日本社会において、民間の力は大きい。日本を変えるのはそういう力しかない。だが、それに気付いていないのが今の日本社会の現状なのだ。

 そして、今年もそのお祭り騒ぎが終わろうとしている。

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