担任雑記 No.7「環境に優しいこととは」
地球の温暖化やオゾン層の破壊、必要以上の森林の伐採、酸性雨などなど、我々の住む我々自身の地球を我々自信が壊しつつあるという現実を今我々は本当に実感を伴った現実として受け止めているだろうか。
我が日本は四方を海に囲まれたちっぽけな島国であり、国境線を渡るということは一度もなく一生を終えてしまう人がたくさんいるという特殊な国である。だから、「井の中の蛙」となりやすく、日本という国がどんな国なのか、また逆に、回りの国々がどうなっているのか、伝わりにくいというハンデをもつ。だから、例えば南米のアマゾン川流域や東南アジアの広大な、しかも貴重な森林がいとも簡単にどんどん消えて行くという現実を、紙芝居でも見ているが如く、いや、どこか地球以外での空想科学映画をのんびり鑑賞するが如く、茶の間でお茶をすすっているが関の山である。いや、もっと辛辣な言葉を使わせていただくと、環境の問題に耳を傾け、目を向け、防ごうとアクションを起こす程生活にゆとりや余裕がないと言っても批判はされまい。事実、自分がそうなのだから。
さて、昨年の夏に妻と私でヨーロッパに旅行するという幸運を得た。この際だから思い切ってと、スイス人の妻の友人を頼って、日本人がほとんど行かないようなスイスの山村を回り、観光させてもらった。移動手段は自動車であった。ヨーロッパの交通事情はすばらしく日本で言う高速道路も無料。ほとんどの自動車が140キロオーバーでビュンビュンとばしている。したがって、交通渋滞など皆無。至って快適な旅をおくることができた。スイスは長野県とにたような山岳路が多いので、くねくねと曲がる道に「何か地蔵峠みたいだなぁ」などと一種の懐かしさを覚えながらも、黒々と生い茂る森の陰からワッと現れるスイスアルプスの巨大さ、雄大さに、美しさに、「ここは大陸なんだ」とスケールのデカさを思い知らされギョッとしたりした。
運転は妻の友人の恋人マーティン。やせ形であるがガッチリとした体格、ちょっと後退した髪とダンディーな髭、いかにもヨーロッパの人ってかんじ。優しいまなざしに妻の友人ハイディは惚れたんだろうなーと余計なことを考えていた。が、一度ハンドルを握ると、ただでさえスピードが出るようにできているヨーロッパの乗用車が、レースカーに早変わり。恐る恐る運転しているマーティンの顔を見ると、眉間にしわを寄せ、目は血走らせ、口は真一文字に結び、般若の形相だ。日本の道路よりも1,5倍程広い道幅のくねくねした山道のコーナーの連続を、ひょいひょいと言った感じで擦り抜けて行く。華麗なハンドリング、シフトさばきである。こんな環境だから、レーシングドライバーはヨーロッパ人が多いのかとまた余計なことを考えながらも納得。さぞかし、燃費悪いんだろうなと思っていた。ところが、で、ある。2日間の日程で約500キロ以上走ったはず。給油した回数は0回。我々と彼らが別れてもなお、給油する気配はない。驚異的な燃費である。ヨーロッパの乗用車の優秀な性能を目の当たりにした。これには幾つか考えられることがある。彼らの環境に対する考え方の水準の高さだ。
きれいな水、豊かな森。雄大なスイスの自然。周りはオーストリア、フランス、ドイツ、イタリアなどに囲まれ、いつ責めて来られても不思議はない国スイス。これを守るのはスイス人自身でしかない。隣のドイツやフランスの豊かな森も、自動車から排出される「窒素化合物」がもたらす酸性雨の深刻な影響で、壊滅的な状態だと言う。この美しい環境を一度壊してしまえば、もう二度と再生できないことを彼らは身をもって知っているのである。だから、自動車から排出される「窒素化合物」をなるべく出さないように燃費を押さえ、自動車に乗っている時間を少しでも短縮しようと道路の整備に力を注いでいるのだ。
そして、日本では絶対お目にかかれないことを彼らはやっている。それは、信号待ちでエンジンを切るのである。「えっ、こんなところでエンジン止めちゃうの?」町中の踏切のわずかな信号待ちでも、キーをオフにしてしまう。マーティンの車だけでなく、みんながみんなやっている。そういえば、雑誌で読んだことがある。確かドイツで、車が静止している状態でアクセルから足を離すと、車が勝手に判断してエンジンを止めてしまう。そして、アクセルを踏むと、勝手にエンジンがかかる車を開発したと。そのことを彼らに話したら、今やヨーロッパでは常識のことだと言う。一瞬慣れないことで、とまどってしまったが、信号待ちでの不快な排気ガスの悪臭がなく、騒音も減り、実に快適であることが分かった。そして、こういった小さな努力を積み重ねることで、快適で、貴重な自然を守ろうとする彼らの姿勢に感動してしまった。
こんなことがあって、影響を受けやすい私は帰国後早速実行に移すことにした。どんな小さな信号待ちでもぱちっとエンジンを止める。さすがに始めは抵抗があり、「やっぱりやめようかな」などと弱気になったりした。でも、「環境保護のためだ、恥ずかしくなんかあるもんか」と勇気を振り絞り、車のキーをひねってエンジンを切る。不思議そうに周りの車のドライバーが私の顔を見る。私はちょっと得意げな顔をして、「ヨーロッパじゃこれは常識なんだよっ」とつぶやく。くじけそうになる気持ちを何とかそれでつなげて、帰国後最初の給油するときが来た。走った距離を入った燃料の量で割る。すると、今まで1リットル9キロ走れば上々だった我がベンツが、何と、12キロ〜13キロまで燃費が伸びたのである。これは脅威である。環境に優しいだけでなく、自分の懐にも優しい、まさに一石二鳥の事だった。もう周りが何と言おうとも、やめられなくなってしまった。恐らく長野市で私1人しかこんなことをやっていないと思う。だから、皆さんもやってみましょう、美しい長野の自然を守るために。