担任雑記No,8 「雨上がりの日」

 人に怒られることはいやなものである。自分に非があって怒られることはある程度仕方が無いにしても、怒られた後の何とも言えない沈黙と心の葛藤、動揺は、自分に手落ちがあればあるほど心の奥底まで深々とズシリ響くものである。

 わたしは両親によく怒られた。教師である父、教師経験のある母をもち、言わば世間の注目を受けやすい立場にいたので、わたしたち兄弟に対する躾は厳しかった。普段からよくわたしを怒鳴りつけていたのは専ら母でありこわい存在であった。めったに父は怒らなかったが、そうさせてしまった時は言わば「最終兵器・発動」であった。

 その最終兵器を初めて体験したのはわたしの記憶が正しければ、小学校4年頃だった。ちょうど今の時期、梅雨に入り立てだったように思う。梅雨のどんよりした曇り空を見るたびに、黒い雨傘と父のげんこつを思い出す。それは生まれて初めて自分だけで使える雨傘を買い与えてもらい、雨の降る日はウキウキしながらぴかぴかの雨傘をさして登下校をしていたころのことだった。

 午前中降っていた雨が午後になって止んだある日、友達と帰り道を歩いていた。どんよりした曇り空で、なんとなくいつもと違った雰囲気の漂う帰り道だったように思う。そんなときは普段なら気にも止めないものにまで気が回るものである。例えば、たんぼの中の水草だとか、水たまりに沈んだスナック菓子の包み紙など、どうでもよいものを引っ張りあげたりつついたりしたくなる。この日も例外ではなかった。

 雨傘を持ち歩いていたので、手当たり次第ものをつついて歩いていた。すると、ふといつも通り過ぎるお寿司屋さんの駐車場で、ごみを燃やしていたのを見かけた。何かいつもよりも勢いがよく、炎が真っすぐに、高く上っていた。なぜか煙は出ておらず、炎だけものすごい勢いだったように記憶している。ブロックを積み上げただけの簡易焼却炉で、燃やすものを上から投げ込む方式になっていた。段ボールなどがはみ出ており、中途半端な感じがとても気になった。わたしはどうも小さいころから炎を見ると血が騒ぐ性分のようで、その焼却炉の炎を見てもっともっと勢いよく燃やしたい衝動に駆られた。そうするには、燃料を補給するのが手っ取り早い方法である。友達とそこらに散らばっていた紙や段ボール、新聞紙を手当たり次第突っ込んでいた。当然炎は勢いを増す。また、燃え盛るごみをかき回せば勢いが増すだろうという本能的な直感があり、引っ掻き回してみた。案の定、火の粉を撒き散らしながらさらに勢いよく燃え盛った。

 ある程度燃え上がったら、自分としては満足したので、その場は退散し、帰路についた。学校から家まではほぼ一直線、15分もかからずに家についた。

 いつものとおり、家に荷物を置いてから友達のところへ遊びに行った。5時頃には家に帰らなければならなかったのだが、遊びに夢中になり、気がついたら5時を回っていた。5時をちょっとでも過ぎると母は小言を言う。毎度ながら、やっぱり母は怖かったので、あわてて家に帰った。帰る途中、頭の中では母に小言を言われる映像が走馬灯のように流れており、自転車を全力でこいででる汗とは別に、母の顔を想像しただけで額から脂汗が出てくる。びくびくしながら恐る恐る玄関を開けた。

 玄関と居間がすぐつながっている。そこには父が鋭く威圧感のある視線をわたしに向け座っていた。何か重苦しい空気が流れる。しまった、父を怒らせてしまったと、直感した。父は遅く帰って来たことには一言も触れず、黙って視線だけを別に向けた。父の視線を追う。たどるとわたし専用の雨傘が開いて置いてあった。何と、傘の真ん中のところに穴が空いていた。頭の中が真っ白になり、血の気が音を立てて引くのが分かった。

「どうしたんだ。これは。」低い声でうなるようにたずねた。

「…。」恐怖で声にならない。「…。」するとそれが父の気に障ったらしく、

「黙っていちゃ分からない、はっきりしなさい」とちょっと強い口調で再び聞いた。 「知らない。」こう答えるしか他なかった。記憶の中に思い当たることがない。

「そんなことあるかぁ!!」一発目。右のほっぺたに炸裂した。

「!!!」父の豹変ぶりに言葉を失い、頭の中はパニック状態だ。

「お前の傘だろ、お前が知らないはずがあるか」父は強く、はっきりとしっかりとした口調で確かめるように聞いた。

「えっっとぉ…。」何とか記憶の中から引っ張り出そうとしたが、混乱の余りうまくできないし、言葉もままならない。完全に上の空。すると、

「バカモノッ!!」二発目。左のほっぺたに炸裂した。

「!!…。」意識がそこで戻った。あ、あのときだ。帰り道、焼却炉で遊んだあのときだ…。

「帰る途中で火であそんでいたときに…」一部始終を懸命に答えた。

「何だとぉぉっ!!!」三発、四発。わたしは障子にぶつかり、玄関に転げ落ちそうになった。「そこで反省していろ。何のためにお前に傘をやったのか、そして、その傘にお前がどういう仕打ちをしたのか解るまでな。」

 父の「最終兵器・発動」は完了した。わたしの心の中は動揺と自己嫌悪、やり場のない気持ち充満し、はちきれんばかりだった。母はそのとき、厳しい視線でわたしを見つめ、瞳に少し涙をためていた。その視線が肌に痛かった。

 家族で夕飯を食べている。わたしはそれを目の当たりにして何もすることができない。もちろん腹は減って我慢できなくなってくるが、それは自分に与えられた試練であると本能的に察知し、耐えるしかなかった。どんなに腹が減って辛くても、穴の空いた雨傘を元に戻すことなどできない。それを実感すればするほど、空腹感が大きくなる。でも、こんな仕打ちをした父に恨みや嫌悪感を感じることなどなかった。今思うと、この荒療治で幼いわたしは、父に恐怖を越えた畏怖を感じ取っていたかもしれない。

 父は優しいが強い偉大な人だ。わたしはその父と同じ道をたどっている。自分に子供ができたら、そんなことができる人間になっているのだろうか。

 雨上がりのどんよりした日にはいつもこんなことを思う。

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