1997.7.31Tue.
1日目 長野-->東京-->L.A.-->San Diego 昨夜、旅には欠かせないカートが無いことが判明。平塚の実家に有ることも判明。マキちゃんに貸したまま、忘れていた。
一時、成田で買えばよいと言う判断もあったが、一番大変なのは、成田へ行くまでの道程。あの重い、キャスターのついていないスーツケースを手で持って行くなんて、とうてい考えられない。いや、考えただけでもぞっとする。それを思えば、平塚まで取りに行くなんて、屁でもないと思っていた。
時間は31日になろうかという。とりあえずマキちゃんに電話して、いまから取りに行くことを伝えてもらう。しかし、大反対にあった。それもそのはず、真夜中の高速道路、やや酒も入っている。美保が見せた涙に負け、翌日の朝早くに取りに行くことにした。何とも、トラブルの多い旅のプロローグである。夜が明けて。美保が5時に目覚ましを掛けていた。ガバと起き上がる美保。俺は起きられなかった。が、その勢いとやる気に感銘を受け、重たいまぶたを強引にこじ開け、パワーオン。カートを取りに行こう。
一人で行くつもりであった。が、アサガオの面倒を見てもらうために、それをもって美保も一緒に行くことに。まだ眠気の残る朝の国道18号線は、あの美しい青を雲間から見せていた。
上信越高速道路の1車線区間はつらいものがある。とろとろと走っているトラックを追い抜けないストレスは大きい。でも、事故の方がもっと恐ろしいことを考え、やや押さえ気味に45分、佐久市平塚に到着。平塚の実家は朝が早い。お茶をいただき、とんぼ返りに帰路に着く。こんなことやって、ますます平塚のお爺ちゃんやお婆ちゃん、お母さんに心配を掛けてしまった。「きづいてけや」お婆ちゃんがいつものとおり声をかけてくれた。いつも帰るときはこう言って私たちを見送ってくれる。ありがたいことです。帰路は快調である。120キロ巡行ができた。前方にほとんど車が居ないのは上信越道では奇跡に近いと言ってよい。が、問題は国道18号線に入ってからである。川中島古戦場からは朝のラッシュであった。ああ、計算に入れなかった。いつも横目にみて、「大変じゃ」と気の毒がっていたあのラッシュに自分がいまこんなことではまっているとは。高速道路30分に対し、18号線、45分。何たる奇妙。
さて、自宅に到着8時。すぐにカフェオレを作り、ややカビのついたパンを焼いて、残り物の卵を目玉焼きにして焼く。この間約10分。牛乳が残ってしまった。冷蔵庫に保存、なんとかなるか?
シャワーを浴び、着替え、9時4分のバスに乗るようにやや焦り気味の準備。美保はシャワーの後化粧。こういうとき女性というのは大変だ。男と同じペースで行動できない。その点、美保はよくやっている。
準備オッケー、鍵を掛けバス停に向かう。が、美保が花に水をやりたいと急に言い出す。そんなのあきらめろと言うが、また泣きそうな表情。ああ、この表情にこの旅はコントロールされてしまうかも、弱い予感が・・・。別に悪い意味ではないけど、この緊急時はちと、困った。
1分ほどして飛び出てくる。バスの時間には間に合いそうだ。ところが、9時10分すぎてもバスは見えず。トンガリオチチのOL(予想)に目を奪われつつ、タクシーが目の前を通りかけることを祈る。空車と出しておいて客を乗せているタクシー発見。近くの病院に入っていった。一応手を振って合図をしておいたのが効いて、そのタクシーがこちらに向かってやってきたのをすかさずGet。ああ、安心した。
が、「結局タクシーか」と口走ってしまったのに美保の鋭いチェックが入る。自分としては、「ああ、最初からタクシーに乗れば確実であったなあ」という意味を込めたつもりが、そうは受け取ってくれなかったらしい。タクシーの運ちゃんはそういえば一言もしゃべらなかったなあ。気を悪くさせてしまったのか?もしかして、僕の失言のせい?イヤイヤ、無口な運ちゃんなのさ。駅には美保の長年の生徒さんでもあり、友達でもあるミキさんや、サナエさん、イズミさんがおられた。ミキさんのお見送りらしい。ミキさんはカナダへ半年の語学研修だ。同じ時刻で行くらしい。ああ、彼女はハッピーであるなあ。髪の毛を茶色にして、軽い感じにした所からも、彼女の軽いウキウキした気持ちがうかがえる。俺も一年くらい、パリやヨーロッパ全土をのんびりと美術館三昧したいなあ。
で、列車は自分は1号車、ミキさんは3号車ということで、成田までは逢えそうに無いので、おさらば。ぜひ、実のある楽しい研修にしてきてくらはい。L特急あさまとして上り線に乗るのはおそらく人生のうち最後の事であろう。今日はすごく快適である。新幹線に乗っ取られる最後の輝きに思えて、やや郷愁をそそる。ただ、新幹線の名前に「あさま」が残ったのはちょっとうれしい。北陸新幹線を走る車両だから、白山とか、兼六園なんて名前になったら、やや悲しいな。
後左に教え子がいる。いま高校2年。背中半分丸出し。保健委員長やった女の子だ。真面目の権化のような女だったのに、いまは東京の尻軽女のようになっちまった。いったい高校で、何を学んでたんだ?遊び方を学なら、大学へ行ってからにしろ。あまりにも過激な服装と、中学校時代の面影とはまるでかけ離れた今の姿。ああ、わがDandy'sの女どももこうなってしまうのかな。真面目な奴らほど、変化が激しいのかもしれない。変身願望って奴かな。しかもこいつ、東京へ何しに行くのさ。もしや、もしや?
ああ、カミサマ、まよえるコヒツジをこれ以上悪のフォースの道へ引き込まないでください。
そういえば、読みかけのスターウォーズを持ってくるの、忘れた。
京成に乗った。13:32発すいている。東京は曇り。暑くない。ムシムシもしない。冷夏は 本当か?
今日(7月31日)のプラン(京成ライナー内で考えた案)
1:ユニバーサルスタジオ近辺に宿が取れたら。
11時まで、ユニバーサルスタジオで遊ぶ。2:マリナ・デル・レイまたはベニスビーチ近辺で宿が取れたら。
8月1日7時にユニバーサルスタジオ入り。16時迄。その後、北上、または南下。その時の気分で。(いまから恐ろしい・・・)
でも、案としては悪くないでしょ?グリフィス天文台に行きたい。夜。明るいうちに入って、夜景を見たいの。美保のそんな一言が、この旅を決定して行く。が。たぶん、このままでは済まないだろう。3:両方とも宿が取れなかったら。
南下する。つまりSan Diegoへ。いすれにせよ、レンタカーを運転するのは俺さ。考え込んでもしょうがない。あと2日は欲しいそうだけど、もうしょうがないのさ。なるようになる。本当の自由な旅行がわたしたちの目の前にはアルのだア。ワハハハハハハ
17:45ほぼ定刻に離陸。
座席は39D,E。真ん中の左。スクリーンが近いし、トイレも近い。なかなかグッドな位置である。翼のちょうど真上なので、あまり音も気にならない感じか。美保がまた計画を変更。すぐにSan Diegoへ向かおうと言ってきた。そうか、それもよかろう。とくに乗客におもしろそうな人は居そうに無いので、何を書くかはわからないけど、気がむいたら書くこととしよう。電池が終わると警告がでて、結構時間経つが、まだまだ大丈夫らしい。
今日は長い一日だ。日本ではすでに日付は変わっているのに、現地ではお昼前。いま、朝食をいただくところだ。美保は歯が痛いとノタマワッテおるが、だいぶよくなってきたようだ。たぶん、気圧の関係か、長時間の椅子に張り付けにされたために起こる腰の痛みもホテルを探して休めば、なんとかなるであろう。
なぜか美保は「ブーケの作り方」なる雑誌を持ってきて読んでいる。暇つぶしにはもってこいだけど、これはかさばると思うのだが。でも、この11月に結婚する妹のマキちゃんのために一生懸命作りたいと言っている。姉として十分すぎるほどよくできているなあ。感心した。
わが弟の淑が結婚するときはどうなんだろう。今朝、平塚から長野に戻るときに高速道路上で美保と話題になったのだが前の群馬の彼女は母と趣味が合わなかったらしいので、オジャンになった。それを教訓とするか、それとも我が道を行くのか。身内のことながら、スキャンダリスティックに興味を駆り立てる。教員と結婚すれば実家については問題なし。今トレンドの「事務の新卒ゲット」だと、おもしろいかも。などなど、色々詮索したけど、今のところは予定なし。教員にめでたくなれることをいのるしかない。俺がブーケを作ることなどないが。などとらちもないことを考えさせる、9時間に及ぶフライト。飛行機はまったく揺れも感じさせずここがまるで地上であるかのような安定感で、快調に太平洋を飛んでいるらしい。一番安全な乗り物は飛行機だといおうが、死亡率が高いのも飛行機である。その表裏一体となった異様な緊張感を感じさせないこのフライトは、まさに奇蹟的なものなのだろうか。
L.A.time10:45 現地到着予定は11時35分とのこと、現地は曇り、気温は20度だそうだ。うう、乾いた大地、青い空に出会えないのかなあ。
気持ちの高まりを感じる。これからは予定なき旅の始まりだ。車がすべての7日間になるかもしれない。うう、期待に胸踊らせて、俺はあと50分後にL.A.に立つ。それにしても、トイレは込んでいる。結構今現在つらいものがある。でも、我慢しよう。
茶髪にしようかなあ。ああトイレが混んできた。ちょっとタマランものがある。我慢我慢。評価の高いサービスであったフライトが無事終了。レベルの高いスッチーともお別れ。ロサンゼルスにほぼ定刻に到着。現地はまばゆいばかりの強い日差しと乾燥した大地であった。が、思ったほど気温は高くなく、もともと湿度も低いので、日陰は逆に寒い。ジーパンでちょうどよいくらいの気温だ。身仕度を整えて、レンタカーシャトルを探す。
レンタカーシャトルのシステムは本当に便利だ。自動車なくては語れないアメリカ社会を象徴しているこのシステム、多くの利用があるから、レンタカーステーションと空港の間をしょっちゅうバスが回っている。一年前に利用して、実に大きな感銘を受け、今回もお世話になる。すぐにシャトルが着た。
そうそう、入国審査やバゲッジクレイムなどなど、オリンピック開催期間と重なった去年とは比べものにならないくらい早く済んだので、レンタカーステーションへはお昼すぎには到着、30分後にはフリーウエイに乗っていた。問題はそのレンタカーである。
ハーツの受け付けカウンターの一見やり手そうな黒人の小母さんの窓口に呼ばれ、予約確認。必要書類等々の申請(と大げさなものでもないけど)から、車種の選定に入る。日本ではあらかじめ一番低いクラスの一番コンパクトな奴。と決めて予約しておいたから、それを変えるつもりはないのだが、
「もう5ドル@一日だせば2クラス上の車が借りられるけど?」
と指し示したのは、日産サンティア(サニー)、スバルなどの日本車。うう、アメ車でいいのに、と、くびを横に振る。美保が
「彼はアメリカの車に乗りたいの」
といってくれた。それで、やはりちょっとドライブを多めにしたいという気持ちもあってか、馬力のある、ストレスの感じないフォードの2ランク上のセダンに決めた。後は配車を待つばかり、ところが、小母ちゃん、なかなかキーをくれない。しばらくして、別のカタログを出してきて、同じ値段でこれにしないかという。それは。
「フォード/ムスタング」黒。3.8L,V6。
GTではないから、5リットルのスーパーファットな重低音は聞けないが、日本で乗っている車のほぼ倍の排気量の車だ。
値段は倍以上に跳ね上がるコンバーチブルを勧めているのかと一瞬ためらったが、違った。美保はカセットプレイヤーがついているかと尋ねると、「もちろん、多分ね」ええ、本当かよ。まさか、ロボコップテレビ版の車に本場アメリカで乗れるとは。
はたして、指定されたグリッドに、黒い疾走する馬、ムスタングが俺達を待っていた。低い車体。ファットなタイヤ。リヤウイングこそついては居ないもののそれはまさに画面のなかにでてくる、「ロボコップ」の愛用するスーパーカーそのものである。シートに身を埋める。やや小振りのシートバックであるが、うまく背中の丸みとマッチして、私専用にあつらえたかのようだ。キーを回してエンジンに火を入れる。拍子抜けするほど静かな音。が、回転数が低い、大排気量車特有の低周波が体に響いてくる。心臓の鼓動が高鳴る。思ったほど車幅は広くない。あのサンダーバードのような下品なまでに広々としたアメリカ車っぽさはなく、ちょうどよい取り回し、といったところか。アクセルとブレーキリリースの微妙な調節で、黒い馬はゆっくりと動きだした。これは暴れ馬ではなく、驚くほど素直で賢い奴だ。フリーウエイ5番線を目指す。フリーウエイまでの道へはやや遠回りしながらも、5番線に入った頃には黒い疾走する馬は自分の手の内に入っていた。
これと過ごす7日間。素晴しいドライビングライフが、私の目の前に開けている気がした。
フリーウエイの交通量は半端なものではないが、だいたい65マイルで巡行すれば快適。だんだん慣れてくると、70マイルでも十分だ。オートクルーズ機構のおかげで、アクセル踏みっぱなしという、余計なストレスが無い。アクセルとは無縁のフリーウエイ巡行は、実に快適!!そのものだ。日本の高速道路ほど緊張と冷汗の連続である道は無いと、実感した。
が、ひとつ予想どおりのことが起きた。美保が気合い入れて録音した名曲の数々をカセットで流すと、やたらと甲高く、笑いを誘うボーカルが。パフィーは叫び、TUBEはこれ以上出ないような高音で歌う。つまり、回転数が高いのだ。きっと電圧の違いから生まれるのだと思うのだが、仕方の無い事だ。美保の気合いは一気に萎え、一通り聞いたら、ラジオに切り替えた。それ以降、一度もそのカセットは聴かなかった。マ、多少の誤算はあったものの、実に快適に、何のストレスもなく、フリーウエイをひたすら南下し、サンディエゴを目指した。
途中、DelMarというビーチで下り、昼食。オープンエアーのテラスに座るもあまりの日差しの強さにちょっと耐え切れなくなり、中に入って食事を採った。カリフォルニアの乾いた風、気持ち良く波と戯れるビーチの人々。この向こうに日本があるのだよ。まさに別世界だ。健康的なビーチの風景。いい。実に良い。
美保の留学していた8年前はもっと小さい町だったそうだが、ずいぶん整備され、拡大されて、観光地化された可愛い町になったという。時間の流れを彼女なりに感じているようだ。16:00頃、サンディエゴ到着。ダウンタウン、美保のすんでいたアパートの真前にあるモーテルに泊まる。なにかトラブルらしいことがあったらしいけど、65ドルという安さ、この設備なら文句は無い。
さっさと決めて、一息吐いて、町に繰り出した。長い長い7月31日の夜はサンディエゴの海岸で更けて行く。考えて見れば飛行機に乗っていた分は長いわけだ。思ったほどに疲れはないし、大きなトラブルもない。良い旅ができそうだ。
今後の予定決定(この日現在)8・1:サンディエゴ一日観光(宿泊)サンディエゴ
8・2:ラ・ホイヤへ。(宿泊)ラ・ホイヤ
8・3:ワインカントリー(パームスプリングス途中60マイル)(宿泊)ワインカントリー
8・4:パームスプリングス、アウトレットショッピング(宿泊)ロサンゼルス
8・5:ユニバーサルスタジオ(宿泊)ロサンゼルス
8・6:ディズニーランドか?(宿泊)ロサンゼルス
8・7:ロサンゼルス発13:15