アメリカ旅行記 まえがき

 旅行に行くまでのつぶやきを、超小型ワープロ”アルデータ”のテストを兼ねてぼちぼちと打ち込んだものたちです。

 サンディエゴへ旅することになって、今までのようなノートに記入する方式にするか、それとも、”アルデータ”(NEC社製、超小型ワープロ兼、スケジュール管理などなど電子手帳)に入力するか、迷っているが、これは結構使い勝手がいいのかどうか、いま、試しているところだ。
 軽いし、キーボードも小さい(B5の半分よりやや大きめ)ので、リュックに入れて持っていけないサイズではない。単3電池4本駆動で20時間、内蔵のメモリに文章をためておける。結構いいかも。ノート型コンピュータに比べ、ゲームができないとか、いろんなアプリケーションが立ち上げられず、切り替え式なので、面白みに欠けると言えばそうだけど、この軽さには、右にでるものは居ない。

 というわけで、これを持って行くことにした。

1997.7.26sat

 今日は、資源回収があった。S地区のいちばんグレている連中が集まっているところに担当となった。ところが心配する程もなく、連中はガンガン働いていたのには実際、驚いた。そして、結構、生き生きとした表情なのが新鮮だった。
 早く卒業して、自分自身の道を見つけ、働きにでれば、すごくいい奴らになると思うんだけどなあ。
 旅の手配は順調。ラ・ホイヤのホテルにファックス送ったけれど返事がなかなか来ない。ほかの宿泊に関してはまったく予約していない。現地で調達する方法がベストかも。外国はこれが効くから日本国内より旅がしやすい。

1997.7.27sun

 本日岩村田の実家の父、母、弟三人が、ヨーロッパへ旅立つ。上野に一泊して、朝早い飛行機で経つのだそうだ。エールフランスとは、これまたなにか豪華な気分にさせてくれるではないか。二十時間の旅、無事でいてほしい。
 母の心配は父の「腹が減ったら人格が変わる」ことであるらしい。夕食がついていない日がたくさん有るらしくて、こりゃ、まいったという感じか。
 今晩はお天気祭り、というわけではないけど、旅の無事を祈りつつ夕食にカレーをいただいて、その後彼らをお見送り。そして、平塚の家へ泊まるという予定である。
 父は五時半まで仕事で、本日は主催事業の責任者らしい。だから、終わるまでぎりぎりに残っていたいのだそうだ。やはり、仕事の人だ。今年の夏は上田彫塑に行くと息巻いていただけに、このたびを心からエンジョイしてほしいのであるが。

 だいぶこの機械の入力や操作に慣れてきた。キーボードの小ささも気にならなくなってきた。ああこれが、コンピュータだったらと、惜しい気持ちでいっぱいである。カシオのカシオペアはウインドウズCEが動くそうだが、Newtonのような楽しさがあるのかどうか。ううん、ニュウトンほしいなあ。でも、使いこなせないかもしれないなあ。


”びゅう”をやめて、”H.I.S.”にした話し(7月前半のこと)

 海外旅行を初めてパックツアーで行けるものとかなり期待していた”びゅう”のプラン。飛行機はとれたらしいが、ロサンゼルスのホテルがとれなかったらしい。パックツアー17万円のもの(ホテル2泊と1日分観光がついているんだぞ)が、飛行機代金だけになると、パックツアーよりも二万@一人も高く価格を設定したものをすすめやがった。ホテルがとれないのはそちらの力不足だと俺は思うのだが、こうなったのもあなたが申し込みを遅くしたから悪いのですヨと言わんばかりの口振りが気に喰わず、職場から電話を掛けて、再交渉を試みた。
 こちらの要求は、ホテルは取らなくてもよいので、このパックツアーの値段でやってくれないかということのみだ。ところが、向こうはホテルが取れずにパックツアーに組み込むということは不可能であると主張する。飛行機が取れたのだから、こっちはホテルが取れなくてもよいといっているのだし、ホテル代だって浮く。しらばっくれて入れてしまえば自分の営業成績ににもなるのだから、どちらも幸せだと思うのに、それはまったく不可能だ、の一点張り。「このようになるかも知れませんと、事前に申し上げたのですが」この言葉、いちばん気に入らなかった。こういえば何でも許してもらえるみたいな気持ちでいやがって。
 そこで、

「こっちは何度も海外旅行の経験があるのでわかるのだが、このような場合にもっと融通の利く会社を知っている。あなたがただって、それ位はできるはずでは?」

 と切り返してみた。半分ハッタリを咬ましたカッコウであるが、”びゅう”の興味はその会社にあるようで、「どこですか?」としきりに聞く。H.I.Sだと言ってしまおうかと思ったが、ぐっと我慢して、「それは言えない」とだけ言っておいた。
 ここまで20分くらい粘ってみたけれど一行に埒が開く気配はなく、なかばこの石頭と話すのにも疲れ、翌日こたえを出すということにして、最後に一言、こういって、電話を切った。

「こんなことやっているから、あなたがたの信用はなくなりました。」

 さて、後味悪い電話のあと、自宅に電話して、すぐにH.I.Sで調べてもらえないかと頼んだ。30分もしないうちに結果が出た。見事である。17万円代で航空券を取ることができた。    
 翌日、断わりの電話をした。担当者に嫌味たっぷりに皮肉ってやろうと、あれやこれや決めの言葉を考えていたが、馬鹿らしくなって一言、「昨日のことはなかったことに」、といって電話を切った。もちろん、キャンセル料はとられないことを確認して。  
 電話口では愛想よく、次回もご利用くださいませ、と言うあたり、ますます大手の嫌味な顔をみた。

 とりあえず、数々のハードルとクリアーして、サンディエゴへ旅立つのであった。


1997.7.29Tue

 また、パワーブックが壊れた。アップルセンターに出した。90日以内は保証期間だから、今度は只かな。とにかく困った190で有ることよ。
 今日気付いた事だが、ARDATAはバックライト液晶表示じゃない事が判明。飛行機のなかで、照明が必要かもしれない。

1997.7.30Wed

 坂城高校体験入学の引率。一人だけなので気楽であるが、保護者もついてきていた。高校の姿勢を親も知っておくことは大事だ。坂城高校はこんなところで頑張っているのかと気持ちを新たにした。

 とはいえ、明日はアメリカ旅行だ。いろいろあったけどもう、明日。楽しみだなあ。

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