私は昭和十八年、戦時下の旧満州で生まれ、敗戦の年に母が命懸けで故郷の佐賀・新屋敷へ連れ帰ってくれたという。山間の小さな炭鉱町で、自然を相手に遊ぶことには不自由しなかった。
両親は共働きで理髪店を営んでいたので完全な放任主義。私も姉も妹も母に怒られた記憶すらない。毎日、日が暮れるまで野山を駆け回った。そのとき肌に触れた風、キラキラと揺れる草木、朝焼けや夕焼けの美しさ、川のせせらぎ…そんな記憶が今も体の奥底にあり、私の絵の原点になっているような気がする。
絵に携わって生きていきたいと無意識のうちに感じるようになったのは、県立唐津西高校時代だろうか。
高校卒業間際に優しかった母ががんで亡くなり、父はたった二カ月で再婚した。母へのやるせない思いと、父への憤りをどこへぶつけていいか分からなかった。
大学受験の日、私は試験会場へは行かず、朝から高校の裏の砂浜にうずくまり、鈍色の海を眺めていた。たまたま流れてきた空きビンに亡くなった母への手紙を入れて海へ投げる。そのビンが視界から消えた時、私は故郷を離れる決心をした。
今となっては手紙に何を書いたか思い出せない。だが、最後に書いた言葉は「母さん、助けて」だった。
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なかしま・きよし 日本画家、雅号は梅吉。昭和十八(一九四三)年生まれ。絵は独学、“風の画家”と呼ばれほのぼのとした童画で注目される。一九八七年ボローニャ国際児童図書展でグラフィック賞受賞。その後精力的に美人画に取り組む。
【写真説明】
母と並んで