【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(3)落ちつかない印刷所生活
[1999年01月12日 東京夕刊]

 十九歳で温泉掘りをやめた後、運よく伊豆・下田の印刷会社に勤めることになった。私が地方紙に投稿したイラストを見て、社長が「うちで働かないか」と声をかけてくれたのだ。従業員三十人ほどの古い印刷所だが、とにかく職場の人たちがおもしろい。女に貢がせる男、ヤッちゃん、ニセ学者、暴走族、職場妻ときりがなく、始業のベルが鳴るや奇声や罵倒が飛び交い、まるで動物園の檻の中だ。

 特に印象的だったのがカメさん。五十歳を過ぎた小柄な独身男で、小指を立てて藤娘を踊りながら活字を組む。このカメさん、着替えるしぐさが女性よりなまめかしい。青白くて細面、百五十センチの背をやや丸め、なで肩を下げ、そろりそろりとしなやかな手付きで仕事着を脱ぐのだ。

 二階の三畳間が私の仕事場で寝ぐらだった。私に与えられた仕事は画工といって、主に商店のチラシの絵や字を書く。私の部屋は驚くほど朝早くから従業員の更衣室に変わり、昼は手持ちの弁当を開く食堂へ、夜はまた更衣室へと変わった。灯がともる頃、やっと私一人の部屋となり、絵の勉強にかかる。といっても、漫画や草木のスケッチを描(か)いていただけだが。

 だが、安心はできない。そこへ私の名を呼ぶ声がする。そう、あのカメさんが果物やキャラメルを持って部屋を訪ねてくるのだ。私を気遣ってくれたのかもしれないが、当時はその訪問が不気味で、私は内側から力いっぱい戸を押さえ、息を殺す。カメさんはあきらめ笑顔を残して去ってゆく。こんな日々が続いた。

 カメさんが怖かったわけじゃない。仕事がつらかったわけでもない。もっと絵が描きたいという思いが膨らみ抑えきれず、二十一歳のある日、私は上京を決心した。(日本画家)

【写真説明】

印刷所の画工時代はよく好きな漫画を描いた

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