【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(4)ジョージ秋山氏と気が合う
[1999年01月13日 東京夕刊]

 昭和三十九年、東京はオリンピックで沸いていた。二十一歳で上京した私は新聞の求人欄を頼りに、絵をもって就職活動を開始。幸い東銀座のCM制作プロダクションが採用してくれることになった。

 そこでCMの絵コンテを描かせてもらったことが、ずいぶんと勉強になった。私の絵には風が吹いているとよく言われるが、この時代に動きのある絵の描き方が身についたようだ。映像を勉強できたのも大きな収穫だった。あの時アニメーションを覚えなければ、NHKみんなのうた「かんかんからす」のイメージ画も生まれなかっただろう。

 一年ほどで広告代理店に移ったが、毎月、佐賀の妹に高校の月謝を仕送りしていたので金がない。夜は「丸出だめ夫」などの人気漫画家、森田挙次さんのアシスタントをして生活費を稼いだ。

 そこでの生活は漫画そのもの。連日、徹夜で仕事をしていると、意識がもうろうとして刺激がほしくなる。眠くなったからと、木造アパートの部屋で十二連発の花火を打ち上げ、天井が抜けて大騒ぎになったこともある。アシスタントも個性的だった。私と年が近くて気が合ったのは、ニヒルなつっぱり兄ちゃん。

 ある日、仕事帰りにラーメンでも食べようと、彼と池袋の裏通りの店に立ち寄った。窓から見える街の灯は赤く、通る人は楽しそうで、行く末もわからない我々二人に都会のわびしさが足元からしのび寄ってくる。ほお杖の手をはずし、ポツンと彼が言った。「漫画家にさえなれなきゃ、何にもなれないよ。とにかく俺は漫画家になる」

 彼はいま「浮浪雲」など、多数の人気漫画を描いている。名前はジョージ秋山。 (日本画家)

【写真説明】

アルバイトで漫画家のアシスタントをする

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