でも、イギリスの人達は、困った顔をするだけで、声を掛けてくれるのて すが、フランスの人達は、助けて!と言わないとダメだったので、それが 、わかるまでは、とまどいました。私もあなたと同じように、日本人だけ が、他の国のことばアレルギーで内気だと思っていたものですから・・・
他の国を見てみるって勉強になるなぁと、つくづく思いました。
日本人の内気な性格については、はじめて日本を訪れたオランダの宣教師や日本 に開国を強いたアメリカのペリー提督もそのようなコメントを残していますか ら、日本人はきっと本質的には100年経ってもかわってないのかもしれません ね。(^^)
国土の広いアメリカでは距離の離れた隣人たちとの間でコミュニケーションを図 る上で無線やネットワークは切実に必要とされたのでしょう。それに対して国土 が狭く(車で高速道路を走れば丸1日で北の北海道からから南の九州まで走れる ほど)、人口が平地部に密集して世界で最も密な郵便網を整備した日本では、イ ンターネットの利用価値が低かったのだと思います。
でも、電子メールは東の果てにいる私たち日本人にも必需品になりつつありま す。 現に私も会社で仕事の関係で、この数ケ月下手な意味不明の和製英語を使って、 アメリカの研究所の方々とE:mailでやりとりするのが日課になっていまし た。
最近のパソコン雑誌でのアンケート調査などを見ていると、日本のパソコンユー ザーの60%がインターネットを利用しているということですから、日本人の社 交感覚も急速に変化しつつあるのは間違いないようです。
ただ残念なことは、日本では小学生や中学生といった多感な時代にいるこれから の世界に関与していく若い人々にはまだインターネットメール利用の環境が整っ ていないようです。2000年までには全国津々浦々の学校をネットワークで結 ぶ計画が文部省によって進められており、既にその恩恵に預かっている学校もあ るようですが。
日本でも学校や養護施設、養老院、病院、図書館など独自ではネットワークを張 れない施設の人達に代わってネットワークの工事をするボランティア達が現われ はじめたので、2000年までにはきっとアメリカの中学生たちと日本の田舎の 中学生たちとでメール交換するのがごく普通のことになっているのではないでし ょうか。
あるいはもっと進んで、インターネットビデオ電話でケニアやロシア、中国、ブ ラジル、ニュージーランドなど複数の国の中学生たちがお互いのクラスメートの 顔を見ながら音声自動翻訳機を通じてそれぞれ自分の国の言葉で自由に話しをす る時代がきっと来るに違いありません。(世界の言語が英語になってしまうの は、世界のパソコンがウィンドウズ一色になったのとは比較にならないくらい多 様な文化を消滅させてしまうでしょうからね。)インターネットもクライアント 側にフォントがなくともサーバが勝手にその部分の文字を認識して置き換えて表 示してくれる多国言語対応のHTMLが現われるなど、多言語同時対応の世界の兆し は既に現実のものとなりつつあります。
ではまた興味のある出来事がありましたら、メール下さい。日本語可。(^^)
ですから、インターネットでのコミニュケーションというのは日本人にとって とても有効な手段だと思います。だれが見ているわけでもなく、当事者間の間 で、しかも相手の姿が見えないのですから。その場ではかなりはっきりとした意 志表示がなされ、自分の考えなどを正確に伝えることができると思います。メー ルでやりとりした後で日本人と話すのと、何もしないで話すのとではだいぶ印象 が違うと思います。たとえ、数回のやりとりだけでも。以前、雑誌の特集で、イ ンターネットを通じて結婚にまでいたたという話がありましたが、それはすごい ことだと思います。
「日本人英語不得手論」はまわりの観察や、自分の経験などから導き出したも ので、かなり、偏見があると思います。こうしてつらつらと長くなってしまいま したが、自分の考えを会ったこともない人に伝えられるというのもインターネッ トの長所ですね。
日本人の英語に対する苦手意識・英語は完ぺきじゃなくても通じる、ということに ついて。 確かに、日本人は英語が苦手、という人が多いと思います。外国人の方に話しかけ られると、どうしても逃げ腰になってしまうような気がします。 英語は完ぺきじゃなくても通じる、ということも、事実だとは思いますが・・・
私は何度かアメリカへ行ったことがあります。 1人でアメリカに住む友人宅へ遊びに行ったので、誰のことも頼れず、下手ながらも自分で英語で話しかけ、どうにか通じました。でも、それは向こうも理解しようと 努力してくれたからではないでしょうか?日本人のつたない英語につきあってくれる外国人の方は、そんなに沢山はいないと思います。とても親切な人か日本に興味を 持っている人、それか共通な趣味を持つ人・・・ いずれかだと思います。
アメリカに留学している友人によると、普通に歩いている時に「ゴーバック!」と 言われたことが何度かあるそうです。日本人は、日本に住む外国人の方に対して そんな風に言ったりはしませんよね。 昨年末、アメリカに住む友人のところへ 遊びに行った時、遠くからからかわれました。私は内容が把握できなかったのですが 友人によると「日本人は、こんなとこにいるんじゃねえぞ」風なことと、その人たちはプールに入っていたので、「服を脱いで入れ」風なことを言っていたそうです。 バカにされているなあと思うことがたまにありました。
こんな話しばかりだと、アメリカ人の人を批判しているように思われるかもしれま せんが、そんなつもりはありません。私の趣味はスノーボードなのですが、アメリカ でスノーボードをした時、「日本がスキだ」と言うアメリカ人の男性と仲良くなり、 とても楽しく過ごせました。彼は日本の原爆の悲惨さを語っており、「本当に 可哀想だ。もう2度とあんなことは起こしてはいけない」と強く語っていました。 スキー場の人たちとも、何人とかは関係なく、同じ趣味でいろいろな話しをしました。趣味が同じだと、世界共通だな、と思いました。過去にニュージーランドで スノーボードをした時も同じように思いました。
日本人がバカにされる、というのは英語が話せないから、話すという度胸がないから なのでしょうか。もしかして、それが一因だとしたら、それは日本人のせいかも しれません・・・ でも、日本人でも、私のように、アメリカ人の方や世界各国の方々と仲良くなりたい と思っている人が沢山いると思います。お互いがそう思っていれば、言葉を超えて 仲良くなれると思うのですが。アメリカ人の方にも、そう思っていただけると とてもうれしいです。
アメリカ人の方とのネット上での交流の場があったら、ぜひ教えて下さい。 いろいろなことについて、話してみたいと思います。 日本語を勉強中な方にも協力できたらいいな、と思っています。
海外Eメールは106通いただきました。 これはパケットで知り合った アマチュア無線局ばかりです。 パケットでは71カントリー970局とメール交換しました。 さて、英語にはほとんど自信がありません。そこで翻訳ソフトをいれて なんとか意志疎通ができる英文を作るのです。これに相当な時間がかかります。 でも、相手から返事がくるとうれしいものです。
私も英語コンプレックスがありますが今は民間外交官になったような気分で 世界各国、各都市と海外Eメール交換を満喫しています。 私は1931年9月生まれで、もうじき67歳です。 28歳の若さで、同じ母校で異国から来て学ぶあなたに感激しました。
日本人の作ったHOMEPAGEは、たくさんあるけれど、 そのほとんどが、残念ながら日本人へ向けて発信されたものであるのが現状です。
じつは、我が家もつい先日HOMEPAGEをOPENしたばかりなのです。 海外の人にも見てほしいなーとは思っているのですが、 英語力に自信がないので、あきらめていました。 でも、コーラさんの記事を読んで、少し勇気が涌いてきました。 やっぱり、世界の人が見れることがインターネットの最大の利点ですものね! へたな英語でもがんばって、和英併記に挑戦してみようかな。
海外の方に、HOMEPAGEの紹介をする方法を、もし、御存じでしたら 教えてもらえませんか? よろしくお願いします。
私は家庭の事情で、受験勉強もせず、高校で一番嫌いな科目は、英語!と言う状態で卒業してしまいましたが、なぜか英会話に引かれ、細く長く続けています。それは多分異文化への興味からだと思います。
1ヶ月前にパソコンを入手、インターネットへの接続は1週間前と言う、この道の新人ですが、夢は今迄教えてくださって、もうアメリカへ帰られた2人の先生との、メール交換です。私は読む,書く、が大の苦手で、苦戦すると思いますが「英語は完璧でなくても通じる」とおっしゃるCoraさんの文に勇気づけられて、頑張ってみようと思います。
この日本国の政府やマスメディアが、国際化を言い始め出してから 数十年が過ぎましたが、未だに根強く残る”島国根性”のせいなのか どうか、今でも、ほとんど効果が無いように、私は思っています。
と言いますのも、新聞やテレビなどを見聞きするたび、がっかりと させられるからです。 「外国」と言う国は無いのに、よく使われて いますし、また、この国は単一民族のように扱われていますけれど、 実際には、はるかかなたの昔から、多くの民族が、同居しています。
コーラ・ディクソンさんは、日本に来られてから、疑問に思われる ことが、たくさんあるのでしょうか? 京都は日本の中でも、とくに 変化を嫌がる土地のように思われます。 それに、地方から出てきた 人が住んだ場合、日本の人であっても、何年もそこに住んでいても、 ずっと「よそもの」として扱われると、なげく声を聞いたことがあり ます。