6月の初旬に、イギリスへ行きました。 初めての海外旅行で、 生の英語を耳にするのも、自分が教科書以外の英語を話すのも初めてでした。 その時、英語ぐらいは話せないとこれからはダメだと痛感しました。 (よちよち歩きの子供よりも英語が理解できなかったのです。) それ以来、知り合いに頼んで、わたしが書いた英語の日記を添削してもらっています。 毎日、2文ずつほどですが、2ヶ月続いています。 ディクソンさんが、「英語は完ぺきでなくても通じるものだ」と 書いていらっしゃるのを見て、とても嬉しかったです。 でも、今回こうやってメールを送ることができたのも、 記事の最後に「日本語可」とあったからです。 ディクソンさんは日本語がお上手ですが、 ここまで来るのにどのくらいの時間がかかったのですか? 急には無理だとわかっていながら、早く英語を話せるようになりたいと 思ってしまうぷうこなのです。 今、24歳ですが、最近の学生はかなりパソコンの授業を受けて いるらしいですので、ディクソンさんのアイディアが早期実現することを祈っています。
コーラさんは、京都にお住まいなので感じられているかもしれませんが、関西の人 たちは、関東人に比べて陽気なので、ラテン系というのでしょうか、見知らぬ人でも 割とすーっと会話が成り立ちます。浅草の下町育ちの私も2年間大阪に住んでいたこ とがありますが、関西では「ええ格好しい、気取り屋」は嫌われます。相手の胸にド ンっと、ぶつかっていくのが、親しくなるコツなのです。たとえば、初対面同士が相 手の住んでIいるところを聞く場合。東京では、「どちらに、お住まいですか?」 と、少し婉曲に尋ねます。大阪なら、「どこ住んでんの?」と、単刀直入に聞きま す。これは、東京が江戸時代武士の町だったかもしれませんね。相手との間に、距離 を置こうとするのです。大阪は、商人の町。言葉一つで、物の値段が変わります。自 分の力量が試されているんですね。たこ焼きを買うにも、8個いくら、となっていて も、大阪なら、交渉次第で4個、あるいは5個でも売ってくれると思います。東京 だったら、絶対駄目。融通が利きません。
インターネット、特にwwwはかなり普及すると思います。 しかし、E-mailは仕事などで使用すること以外あまり普及するとは思えないのです。 日本内ではどこへ行っても郵便局があるし、今は携帯電話もある。 日本のなかではE-mailよりも(ペン習字の通信講座なんていうのもありました。ペン習字わかります?)日本語でのE-mailも普及しないのだから、英語では無理でしょう。
それ以前に、基本的な問題があると思います。 いくらインターネットが普及したとしても、大きな障害があります。 それは日本語ワープロです。 これは体験すればわかることですが、打ち込んで変換しなくてはなりません。 ローマ字で打つのかカナで打つのかこれも問題です。 (僕は英語で書いた方が早いのではと考えてしまいます。アルファベットだと変換しなくていい。変換のするのが本当に大変。)
これでは、なかなかキーボードを使って文章を書きたいなんて思わないでしょう。
アメリカの大学では、E-mailで論文を書いて提出するということを聞いたことがあります。 しかも、以前はタイプライターで書いていたそうですね。 ということは、タイプの歴史がアメリカにはあるが、日本にはないということになるでしょう。 日本語ワープロが普及したのは最近(10年ぐらいかな?)。 日本でE-mailが本当に普及するのはまだまだでしょう。
日本語ワープロや日本のパソコンの普及からインターネットを考えてもおもしろいような気がします。一度、ワープロができる前の日本語タイプライターを一度見て、触ってみると面白いですよ。(小学生の時一度だけ触ってみたことがあります。)
アイルランドは、あまりたくさんの日本人観光客や、学生はいなかったのですが、そ れでも、観光地やバスの中で見かけたりしましたが、どうも話しかけづらく、 お互い、なんとなく、通り過ぎて行くということが何度もありました。 その点が、 とても寂しいなあ・・・と思っていました。 英語の”Hi! How are you?" に変わる日本語を探してみたのですが、どうもうまく見 つかりません。
そう言えば、”こんにちわ” と気軽に知らない人同士が挨拶をする習慣があまりな いので、話し出すきっかけが、なかなか見つけられないようです。 日本人の英語の対する苦手意識の要因の一つとして、なかなか気軽に話ができないと いうのがあるような気がします。
私もインターネットが大好きです。 今までにも何人か人にメールを送ってみました。 インターネットで世界中がとても身近になりました。 これからも、たくさん活用してきたいと思っています。
私は今年の2月まで、1年間、NY州の高校でインターンとして 日本語を教えていました。生徒たちは授業中、楽しげに、そしてかなり 真面目に日本語を学んでいました。しかし、休み時間などに私に話し掛 けてくるときには、彼らの多くは英語を使っていました。私が日本語だ けを使えばよかったのかもしれませんが、彼らといろいろな話をしたか ったので、あまり無理強いはしませんでした。成績の良い生徒ほど、私 の前で日本語を話さない傾向が強いように思えました。間違えを恐れる 気持ちは、程度の差こそあれ、万国共通のものなのだなと思ったもので す。
私は今アメリカ滞在中にできた友人たちと、Emailの交換をし ています。もちろん英語でです。私の英語力では一つ書き上げるのにも 、かなり時間がかかりますが、英語ごときのために、せっかくできた良 き友人を失いたくないので、頑張っています。私の周りにも、頑張って 英語を勉強しながら、インターネットの活用に励んでいる人が何人もい ます。これからの時代、世界にアンテナを張り巡らさなければならない ことを認識し、かつ取り組んでいる人は、日本でも確実に増えてきてい るのです。
人間には得手不得手がありますから、英語を使わねばならない以上 、日本でのインターネット上の海外とのやり取りが、アメリカ並になる ことはありえないと思いますが、その割合が今後も増えつづけることだ けは確かだと思います。
しかし、私たちとは違う年代では社交性がとてもある年代の方々もいます。50歳 以上の人たちは時々うらやましいほどの社交性を見せる人が多いような気がしま す。けれども話が電子メールになるとやはりユーザーの多くを占める若者が問題 ですね。
あと日本の学生でメールやインターネットにふれるのが遅いのではないかという と思いました。私の場合で言いますと、小中学校ではコンピュータが充実してい ましたが高校では皆無でした。インターネットをはじめたのも大学に入学してか らです。現在では小学校を中心にコンピュータを使った授業が行われている所も あるようですが、やはりまだ一部のようです。
最近、大学ではインターネット・メールが就職の手段として使われ始めています。 情報がいち早く気軽に入手できるのは良いと思うのですが、インターネットが世 界規模で存在している事を考えるとそのメリットを生かしていないと考えてしま います。なぜならその程度のことならばパソコン通信でもできたからです。
そうは言っても私自身もNew York Times や Washington Postの海外のホームペー ジを度々利用しますが、他国の人とのメール交換は非常に少ないです。 今回地球規模で異文化交流の記事を読んで、メールでもっと面白い事ができるの ではないかと思いました。
電子メールのすばらしさを日本人は知りながらも、あまり活用していないと思いま す。やはり、世界の大半は英語でのメール交換なので、それに参加するのには、じぶんの 下手な英語が ”恥ずかしい” と感じているのだと思います。 まあ、これは私だ けのことかもしれません。 英語だけに限らず、とにかく日本人は外国語にアレルギーですね!
そして、私は、友人の娘、ちかちゃんとメールのやり取りで、育児相談をうけ たり、世代を超えてのコミュニケーションがはじまりました。
完璧でない英語でもがんばって、コーラさんに発信したいのですが、 英語のWEBを開くのも、おっくうな私ではいつのことになるやら。
異文化体験をメールでするのはよい発想ですが、まず、必要なものから メールを使用し、その中で、異文化体験もしたいというプロセスを経ていく方 が 無理がないようです。例えば、コーラさんにメール発信する、そしてコーラさ んの お母さんに英語でお話したくなる...というように。