「いいか、よく聞けよ。あいつだ・・・・・・あいつを、やれ」

横顔に冷笑を浮かべて、彼は徐に僕の方を振り返る。

真夜中の公園。時計の針が午前二時を示した時、彼はそうして僕に命令を下す。
冷笑を浮かべながら。狡猾な瞳をこちらに向けて、けれどその時に彼の顔は冷たく研ぎ澄まされている。

彼が指し示すのは、広場に屯する怪しげな少年たち。黄色い髪を逆立てた幾人かの。
ベンチに座る僕たちの前に一人の人影が、集団を離れてやって来る。
彼はその方向を見ないで、じいっと正面の闇を見据えたまま、僕に命令する。

「やつは今ここに来る。ここに来ておれたちから金を取るつもりだ。おまえはやつを向こうの茂みへ連れて行け。そしておれが行く前に、殺せ」

身体中の血液が凍り付いたように僕の中で激しく逆流する。血管という血管がすべて、痙攣している。心臓が万力で締め付けられたように繰り返し収縮して、鋭い痛みが身体の底から脳味噌を貫く。指先が奮えて、こめかみに幾筋もの汗が流れる。
寒い。
寒すぎる。

それなのに僕はとても喉が乾いている。
この乾きは。

「いいな・・・」

少年が近づくその瞬間に、彼は微かに唇をひくつかせて小さな声で言った。低い声。
その声には逆らえない。

「よォ、兄チャンたち、つるんでんのか?仲良しだねぇ、もしかしてホモ?」

喉を鳴らして少年は笑う。僕よりは年若く、彼よりは遙かに未熟な少年たち。
僕は少年を見上げる。少年は僕と彼とを交互に眺めている。その瞳は濁っていて、凶暴な輝きだけがちろちろと燃えている。
少年は目の前にやって来る。彼の目の前で立ち止まる。

それでも彼は、見ない。少年を見ない。
彼は少年のことを考えない。

僕のことを、考えている。

僕が実行するのを、待っている。

「なぁ、ちょいとばかし頼みがあんのよ。金くんない?いやぁ、唐突だけどさぁ、その方が手っ取り早くてお互いに良いだろ、な?財布を見せてくれりゃあいい、それだけで、終わるからさ」

虚ろな眼差しを僕たちに注ぎながら少年は、高い声で笑う。
右手に握った小型ナイフの刃先を、しきりにかちかちといわせながら。
少年も、何も恐れない。恐いものなどないのだ。

僕は、心臓の痛みに死んでしまいそうだ。

「って聞いてんのか、こらァ」

途端ににやにやした顔を、サディスティックな怒りでぐしゃぐしゃにした少年は、目の前に座っている彼を、彼が自分を無視していることに腹を立てて、いきなり掴み上げる。
彼の白いシャツの襟が、びりびりと破れる音がして、ベンチから引っ張り上げられた彼は、それでも少年を見なかった。

「なァんだ、てめぇは!ナメてんのか、あぁ?」

唾を飛ばしながら少年は彼に言う。ナイフが彼の首筋にひたひたとあてられている。
彼は少年を見ない。少年は彼をじっと見つめる。
首筋から、一筋の紅い線を描いて血液が。

ああ駄目だ。僕は。
僕はとても喉が乾いている。

「やめて、やめて。この人には触らないで。僕が払います。向こうの、公衆便所の後ろで。放してあげて下さい」

僕は立ち上がり、少年に哀願する。
少年は僕を睨み、それから口元をひきつらせて笑みを作ると、なすがままにされている彼を、ベンチに押し戻した。
彼の首筋から流れた血液は、シャツの白い襟に隠れて途中から見えなくなっている。

「あそこだな?へへへ、行くぞ」

少年はナイフをカチカチいわせて僕を促して歩き出す。
僕は後ろを歩きながら彼の方を振り返る。
しかし彼は、真っ直ぐに前を向いたまま、表情はない。

ただ僕が、上手くやるかどうかだけを、考えている。
彼の自信が欲しい。

ぼうっと佇む白い光のその向こうで少年が立ち止まると、僕は何者かに嗾けられたような感覚で、少年の肩に手を置いて振り向かせた。
少年は僕の行動に苛立ち、持っていたナイフで僕の腕を服の上からぐさりと刺した。少年は何も恐れない。
その痛みは僕を奮わせた。

「何のマネだぁ?てめぇ、おれを、騙すのか?」

少年は僕の喉元にナイフを突き立て、大声をあげた。
僕は負傷した右腕から溢れくる血液をもう一方の手で押さえていた。

「金出せよ、ほら早くしやがれ、うすらボケがぁ!」

僕を追い立て追い立て少年は豪語した。
言われるままに血みどろの片手を懐に入れるけれども、そこに財布はないのだ。
少年に渡す財布が、ないのだ。

何も掴まない手を再び外に出して、僕は弁解を始める。

「手が痺れて、きみの刺したところがとても痛い。千切れそうだ」
「この野郎ッ!」

少年は僕に飛びかかり、僕は自分の胴に鋭い痛みを受ける。

どうやってこの乾きを癒せばいいのだろう。
僕には武器がない。
少年に殺されてしまう。
そうしたら彼はきっと僕を赦さない。
地獄の果てまでも、僕を追いかけるだろう。

「うわぁッ!」

掴み合いを続ける内、少年はナイフを取り落とし、僕から身を引いた。
そして蒼白な顔を僕に向けると、奮える唇から何の言葉を紡ぎ出せずに、鮮血に染まった自分の鎖骨をぼんやりと手で拭い、そこについた血液を見て、やっと言った。

「何をした?おまえ、このおれに一体、何をした?ち・・・畜生っ、ふざけたことを!」

少年は怒りに真っ青になった顔を向けて、落ちたナイフを拾い上げ、ふとした幸運で少年の返り血を浴びた僕がそれを飲み干している隙に僕に向かってナイフを振り下ろす。それを素直に胸に受け、僕は突然意識が遠のく。
痛み。血飛沫。目眩が僕を襲う。
少年の罵倒、暴力、飛び散る唾と、紅い液体。憎悪に燃える狂った瞳。

そして少年は僕から引き剥がされ、背後の草むらに倒れた。

僕は蹲っていた姿勢から顔を上げて彼が立っているのを見た。
彼は冷たい顔で僕を見下ろす。

「時間をかけるな。仲間が怪しむ」

そして背後で呻き声を上げている少年を振り返った。
少年は彼を見つめて、鼻血で顔を真っ赤に染めていたが、どうしても逃げられない様子で、頻りと自分の足を気にしていた。
それが普通とは反対の方向に曲がっていることにも、少年は動転して気付かない。
彼はその場に屈んだ。
すると少年の身体がひきつけを起こしたように一瞬激しく痙攣して、やがて静かになった。

一通りの儀式が済むと彼は僕を見て、唇を拭い、言った。

「足音がする・・・死体の始末が出来ない。おまえのせいだ」

僕はよろよろと立ち上がり、彼の後方に倒れる少年が、水の勢いよく流れ出るホースに針で穴を開けたような具合に、首から血を噴射させているのを見た。

僕はナイフで身体を傷つけられて意識が虚ろだ。
今にも死んでしまいそうだ。
けれどその血を見ると、僕の中の何かが叫び声をあげて、それを欲しているような気がする。

蹌踉めきながら僕は、彼に了解を求める顔を向けた。
彼は美し過ぎる顔で僕を見返し、唇を歪めた。

「欲しけりゃ自分で殺せ。その傷はすぐに治る。それからもう一度機会をやろう。今は逃げる、それだけだ」

そしてふらふらと足取りのおぼつかない僕を残して歩き出した。
僕も彼の後に従う。

乾きで気が狂いそうだった。でも、彼には逆らえない。
僕は彼のものだから。



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