おれにとって宗形に愛されるということは、一体どれほどの意味を持つのだろう。

また、宗形にとってもどれほどの意味が。



カーステレオから陽気な音楽が鳴り響いていた。
助手席で子供が泣いている。
それをあやす女と時々会話をする宗形。

おれは後部座席に乗って、通り過ぎる町並みを見ていた。
窓ガラスに雨の水滴がついていて、外のネオンが反射して煌めいている。

宗形が笑った。

女も笑った。

子供は泣き喚き、ステレオから明るい音楽が流れている。

おれは外を見ていた。


宗形はこの女と結婚するだろう。
宗形が女を愛しているのを感じた。
女は宗形に愛されたいと渇望しているように見えた。

おれは頭痛と、目眩を感じた。

交わされる言葉は愛を囁き合っているかのように耳に木霊した。

子供の泣き声がおれをいらいらさせた。
誰か黙らせる人間はいないのか。

ここにこうしているおれに気付く人間はいないのか。


車が止まった。
さようなら、
と女の声が言って瞳が宗形を見、
おれを見、
そしてまた宗形を見て消えた。

ドアが閉まる直前も子供はあらん限りの声で泣き叫んでいた。

憎らしい。
何もかもが。
何よりも、
ここにこうしているおれ自身が。

こっちへ座れよ。

宗形がは言っておれを見た・・・顔を向けて目に映した。
座るべき者をなくしたシートに、今度はおれを据え付けようというのか。

音楽が止んで哀しいメロディが流れ始めた。



おれの家へ来るか?

宗形が言った。
身体の奧の更にもっと隅の方でおれの意識は働いていた。
おれは目で宗形を見た(奧の意識も宗形を見た)
宗形は変わらなかった(宗形は変化した)



部屋に入った時、おれは暗闇の中にすべてを見た。

宗形の身体に身を寄せると、宗形はおれを抱いた。

セックスをした。

それはおれに与えた。

官能を。

宗形はおれに与えた。

数限りないものを。
蔓延る虚しさ、
蔓延る哀しみ・・・


おれはわらう。

宗形はそんなおれを抱く。

おれが変わったのかそれとも。

肌を合わせ、唇を重ね、体温を感じ、息を感じ、その存在を感じるというのにおれは・・・

おれはきっと失っている。

何も、見いだせない。
セックスから。
宗形から。


求めて彷徨うおれは、そうすればするほど、愛というものを見失う。

哀しいセックス。虚しい抱擁。
キスはそれを合わせて更に喪失感を加えたようだ。


おれは、
かき抱き、かき抱かれ、求め、求められ、目に映るものは色をなくし、
口にするものは空気に同化し、白く靄のかかった霧の中を下へ下へと落下してゆく。

そして縋り付くものはすべて、霧に変わってしまう・・・

こんなことを放棄せずに、宗形に何かを見いだそうとするおれは、怯えているのか。
愛を失うのが恐いのか。
愛とともに自分を見失うのを畏れているのか。


髪を掴んで顔を引き寄せる。
そこにある瞳を、その中の真実を、そこに存在する自分を。

見えない。
おまえにはおれが見えているか?
見ようとしているのか?



帰るのか、
と、宗形が言う。

何もかも失ったおれたちに残ったものはセックスしかない。
いや、それもこの先存在しうるかどうか。


もう、用は済んだろう?

自分の言葉が、自分を傷つけた。

おれたちは長く時を過ごしすぎたよ。
宗形が言った。

おれは将来、医者になるつもりだ。

この世に生を受けて間もない子を持つ一人の女の為に、おまえはその道を選ぶ。
その女の心の傷の為に。
身体にとりつく病魔の為に。


賢い選択だ、
と、おれの声が言った。

おまえはおれ以外を見、歩き始めた。
もう、おれのものではない。
おれの求めたおまえの姿ではなくなってしまった・・・


宗形の手が背中に触れる
・・・おかしいな、その手はまだ暖かいというのに・・・・・


宗形の顔には哀しみが溢れている。
おれを見る瞳には、静かな愛の衰えの色がある。

おまえも、失った愛を感じているのか。
そして、取り戻そうとしているのか。

おれはここに、すぐそばにいるというのに・・・


おれたちは互いに変化してしまった。
宗形の哀しい視線のせいで、おれは、おれの哀しみを表現することが出来ない。
せめておれのこの顔から、そこに浮かぶ、
真実や、
偽りや、
虚勢や、
そんなものを感じ取ってくれるほどの愛が宗形に残っていたのなら・・・・





運転席から横顔を見せる宗形は、仮面をかぶったかのような無表情。
車は雨に濡れて輝くアスファルトの上を何処までも直進する。
道路の脇に立ち並ぶ街灯はまっすぐな道筋を朧気に照らす。

ドライヴでもしようか。

見知らぬ道、見知らぬ風景。

分厚い灰色の雲が天を覆い、闇は一層深く君臨する。

この先には何があるんだ?
おれの問いに、頭上を走り去る街灯の光で陰影のついた冷たい横顔を向けたまま宗形が口を開く。

何だったろうな、おれも知らない・・・多分、何もないよ。

一直線に眼前に広がる道。
それに向かって、ただひたすらに闇を駆け抜ける。

スピードを出せよ。

宗形が眉を動かした。

この先に何があるのか早く見たいんだ。

宗形はアクセルを踏み込む。

どうせ何もないさ、と言って。


道路には人影も、またこの道を走る車の姿もない。
ヘッドライトに照らし出され、きらきらと光る道を何処までも走り続けるのはおれたちだけ。

この道の向こうには何があるのだろう。

真一文字に突き進む路面と、林立する街灯に見送られながら、おれと宗形には何が待ち受けているのだろう。
おれは知りたい。
宗形も同じだろう。



景色が空間と化してくる。
家も疎らにしか建っていない。
そろそろ先が見える頃だ。
おれたちの行方が見えてくる頃だ。

街灯の光が失せて、眼前にぽっかりと大きな口をあけた深淵が迫ってくる。

この先には・・・
この先には!




あっ・・・


おれか、宗形の声かが鋭く、けれど短く響いた。
四つの瞳は待ち受けるものを見ていた。


おれは抗うように手を伸ばし、もがくように宗形の手に触れて、ハンドルをきった。

滑りやすい路面にタイヤが軋んで悲鳴をあげる。
加速した車体はくるくると回転して、おれの目に映る景観も目まぐるしく変わる。


おれは受け入れない。


おれたちを迎え入れるものは、
道の先端に待ち受けていたものは、


ただの漆黒の闇であったなんて。


おれは変えてやる。
そんな運命を。

おれは宗形の進む方向を横合いから滅茶苦茶に狂わせた。


無だと?闇だと?
そんなものよりはこっちの方がマシだ。


黒い霧の中から、白い壁が浮かび上がり、輪郭を露わにし眼前に迫りくる・・・!


もう止まらない。止められない。



それが例え死であってもかまわない。






|| 後書き ||

|| 伽藍堂 || 煩悩坩堝 ||


1