白い巨塔の見所と流れ
「白い巨塔」は昭和G年6月3日よりE年1月6日までフジテレビ系で放映されたドラマである。原作は昭和38年から、「サンデー毎日」に連載された山崎豊子の「白い巨塔」「続・白い巨塔」であり野望に燃える浪速大学医学部助教授・財前五郎(田宮二郎)が、教授の地位を得るをため画策する教授選挙から、患者・佐々木庸平の誤診裁判、学術会員選挙、財前の死までを描いている。またこの作品は昭和41年に田宮二郎・主演で一度、大映で映画化され、この時すでに財前五郎を演じており、二度目の挑戦なのであったが、不幸にもこの作品が彼の遺作と
なつてしまつた。
■みどころ このドラマは主演の田宮二郎をはじめ映画を思わせる豪華なキャスティングと言えよう。田宮が映画「白い巨塔」で財前を演じてから12年の歳月がこの時すでに流れていた。役者としての成長に加えひとりの人間としても成長をみた、田宮はこの時まさに、絶頂期にあった。映画では財前が教授の座を手に入れるまでを描いていたが、この作品ではついには癌に体をむしまばれ、ついには死をもって自分の罪を償ってゆくところまでを描いている。また財前をバックアップし自ら
のメリットを考える者、私的な感情をもって財前の足を引っ張るもの、そして全く純粋な気持ちで医師としての努めを果たす者など、医学界という古い体質の世界に於けるあらゆる人物の思惑を描きだし、主人公である財前と対比させることによってドラマを奥深いものに作りあげている。財前とその周辺の人間模様などは、さしずめ企業内幕ものを見る面白さがある。
このあたりは山崎豊子の原作だけはあって、しっかりとした取材のもとに書かれた、一種のドキュメンタリータッチを思わせる展開は視聴者をぐいぐいと現実の世界から、虚構の世界へと引き込んでいった。
映画では時間的制約のため、どうしても財前五郎という男を単なる野心家という面だけにしか捉えることができなかった。しかし、連続ドラマとなれば話しは
違う。ドラマは財前の医師としての使命に燃える男から、野心家と化すまでの段階を克明に追い続け、そのプロセスの違いを見事に田宮は演じた。また、財前の野心家な部分だけではなく、純粋な里見に対する人間としての嫉妬心、さらに愛人・ケイ子に対してみせる自らの弱さ、そして、貧しかった頃の生活に終止符を打ち、母を置いて財前家に婿養子として入る。彼の頭の片隅には常に母の面影を抱いていた。貧乏というものを嫌い、早く母を楽にさせてやりたいという単純な愛情が、助教授から教授、そして学術会会員選挙といった名声に惑わされ、ついには敬愛する母の制止の手紙にも耳を貸さず、ついには自分が白分の専門分野である胃癌によって命を失うという悲惨な最期を遂げるなど、一人の男のあらゆる側面を浮き彫りにして描いているところが、面白さを倍増した。
また、ドラマ本来の人気にも加え、クランクアップ直後に田宮二郎が自殺するという大変ショッキングな出来事のため異例の総集編(昭和54年1月20日放送)が組まれたとこも特筆に値する。
演出はプロデユーサー・小林俊一自らが担当し、冴えわたる演出を見せ我々を魅了した。演出は他に青木征雄が担当。脚本は鈴木尚之が、手堅いドラマ作りをみせている。音楽はベテラン・渡辺岳夫が迫力のあるサウンドを聴かせてくれた。 この他、昭和42年に、NETで佐藤慶主演による「白い巨塔』が放映されているが、田宮財前とはまた違った味があり一見の価値がある。