当時の背景
当時、なぜターボトレインが注目されたのでしょう。 当時とは1960年代です。 これよりずっと前からガスタービンを動力とする列車は試作されてきました。 特により強力な機関車が欲しいという要求を満たすためにアメリカでは30年も前に8500馬力というとてつもない機関車が量産されていました。8500馬力といっても発電機の性能で制限されていただけで、ガスタービン自体はなんと10000馬力という途方もないものが搭載されていたのです。 6000馬力以上もあったビッグボーイという蒸気機関車に取って代わるにはこれしかなかったのです。 ディーゼル機関車は2000馬力がせいぜいの時代でした。
しかし、新幹線の登場が流れを大きく変えたのでした。
(1)新幹線の成功 東海道新幹線の成功は世界の鉄道界をあっと言わせました。 高速鉄道が斜陽化に歯止めをかけ、新たな発展をもたらすことを証明したのです。 これ以降、先進国の鉄道界は高速鉄道建設に熱中するようになりました。
(2)在来線を利用したい 標準軌で作られ直線の多い欧米の鉄道では何とかこれまでの線路を利用しようとしました。 新線建設のリスクを避け、膨大な電化費用を省略するため、従来の線路を高速で走れる軽量で電化不要の高速内燃動車が注目されました。
(3)ガスタービンの発展 このころ、空はすっかりガスタービンの時代となり、その発展には目を見張るものがありました。 このエンジン革命を空から地上へ、海へと多くの技術者が夢見ていた時代でした。 夢のタービンカーといったタイトルが一般向け自動車雑誌に載り、インディ500マイルレースではガスタービン車の脅威にレシプロ車が脅えていた時代でした。 鉄道では電車の性能も今よりはるかに低く、蒸気機関車やディーゼルにいたっては高速列車を想定することさえできませんでした。
(4)電気運転の限界 このころ、すでにフランスでは試験的に電気機関車で330.88km/hの速度記録を樹立していました。 しかし、この試験で架線、パンタグラフは大きな被害を受け、250〜300km/h以上の世界で実用的に集電するのは容易なものではないことをみんなが感じていました。 当時は集電の壁が高速電気運転の重大な問題だったのです。 この試験以外に300km/h以上の速度を記録した例はなかったのです。
(5)ディーゼル運転の限界 ディーゼルとなると蒸気機関車にさえ遅れをとり、200km/hにすら達していませんでした。 蒸気機関車は1938年にすでに202.8km/hを記録していましたが、ディーゼルで営業用車両が200km/hを超えるのはイギリスのHSTの登場を待たねばなりませんでした。 (1973年229km/h)
これらの背景があって高速列車として俄然ターボトレインに注目が集まりました。 当時はガスタービンの恐るべきパワーに頼る以外、ほかに選択肢がなかったといってよいでしょう。