炎の剣と水色の歌 4
一定の距離をおいて後をつける二人には全く気が付かない様子で、リーアンはひたすら草原の中を歩いていく。時間にするとほんの数分なのだが、果てのない草の海原の中では時間も長く感じられた。
そして、ふとリーアンが止まる。
彼が足を止めた先には、さして大きくもないが澄み切った綺麗な池があった。
オスカーとオリヴィエは慌てて足を止めるが、リーアンは後ろは気にせずに前のめりになって水の中へと消えていった。
「・・・・飛び込んじゃったよあの人。」
「俺達も真似すればいいんじゃないのか?」
「・・・・」
オスカーはゲっという表情のオリヴィエを無視して、池のほとりに立った。
「行くぞ。」
「はいはい。」
鏡のように澄んだ水面に、二人は吸い込まれるようにして飛びこんだ。
「随分早いお帰りだねリーアン。この様子だとお茶をして終わりかな?」
鏡の中から出てくるなり人形に戻ってしまったリーアンを、子供はそっと抱き上げる。
「やっぱりローレンスみたいにしっかりした人じゃないと無理だね。」
ため息をつくようにして、彼は人形を元の位置に戻した。
そして、ふと、リーアンが帰ってきた方向に顔を向ける。
大きなよく磨かれたその鏡は、暗い部屋の中で唯一存在感のあるものだった。
「・・・・もしかしてリーアン、お客様を連れてきちゃったのかい?」
顔をしかめて子供が呟いた瞬間、鏡の表面が波立ち中から何かが飛び出してきた。
「痛っ!なんなんだここはっ」
「騒ぐなオリヴィエ。」
うまく着地出来なかったオリヴィエには気をとめず、オスカーは一瞬で冷静さを取り戻す。この辺は軍人と一般人の差だろうか。
「・・・・お前か、この騒ぎの元凶は。」
眉根を寄せて彼らを見ている子供に即座に気が付いたオスカーは、地を這うような声音で言った。
「まったく。騒々しいお客様が二人もここに来るとはね。冗談じゃなくリーアン以外の他の人にすべきだったよ。」
オリヴィエはふと流した視線の先にいた人形を見て驚いた。服装も顔もリーアンのものだったからだ。だがそのサイズは随分と縮小されている。まるで小さくなってしまったリュミエールと同じだ。
「・・・リュミエール?」
オリヴィエの思考が同僚の名を綴った瞬間に、二人は立ち並ぶ人形たちの中にリュミエールの姿をみつけてしまった。
そのサイズにあわせて作られた木の椅子にゆったりと座って眠っている。そんな風情のリュミエールに、思わずオスカーが駆け寄った。
「こいつに何をしたんだ。」
オスカーのアイスブルーの瞳が鋭く子供に向かって向けられる。
「・・・・僕が何をしたかって?何もしてないよ・・・まだね。だってその人ったら言うこときいてくれないんだもの。」
困ったような口調で言う子供には、少しも悪びれた様子や邪気を感じない。
「ちゃんと皆と同じように綺麗に飾ってあげるのに。どうしてかしら。」
「ちょっとまて。」
黙って聞いている場合ではなかった。まるでおもちゃの話をするように語る子供の、その内容がさりげなく恐ろしいものに思える。
「・・・こいつらはもしかして全部人間なのか・・・?」
オスカーは当初、この子供が人形を何かしらの力で動かしているのだと思った。だが、彼の口振りだと、この人形達は生きている人間ということになる。そしてリュミエールを彼らと同じく人形のように仕立てようとしていたのだ。
「その綺麗な人も、本当は後少しなんだけどな・・・何かが邪魔するんだ。その人、何なの?」
「何なの・・って、こっちがあんたに聞きたいくらいだよ。」
呆れた顔で言うオリヴィエを見て、子供は少しだけ表情を曇らせた。
「・・・・そうか。貴方達も仲間に入りたいんだね。そう言ってくれれば良かったのに、こっちは一生懸命貴方たちを閉じこめることばかり考えていたよ。」
軽くため息をつくと、子供はそう言って突如歩き出した。
「ちょっ・・ちょっと待て。」
この子供の行動は、突飛すぎていちいち気が抜ける。
「お前は何のためにこうやって人形を集めているんだ。皆生きているんだろう?」
「だって、皆こうやって綺麗なままでいたいんでしょ?綺麗に着飾って、何も考えないで何もしないで、大事にされて。だから僕がこうやって大事にしてあげてるんじゃない。」
どうしてその様な事をきくんだ、とばかりに呆れ顔で子供が言う。オスカーとオリヴィえは咄嗟に何も言えなかった。
「いたいんでしょ・・・って、誰がそんなこと言ったんだ。」
「マリエだよ。ほら、あそこにいるでしょう。黒い髪の黒いドレスのひと。」
彼が指さしたのは、普通サイズで言えばちょうど16歳くらいの可愛い女の子だった。もちろん彼女も他の人形達の中で同じように虚空を見つめている。
「マリエはね、毎日のように僕の頭を撫でながら言ったよ。」
夢見るように子供は回想する。
「・・・いいわね貴方は。皆に可愛がられて、素敵な服を貰って、ただ座っているだけで悩みもなくて・・・・。だから僕はマリエを幸せにしてあげたんだ。」
彼は懐かしそうな瞳でマリエと呼ばれた人形を見た。よほど上流の家のお嬢様なのだろう、彼女の黒いドレスは最高級の生地で出来ている。胸につけているブローチは、たとえ小さくともオリヴィエには一目ですばらしく高価なものだとわかった。
「マリエはキャンディが大好きだったよ。甘くて、色とりどりの夢を見せてくれるんだって言ってた。きっと今も夢を見ているんじゃないかしら。」
そこまで聞いてオスカーとオリヴィエは全ての元凶を思い出した。
「キャンディ!あんただねアレをばらまいてるのはっ」
「そうだよ。尤も、僕の所に来る人はほんの一部だけどね。他の人がどうなったかは知らないけど、こうやって辿り着いた皆は運が良い。」
「・・・・・・何でも良いから元に戻して貰おう。お前の夢物語につきあってる暇は俺たちには無いんでな。」
いい加減イライラしていたオスカーが先にキレたらしい。実際に彼らにはあまり時間が無かった。どれくらいオスカーとオリヴィエが無駄な時間を過ごしたのかはわからないが、彼らは出来るだけ速やかにリュミエールを元に戻して聖地へ帰らければならない。
「元に戻すって何を?」
子供は何もわからないという顔をしてオスカーを見ている。オスカーのイライラは頂点に達した。
「お前の大事なマリエとやらが何を言ったか知らんが、人形になって嬉しい人間がいるものか。さっさとこいつらを元に戻せ。」
もの凄い早さで肌身離さず持っていた剣を抜き、それを子供の顔に突きつける。
「どうしてそんな野蛮なことをするの?僕は何も悪いことをしてないのに・・・」
横にいたオリヴィエだけが、オスカーが本気で剣を向けていることがわかった。
いつもよりも激しいサクリアが彼から感じられる。
久々だ、こんなにサクリアの存在を意識するのは。
「俺は本気だぞ。」
「・・・・その子にそんな言い方をしても無駄ですよオスカー・・・・」
今にも飛びかかりそうなオスカーの横から、よく聞き慣れた柔らかな声がそれを制止した。
「リュミエール?」
オスカーは思わず、声の主を凝視しながら間の抜けた声を出してしまう。そして、小さな椅子で眠る小さなリュミエールと、目の前の存在とを見比べて固まった。
「オスカー、この子には何の悪気も無いのです。何も知らずにこの子の中にいたのですが、自然に彼の事がわかりました。」
いつもの様な柔らかな微笑を浮かべて、リュミエールはオスカーを宥める様に言う。けれどその姿は、大きさこそ元のサイズだが、まるで存在感の無い透明な影のようなものだった。
「あ・・・あの、透けてるんだけど?」
オリヴィエの恐る恐るの言葉に、リュミエールは少し哀しそうな表情になった。
「実際の私はこの子の中なのです。ここに並ぶ方々も一緒です。サクリアのおかげでしょうか、私にはまだ意識が残されていますが・・・・」
「やっぱり貴方は普通の人じゃないんだね。でなければ、僕に逆らって出てくるなんて出来るわけないもの。」
子供とリュミエールの視線が交差する。リュミエールの表情は未だ憂いを湛えているが、子供のしていることに対する憤りは無く、ただ哀れに思っているだけのようだ。
「リュミエール、一体どういうことなんだ?元には戻れるのか?」
オスカーが真剣な表情でリュミエールを見ている。彼の中に焦りと不安を見て、リュミエールは少しだけ微笑んだ。
「・・・・可哀想な子。貴方はただマリエが大好きだっただけなのですね。けれど、これはマリエが望んだことでは決してありませんよ。」
優しく、けれどはっきりとした口調でリュミエールは子供に言う。
「違う?どうして?僕は皆のお願いをかなえてあげたじゃないの。マリエがいつも望んでいた事でしょう?」
リュミエールが瞼を半分閉じて、ゆっくりと首を左右に振る。
「・・・人は沢山の願いを持ちますが、人形になって幸せになれるわけではありません。生きていてこそ悩みもすれば喜びもするのですから。違いますかマリエ?」
最後の呼びかけに驚いた子供とオリヴィエ達が後ろを振り向くと、そこには黒いドレスの美しい少女が、薄い影のように悲しそうな顔で佇んでいた。
「マリエ!」
「・・・ご免なさい・・・・私・・・」
「マリエ?どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?」
子供は、今にも泣き出しそうなマリエに、初めて表情を暗くする。マリエを幸せにしてあげた様に皆も人形にしてあげたのに。
「・・・私・・・お母様とお父様が亡くなって・・・とても寂しくて・・・おじい様はとてもお優しかったのに、いつまでも泣いてて・・・私の我が儘なの・・・」
黒いドレスは亡き両親をしのぶ色。寂しさを埋める為に両親から貰った人形を話し相手に自分を慰めていた。それだけのことなのに、こんなことになるなんて。
マリエは言葉に詰まったまま、それ以上は何も言えなかった。
「・・・それじゃあマリエは幸せになれなかったの?・・・」
子供がぽつりと言う。
「・・・お願い・・・皆を元に戻して・・・」
マリエに言えたのはそれだけだった。
リュミエールのサクリアの影響なのか、オスカーとオリヴィエが来たことによってそれが増幅されたのかは確かではないが、それは確実にマリエに意志を与えた。
「・・・なんだ、そうなの。」
ひとこと子供はそれだけ呟くと、それ以上何も言わずに動かなくなった。
「・・・大事に大事にしていたのでしょうね。思いが強い分、この子も意志を持つことになったのでしょうか。」
リュミエールが大事そうに古ぼけた人形を拾い上げる。先ほどまで意志を持ってリュミエール達を束縛していた子供は、今は何の変哲もないただの動かない人形だった。
「とにかく元に戻れて良かったよ。一時はどうなるかと思ったけどね。」
「本当に元に戻ったんだろうな?」
リュミエールがしっかりと実体なのを確かめて、改めてオリヴィエもオスカーもほっとしたようだ。
けれど、部屋の中に騒然と並んでいた人形達は、全てその姿を消してしまった。マリエの姿もいつのまにか消え去っている。彼らがどうなったのか全く見当がつかなかった。
「とにかく俺達は聖地に戻らないといけないな。あれからどれくらい経ったのか・・・」
オスカーとオリヴィエが鏡の向こうに閉じこめられていたのが果たしてどのくらいの時間だったのか。リュミエールにもはっきりとした感覚は無いらしく、起こりうる聖地での騒ぎを想像して3人は青くなった。
暗い部屋を出てみて、初めてそこが元の館の地下室だったことに気づく。
埃まみれのその部屋を出て階段を上がると、見覚えのある洋館の広々とした玄関ホールがあった。
「・・・・・あの人形もマリエっていう女の子も、この館に住んでいたわけか。」
オリヴィエが呟く。
「そうなのでしょうね。一体どれくらいの間・・・・」
俯くリュミエールが言葉尻を濁す。オスカー達にしてみれば良い迷惑だったが、リュミエールには彼だけにしかわからない感慨や憐憫があるらしかった。
十分に手入れされた廊下や、埃一つ落ちていないホールなどは、この館に初めて来た時と変わらない。明るい光の差し込む玄関の前には、大きな花瓶が置いてあり、つい先ほど摘んできたばかりのような瑞々しい花たちが生けてあった。
「綺麗な花だけど、何て言う花だろう・・・・・って何で花なんか飾ってあるんだい!?」
彼らが来たときには花なんか無かった。むしろひっそりとした佇まいで、老人二人が余生をおくっているといった風情だったのだ。
けれど、今はなんとなくそこはかとない生活感が感じられる。
少しだけ期待を持ち始めた彼らの横で、不意に扉が開けられた。
「・・・マリエ・・?」
一番先に反応したのはリュミエールだった。扉の向こうから笑顔で出てきたのは、先ほど見たばかりのマリエだった。今度はきちんと実体を持っている。
「皆様には本当にご迷惑をおかけしました。おかげで私たちは元の姿に戻ることが出来ました・・・」
マリエの後ろから、二人の老人の姿があらわれる。
「・・サー・ロレンスにトーマスさんではありませんか・・・」
驚くリュミエールに、サー・ローレンスが穏やかに笑った。
「孫娘を助けていただいて感謝しています。この子が消えた後、私とこのトーマスも同じように・・・・。こんなことになるまで私はこの子の寂しさをわかってあげられなかった。本当に悔やまれます。」
マリエの頭を撫でながら、彼は申し訳なさそうに言う。だがマリエは、大きく首を振って彼の言葉を否定した。
「おじい様!そんなことはないわ。私が馬鹿だったの。私がいけないの・・・」
しまいには泣き出してしまったマリエに、サー・ロレンスは優しくその身体を抱き寄せた。もう随分と長い間出来なかったことだ。
「・・・私たちはすぐに戻らなければならないのですが、どうかお幸せに。大変でしょうが・・・」
そんな言葉に、老人はゆったりと頭を下げる。マリエはまだ泣きやまないが、赤い目を彼らに向けてはにかんだように笑った。
二人を見守りながら、リュミエール達はそっと館から出る。
この明るさだと、きっと今は早朝に違いない。
「リュミエール、何がどうなっていたのか、後できちんと話してくれるだろうな?」
オスカーが納得行かない顔で言った。
「ええ、ジュリアス様に見つからなければそういたしましょう。」
「それが一番怖いんだけどね・・・」
オスカーの夜遊びならともかく、守護聖が三人もいなければ騒ぎがどこから起こるかわかったものではない。
心配がないわけではないが、マリエ達のことは彼ら自身にまかせることにして、リュミエール達は聖地へ帰るべく館を後にした。
「リュミエール!!」
「?マリエ?」
つい先ほどまで泣いていた少女が、慌てて館から飛び出してくる。
明るい表情でリュミエールに耳をかすように言うマリエに、不思議そうな顔をしながらもリュミエールは少し屈んだ。
「リュミエール、あのね・・・」
訝しげなオスカーとオリヴィエの前で、二人がお互いを見て笑う。リュミエールがマリエに大きく頷くと、マリエは満足したように再び別れを言いながら館へ戻っていった。
「おい、何の話だ?」
「・・・何でもありません。いつかお話する機会もあるかと思いますが、今は必要ないでしょう。とにかく聖地へ戻りましょうオスカー、オリヴィエ。」
「内緒にされるとますます気になるんだってば。」
「マリエと、私だけの内緒です。」
館の先に見える家並みの下では、既にたくさんの人達が仕事をはじめていて賑やかなざわめきが伝わってくる。
不満そうなオスカーの横で、オリヴィエが空腹を訴える。
とりあえず聖地に帰って食事にありつくのが最優先事項だった。
・・・・ずっとあの赤い髪の人のことを考えていたでしょう?・・・・
まるで一つに溶け合った様にお互いの気持ちが見えていた。
とっても大事なお友達なのね、と茶目っ気たっぶりに言ったマリエは、どこか聖地の女王を思い出させる。
リュミエールはマリエ達が幸せに過ごしてくれることを祈った。
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