マドンナに花束を 3
良い成績を保つには、やはり毎日の予習復習が大切である。
オスカーは毎日放課後になると、図書館の自習セクションで教科書をひらくのが習慣になっていた。
「何が予習復習だよ。動機が不純すぎじゃないか・・・」
「五月蠅い。」
何が楽しいのか、今日はオリヴィエが横に陣取っている。彼自身は適度にお勉強が良くできる質なのか、小テスト等で赤点を貰った事などは見たことがない。単純にオスカーを面白がってくっついているだけだった。それを面倒だとかうざったいだとか思わせないあたりが、オリヴィエの性格の特異点かもしれない。
「お前、大学部にいるあいつの兄とかいう奴のこと知ってるか?」
「知ってるさ、私の従兄弟と友達だからね。もしかして張り合ってるのかなオスカー君?」
「初等部からあのジュリアス先輩と共に連続トップ、顔良し頭良し、おまけに金持ちときたら張り合えるわけがないだろう。」
「性格は暗いけどね。」
クラヴィスと同じ学年のジュリアスというのは、オスカーの父の親友の息子でこの学園にはやはり幼等部から通う人物である。彼の父の希望でオスカーはここの入学試験を受ける羽目になったのだが、オスカーは小さい頃からずっとジュリアスを尊敬している。入学した途端にリュミエールの追っかけと化してしまった為に、ろくに会うことすらなくなっていたが。
「そういやジュリアスが以前、随分と出来の良い知り合いが入学してくるって言ってたけど、それってあんたの事だったんだね。」
「あの先輩が何でまたクラヴィス先輩と親しいのか理解に苦しむんだが、何にせよリュミエールの兄とわかれば仲良くならないといけないんだ。」
「随分肩入れしてるねえジュリアスに。別にクラヴィスを落とすのに、ジュリアスと仲がいい必要はないけどね。あの二人はあんまり相性が良くないからさ。」
なら何故親しいんだ、とオスカーは怪訝な顔をするが、オリヴィエ曰く二人の関係はあれで良いらしい。
「お前、本当に学園のことに詳しいよな・・・」
「自然に耳に入るんだから仕方がないだろう?」
実際オリヴィエと親しいおかげで、いろいろな事もわかったし、あちこちに顔もきく。内心では有り難く思っているオスカーだった。
「リュミエール?どうかしたのか?」
「あ・・・・・カティス様・・・・いえ、何も・・・・」
いつもなら図書館での仕事がある時間なのだが、リュミエールは何故か大学部の建物の裏にある温室で一人ぽつんと花を見ていた。
「何もないという顔ではないけどな。どうしたんだ?」
「・・・・・・」
カティスは趣味で温室の管理を引き受けている大学部の学生だ。クラヴィスやジュリアスとは幼等部からの友人なので、リュミエールとはとても親しい。まるで弟の様に可愛がっているので、時々リュミエールも花を鑑賞しにここへ顔を出すのを習慣にしていた。
「ん?リュミエール、その傷は一体・・・・」
じっとリュミエールの言葉を待っていたカティスだったが、ふと彼の白くて綺麗な右手に見るも無惨な傷がついているのを見つけて眉をひそめる。まだ新しいその傷は、簡単に血を止めただけできちんと手当がされていなかった。
困った様な表情のリュミエールの右手をそっと掴んで傷の具合を見る。
「随分とすっぱり切れてるな。刃物でも使わないとここまでは切れないぞ?」
おっとりとしたリュミエールがよもや遊んでいて怪我をする事はないだろうから、とカティスは大体の見当をつける。
「リュミエール?」
言うまで離さないぞ、とばかりにカティスは返事を促す。リュミエールも観念したのか、小さな声で事情を話し出した。
「・・・・ここのところ嫌がらせが多くて・・・・今日は・・・机の中にしまって置いた教科書にカッターの刃が隠してあって・・・・その・・・・・・」
話しながらだんだんと涙目になっていく彼を見て、カティスは深くため息をつく。
「わかった、もう良いよリュミエール。相変わらず泣き虫だなあ、クラヴィスが甘やかしてるんだろう?」
「すみません・・・・」
「こら、俺は怒ってるんじゃないぞ。」
小さい頃から常に兄の後ろにくっついていたリュミエールを思い出してカティスは苦笑する。今では子供の頃みたいに泣き出したりはしないが、やはりカティス達が相手だと昔と全く変わっていないらしい。弟を叱るわけでも慰めるわけでもないクラヴィスの横で、よくカティスやジュリアスが呆れたものだ。
カティスは温室に置いてあった救急箱を出してきて、手早く手当をした。放って置いて跡が残ったりしたら大変だ。
「お前も少しは反撃出来ればいいんだがなあ・・・・・」
「でも・・・わたくしに非があるのでしたら直さなければいけませんし・・・」
「原因はお前じゃないだろう。当ててやろうか?嫌がらせをするのは中等部の女子、理由は高等部の新入生。違うか?」
「・・・・・」
答えないリュミエールに、自分の予想が大当たりだとわかる。
リュミエールは昔から上級生に人気があった。その綺麗な容姿と上品な物腰が常に目を惹くし、何よりも学園でもっとも目を引くクラヴィス達が後ろにいる。だがその反動か、同年代の、特に女子には反発を買うばかりだった。弟みたいな目で見ている上級生のお姉さま方はともかく、自分たちより綺麗でさりげなく頭の出来も良い彼を完全に敵視しているお子さま達は手に負えない。
今回も、人気ナンバーワンであるオスカーがやたらとリュミエールをかまうのが気に入らないのだろう。
「確かにオスカーは目立つ奴だが、お前に嫌がらせをするのは見当違いだな。オスカーにきちんと言って女の子達に話をつけて貰うのが一番だと思うが・・・」
「それではオスカー先輩にご迷惑をかけてしまいます。」
「そのご迷惑をかけられているのはお前の方なんだが、どうもその性格だけは変わらない様だな・・・」
からかうように言うカティスに、リュミエールは困ったように下を向いた。
「あの・・・大丈夫ですから、お兄様達には黙っていて下さいカティス様。」
「その傷はすぐにバレるぞ?」
「わたくしの不注意で怪我をしたのです。そう言います。」
「・・・・仕方がないな。だが、嫌がらせが酷くなるようなら言うんだぞ?」
「はい。有り難うございますカティス様。」
にっこりと笑ってリュミエールは頷く。
カティスとしては、彼にはいつもこうやって笑っていて欲しいのだった。
「あっ」
突然リュミエールが声をあげる。
「とうかしたか?」
「4時を過ぎてしまいました。」
時計を見ながらリュミエールは慌てたように立ち上がった。
「オスカーとデートか?」
「きっと心配なさっているに違いありません。」
「リュミエール、これを持っていきなさい。綺麗だからお前にあげよう思っていたんだ。」
「有り難うございます。では失礼いたしますね。」
カティスが差し出したのはとても綺麗な白い百合だった。数本だけだが、たぶん一番綺麗なものを彼の為に切ってくれたに違いない。
嬉しそうな表情を向けた後、彼は優雅にお辞儀をしてそのまま急いで走り去った。残されたカティスが少しばかり驚いていたのは、たぶんリュミエールがばたばたと走るのを初めて見たからかもしれない。
カフェテリアで夕食が始まるのは5時。図書委員の仕事は4時までだ。
いつもならリュミエールは3時半過ぎにはオスカーのいる4階に姿を現すのだが、今日に限って彼は4時になっても来なかった。
「なんだ、今日はいないんだねリュミエール。」
「いや、今日も同じ時間だと言っていたんだが・・・・」
オスカーは、リュミエールが何か事故にでもあったのかと心配になる。彼は無断で約束を破るような人ではない。けれども、さりげなく本を探しているフリをして図書館を回ったが、彼はどこにもいなかったのだ。
「何か用事が出来たんだろう。もう少し待てばきっと来るよ。」
「そうだと良いんだが・・・・」
それでも心配そうに立ち上がろうとしたオスカーの耳に、エレベーターの音が聞こえてきた。二人がそちらに目を向けると、息をきらしたリュミエールが慌てた様子でこちらに向かってくるのが見える。
「リュミエール!」
「すみませんオスカー先輩。用事があって、気がついたらこんな時間になってしまいました。」
「いや、大丈夫か?走ってきたんだろう?」
「あんたが走るなんて珍しいじゃないか。久しぶりだねリュミエール。」
「ごきげんようオリヴィエ、今日も派手ですね。よく似合ってらっしゃいますが。」
息を整えながらリュミエールはオリヴィエにからかうように挨拶をする。横でそれを見ていたオスカーは、二人が思ったより親しいのに驚いた。何より、自分は先輩なのにオリヴィエに対しては呼び捨てしているのが気に入らない。
「綺麗な百合じゃないか・・・あれ?その包帯どうしたんだいリュミエール?」
「怪我したのか!?」
リュミエールは、カティスに手当をしてもらっておいて良かったと内心で思う。傷そのものを隠しておけば、言い訳はいくらでも出来るだろう。
「ぼんやりとしていて軽い怪我をしてしまいました。でも、先ほどカティス様に手当をしていただきましたから大丈夫ですよ。」
「ああ、その百合もあいつから貰ったんだ?私にはくれないのにリュミエールにはとって置くんだから現金な奴だよまったく。」
「カティスっていうのは確か・・・・」
「私の従兄弟で、クラヴィス達とは同期だよ。初日に教室まで花を運んで来た奴がいただろう?」
「カティス様が育てる花はとても質が高いのですよ。入学式などの行事には必ず温室の植物を使います。この百合も良い香りがいたしますね。」
うっとりと言うリュミエールに、オスカーは心の中でお前のほうが綺麗だと呟く。口に出すとオリヴィエのからかいの種を増やすのでそれはやめておいた。
「リュミエール、怪我には気をつけろよ?せっかく綺麗な手をしているのに勿体ないからな。」
「はい気をつけます。」
素直に頷くリュミエールに、オスカーは安心する。しかし、リュミエールが同じ学年でオリヴィエみたいにクラスメイトだったらいつでも守ってあげられるのに、と少しため息が出た。
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