マドンナに花束を 7
今までリュミエールが昼休みに温室へ行くことはほとんど皆無だった。午前の講義が終わると真っ直ぐに異母兄であるクラヴィスのもとへと向かうせいなのだが、今日は珍しく昼時に温室の側をふらふらと歩いている。カティスに、咲いたばかりの白バラをわけてあげると言われたので、異母兄のもとに向かう前に立ち寄ったのだった。
「オスカー先輩ってば、誉めるのが上手すぎますよー」
「俺のは常に本心なんだけどな。」
「きゃあっ」
温室に近づくにつれて、女の子達の騒がしい悲鳴やらなにやらがリュミエールの耳に入ってくる。どうやら真面目に昼食を一緒にしているらしいオスカーが、随分と楽しげに女の子達に囲まれていた。
リュミエールはちらりと彼らのいる方を一瞥したが、彼自身の表情には特に変化もない。さっさと温室へと入り、カティスが彼の為によけておいてくれたたくさんの白バラを抱えて、再び温室を出る。そのままそこを立ち去るつもりだったので、オスカーには声をかけなかった。
「リュミエール!無視して行くなんて酷いじゃないか。」
「・・・・先輩・・・・」
だがオスカーの方でもめざとく彼の姿を見つけていた。女の子達の神経を逆撫でしない為にはリュミエールを無視するのが得策かもしれなかったが、そこまでする義理はオスカーには無い。カティスあたりになら青二才呼ばわりされそうなものだが。
「・・・・ごきげんよう先輩、皆様方。それでは急ぎますので失礼します。」
優雅に一礼すると、リュミエールはそそくさと立ち去ろうとする。オスカーは、ヤレヤレといった感じで肩を竦めたが、それ以上は何も言わなかった。
けれども女の子達は、ちょっとカチンときたらしい。
「ちょっとリュミエールさん!」
「先輩がせっかく声をかけてらっしゃるのに、その態度は失礼なんじゃない?」
実に勝手な言い分だが、リュミエールは困った様な表情で立ち止まったまま、そこを立ち去ることが出来なかった。
そういう表情はたいていの人間相手には有効なのだが、オスカーに心酔している女の子達には逆効果だったらしい。
「貴方も私たちと一緒にお話したらどう?ききたい事とかもあるのよ、いろいろと。」
「そうね!お昼休みはまだまだあるのだし。」
「・・いえ・・・わたくしは・・・」
決して友好的な表情ではない彼女達の言葉に素直に従うのはあまり利口なことではない。オスカーがいる間はともかく、昼休みが終わった途端に何をされるかわかったものではなかった。もっとも、リュミエールがそこまで考えたわけではなく、彼女たちから感じる不穏な雰囲気に単に怯えていただけであるが。
「おいおいお嬢ちゃん達・・・・・何でまたそんなに喧嘩腰になる必要があるんだ?」
困ったリュミエールを放っておけるはずもなく、オスカーは呆れ顔で女の子達の間に割って入る。
「だって先輩・・・!」
「まったく・・・理由が俺なら、リュミエールを苛める事はないだろうお嬢ちゃん達?大体、最初から俺の方からこいつにアタックかけてるんだからな。」
「・・・・オスカー先輩・・・・」
何も言い返せないお嬢ちゃん達と困り顔のリュミエールの前で、オスカーはにやりと笑みを浮かべて言う。
「そうだな・・・これならわかって貰えるかな?」
「え!?」
言うが早いかオスカーは、あろうことかリュミエールをがつっと引き寄せると、目を見開いている彼の唇に思い切りキスをした。
「きゃー!!!!」
オスカーより身長の低いリュミエールは、彼を見上げる姿勢になる。端から見ればなかなかに目の保養になる光景だ。
だが、女の子達のキャーキャー叫ぶ声も、間近で見ると一層格好良いオスカーの顔も、一瞬で頭が真っ白になったリュミエールには知覚されていなかった。
腕に抱えていた純白のバラの束が、すりぬけるように地面に散る。
気が付いたらリュミエールはオスカーを突き飛ばして駈け去っていた。
「ちょっと刺激が過ぎたかなあいつには・・・・」
ため息をついてオスカーは散らばったバラを拾い集め出す。
「じゃあなお嬢ちゃん達。いい加減あいつにちょっかい出すのはやめるんだぞ?」
「・・・・・」
硬直しているお嬢ちゃん方を置いて、バラを拾い終わった彼はさっさとリュミエールが駈け去った方向へと歩き出した。
信じられない。
あんな公衆の面前でキスするなんて。
でも。
彼にしては珍しく、彼なりの全力疾走で、彼の聖域である図書館に駆け込む。そのままエレベーターで上に向かい、誰もいないスタディールームに入るなり床の上に座り込んだ。
「・・・・・・・・逃げて来てしまいました・・・・」
滅多に走らないリュミエールは、しばらくしてもなかなか整わない息の下で呟く。
オスカーにキスされた時は、はっきり言って彼の人生でこんなに驚いた事はないという位に仰天した。何も考えずに走り去って来たが、残されたオスカーや女の子達はどう思っただろう。
冷静になればなるほど、心配になってくる。
本当なら不届きな行動をしたオスカーが悪いのだろうが、そもそもそういう思考に走ることのないリュミエールは、嫌われたかもしれないという漠然とした不安に襲われた。
「どうしましょう・・・・きっと・・・・呆れてしまったでしょうね・・・・」
そう呟いた途端に、どこかでものすごく寂しい気持ちになる。
リュミエールは膝に顔を埋めてしまった。
「・・・・そんなわけないだろう?」
「え?」
突然、声とともに白いバラの束がバサっと降ってくる。リュミエールが慌てて頭をあげると、オスカーが優しげな表情で彼を見ていた。
「・・・先輩・・・どうして・・・」
「悪かったよリュミエール。お前があんまり免疫がないのはわかってたんだが、どうにもあのお嬢ちゃん達には困ってな。」
オスカーはそっとリュミエールに手を差し出す。
リュミエールは素直にその手をとって立ち上がった。
「わ・・わたくしこそすみませんでした。」
「お前が悪いことなんて何もない。俺のほうこそ、お前に嫌われたかもしれないと心配になったけどな。」
リュミエールが目を見開く。
「嫌いになるだなんて・・・・わたくしみたいな者と親しくしていただけて、それだけで夢みたいなのに・・・・」
「夢みたい・・って、それは俺のほうだぜリュミエール。」
オスカーは困った様にリュミエールを見た。
「何せ、どうやったらこのとんでもなく綺麗な下級生と仲良くなれるか、そればっかり考えていたからな。まさに一目惚れというやつだ。」
「先輩・・・・私は・・・いえ・・あの・・・」
途方にくれた様に言葉が出てこないリュミエールに、オスカーはポンポンと肩をたたいてやる。
「嫌われてないなら、それで良い。」
「そうではなくて、ですから・・・・嬉しいです、本当に・・・」
それだけでもオスカーには充分だった。
「しかし・・・あんな事したとなると、後でお前の兄達に怒られるだろうな・・・・」
正直言ってそっちのほうが恐ろしい。
「そんなっ、そんなことありません絶対・・・」
リュミエールは頬を上気させて否定する。
「だと良いが・・・」
「大丈夫です先輩。」
リュミエールがにっこりとオスカーに笑いかける。
決して唐突ではなく。
まるで白バラの精がオスカーに祝福をくれる様に。
そっとリュミエールは彼にキスを贈った。
「これでわたくしも共犯ですし。」
言った後、リュミエールは途端に真っ赤になるのだった。
終わり
BACK
|