銀色の夜
この聖地へ初めて守護聖として足を踏み入れるその瞬間というのは,誰もが何かを捨て去ったり仕舞い込んだりするだろう。
聖地を去るその日まで,決して他人には見せたりしない彼らの過去。
オスカーが,新しい水の守護聖を見たのは,彼自身ですら聖地へ来てからそう経ってはいない頃だった。
慣れない聖地での生活も,ほどほどに引継ぎの終わった執務も,彼は適度に卒なくこなしてみせた。
あまり自分の立場を悲観することなく,炎の守護聖としての自覚がしっかりと芽生えていたのは,彼自身の性格のおかげなのかもしれない。
そんな彼だから,初めてリュミエールを見た時は,正直いって驚いた。
「はじめまして。リュミエールと申します。」
そう言いながら丁寧に頭を下げるリュミエールは,年がほとんど同じはずなのに,オスカーよりもずっと子供っぽく見える。
そしてその後,前水の守護聖の下で仕事をしその人が聖地を去る頃になっても,彼の奇麗な青い瞳や頼りなさげに組まれる手元が,
リュミエールの心が未だ故郷に飛んでいるのを表わしていた。
炎と水という逆でもあり対でもあるサクリアのせいなのか,オスカーはいつも気になってリュミエールを目で追ってしまう。
だがら彼の心の動きなどオスカーには手に取る様に分かった。
「リュミエール,お前はこんなところで一人にならないと泣けないのか?」
「・・・・・オスカー・・・?」
少し慌てた様にオスカーを見上げるのはリュミエールだった。
「どうして貴方が・・・」
「それはこちらのセリフなんだがな。水の守護聖の館からだいぶ離れた湖にお前がいる方が変だと思うが。
しかも深夜にな。ちなみに俺は自分の館へ帰る途中だ。」
オスカーは,週末になると密かに主星へ降りて適度に遊んで来るということをしていた。
執務その他に影響さえなければ,誰も咎めたりはしないので彼は比較的自由な週末を過ごしている。
今夜もそんな帰りだった。
「お前,いつもこうやって夜に一人でいるだろう?」
「・・・・・・」
「何で知ってるかって?俺もいつもこうやって通りかかるからな。」
「いつも・・・いつも見ていらしたのですか?」
「まあ,そういう事になるかな。」
それをどう思ったのかリュミエールは少しだけ恥ずかしそうな表情を見せて俯いた。
その横でオスカーは何となく笑ってしまった。
「リュミエール,お前程ではないが俺だって自分の故郷が懐かしい時があるんだぜ。そんなに恥ずかしい事じゃないさ。」
「・・・・貴方はとても優しいのですねオスカー・・・」
「俺はいつでも優しいさ。」
「ふふ,それは存じませんでした。」
リュミエールが楽しそうに笑っている。
どこからともなく込み上げる不思議な気持ちに,オスカーは奇妙な思いでいた。
「わたくしも・・・いつまでも泣いていてはいけませんね・・・・」
オスカーと少しだけ話しをしただけなのに,どことなく心が軽くなっているのにリュミエールも不思議な思いだった。
今まで自分を塞いでいた不安や悲しみといった負の感情が,一挙に浄化されていく感覚がリュミエールの中で浸透していく。
「それは何だ?」
「これですか?」
ふとオスカーは,リュミエールがその手に持っている物が目に入った。
彼は先程からずっとその手に大事に包むようにしている。
「・・・・これは思い出です。」
彼の手にあったのは細い銀の鎖だった。夜の僅かな明かりの下でもわかる綺麗な小さな青い石が一つついている。
リュミエールはそれを何度も何度も優しく撫でた。
「私が聖地へと召されたその日に母が持たせてくれたのです。故郷の海の色に似たこの青が慰めになるようにと・・・・・」
「それが逆に枷になっているみたいだがな。」
「ええ・・・・・」
寂しそうな口調だが,リュミエールの表情は何かを決心したような強さがあった。
彼はオスカーが見つめる中ですっと静かに立ち上がり,訝しげな顔のオスカーににっこりと笑いかけた。
「これはどこかに埋めてしまいましょう。良い所をご存知ではありませんか?」
「良い所か・・・・ならばついてこい。」
オスカーは勢い良く立ち上がると,リュミエールの手をひっぱる様にして館とは逆の方向へと歩き出した。
夜の聖地は昼間の様な活気はないが,それでも美しさは変わらない。
その暗がりの中を小走りに行くリュミエールとオスカーの姿は,誰かが見ていたらとても幻想的に見えたかもしれない。
しばらくすると,大きな建物の影が見えてきた。どんどんと二人は近づいて行ったが,オスカーはその建物の裏で足を止めた。
「ここは・・・・」
「闇の守護聖の館さ。」
「クラヴィス様・・・・の?何故ここに?」
「誰も近づかないだろう?だから,大事な物を埋めておくにはもってこいだと思ったのさ。」
「・・・・・・それは随分と単純な理由ですねオスカー。」
「はははっ!ほら,埋めるんだろう?」
「え?ええ,そうですね。クラヴィス様には申し訳ないですが,こっそり埋めさせてもらいましょう。」
それから二人で,館からそれ程離れていないところにそびえていた大木の根元に銀の鎖を埋めた。
途中ふと見たリュミエールの表情がどこか楽しそうなので,オスカーは少し嬉しくなった。
まるで子供が宝物を隠すかのような,二人だけの秘密を持ったような気分がどこか心地良い。
「すっきりしたか?」
「はい。」
「では帰るか,水の守護聖殿?」
「はい,オスカー・・・・」
それから聖地でも長い月日が経った。
聖地へ来た年齢のせいかオスカーもリュミエールも見違える程の変化があったが,二人の間もそれなりに成長を見せている。
「今日は随分とやりあってしまいましたねオスカー。」
「ジュリアス様が困った顔をなさっていたな,そういえば。」
今日は定期的な集まりだったが,いつも以上にリュミエールとオスカーが意見を言い合っていた為に,
他の守護聖たちは全く口が出せない状態だった。
だが,あまりにも正反対に別れるこの二人がほとぼりも冷めない内に,
リュミエールの館で仲良くのんびりお茶をしているなどとは誰も想像がつかないだろう。
「あっ・・・」
「大丈夫か!?」
手が滑ったのか,リュミエールがお茶の入ったポットをひっくりかえした。
オスカーは彼が火傷していないかどうか確かめようと,リュミエールの手を掴んだ。
「大丈夫ですよオスカー。ポットが倒れただけですから。」
「それなら良いが・・・・手元には気を付けろよリュミエール。」
「はい。オスカーは優しいのですね。」
「俺は常に優しいと思うが?」
お前には特にな・・・・というのはオスカーの中にだけしまわれている。
リュミエールとオスカーはあくまでも対等な立場なのだから,これは口にはしないと決めた。
「今・・・・何やら懐かしい気がしましたが,何なのでしょうね・・・」
「懐かしいと思うなら,きっと良い事だろうな」
「・・・・そうですね。きっと・・・」
リュミエールはどことなく嬉しそうに,倒したポットを持っていれなおしに行った。
聖地に来たばかりのあの頃のことなど,既にリュミエールの中では浄化されてしまっている様だ。
だが,二人の関係だけはそのまま育っているのがオスカーには嬉しかった。
長い月日が経とうとも,オスカーの中での彼リュミエールの位置も絶対に変わらないのだから。
END
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