難破船 3
オスカーは浮かない表情で歩いていた。
愛馬を駆る気にもなれず,薄闇の中をただひたすら歩いていた。
「....俺にはあいつが何を抱えているのかわからない....」
吐き出すようにつぶやく。
眠ったまま起きないリュミエールを,彼の館に自ら送り届けたのは数刻前のことだ。
長い間気が付かなかった自分の本心を,正直に彼に伝えることにためらいはなかった。答えを貰う事は出来なかったが,それ以来自分達の間にあった壁が取り去られた気がするのだ。リュミエールはオスカーが傍にいたい時にはそれを赦してくれる。
そんな優しい時間が始まってからもうだいぶ経った。時間というのは,変化が無いようでも実はちゃんと何かを変えていく。オスカーはリュミエールの表情や仕種の中に,以前とは違うものを見ていた。
オスカーと視線を合わせる時に見せる優しい微笑み。その中に垣間見える,錯綜する不安と希望。オスカーはそんなリュミエールの心の動きが少しづつわかる様になってから,酷く嬉しかった。
しかし,このところ感じる何か尋常ではないものが,オスカーを恐ろしく不安にさせている。リュミエールと自分の間に,薄い膜が張られている様な疎外感があるのだ。今日も何か不安になって,仕事を凄まじい早さで済ますと彼の執務室に足を運んだ。ノックしても返事がないので勝手に扉を開けたが,直後に机の上で突っ伏しているリュミエールを見てオスカーは青くなった。しかし,穏やかな寝息が聞こえると途端に安心したのだった。
けれども,執務中にこの様に寝てしまうのは,リュミエールにしては珍しいというより異常だ。結局2度目に眠ってしまった後は全く目覚める気配がなくて,仕事を終えているオスカーはそのまま彼を連れて帰る事にした。
「この俺が....本気の恋とかいうやつか....」
オスカーは自嘲ぎみに口元を歪める。
眠るリュミエールをそのまま眺めていることすらもどかしくて,逃げるように館を出てきてしまった。使用人をほとんど使わないリュミエールの館では,彼の姿を見たものはいなかっただろう。だがオスカーは,自分の情けない姿を誰かが見ようが見まいがどうでも良かった。
「.....自信の無いことだまったく。」
親に叱られた子供の様に逃げてきた自分が,なんだかおかしい。オスカーはそれでも笑う事はできず,ため息を一つ洩らした。
「アンタ,朝っぱらから随分シケた顔してるねえ。何があったんだい?」
翌日,朝から不景気な表情のオスカーに,オリヴィエが躊躇わず声をかける。
「オリヴィエ....何か用か」
「ちょっと,自分が機嫌が悪いからって,他人にあたらないでほしいねまったく。」
きつい眼差しで自分を睨むオスカーに,オリヴィエは呆れ顔で人差し指を突きつけた。
「せっかく心配してやってるんだから,少しは素直にしなよ」
「....すまないオリヴィエ....」
思ったより早くオスカーが折れたので,オリヴィエは拍子抜けしたが,気を取り直す。オスカーをからかうのが彼の目的ではない。
「ちょっと時間くれるかな。そうだねえ,私のとこに来てもらおうか?」
訝しげな表情をしながらも,オスカーは肯く。二人はとりあえずオリヴィエの執務室へと歩いていった。
「で,何だ?」
「.....あんたとリュミエールだよ。何かあったわけ?」
普段から出歯亀を承知でオリヴィエは時々二人にはっぱをかける。オスカーがリュミエールに告白をした事など誰にも言ってはいないが,彼にはすぐにわかったらしい。彼曰く,雰囲気が前と全然違うのだそうだ。
「...別に何もないが?」
「本当に?」
意外に真剣な眼差しのオリヴィエに,オスカーも少し心配になってくる。自分達はそんなに問題があるように見えるのだろうか。少々どんよりしてしまう。
「....ちょっとね,気になる夢を見たんだ。あんたじゃなくてリュミエールなんだけど....」
「リュミエールの?一体....」
「なんかさ、海のイメージなんだよね。リュミエールと誰かわかんないけど男のコが一緒にいてさあ、二人ともすごく寂しそうな顔してた。あんまり良い夢じゃないからね、一応忠告しとこうと思って。」
夢を司るオリヴィエが言うのだから、無視できることではない。オスカーは、少し前から感じていたリュミエールの変化とオリヴィエの話が一緒になって、とてつもなく不安になった。
「リュミエールのところへ行ってみる。やはり何かおかしいからな....」
「ま、がんばりなよ。また変なことがあれば報告するからさ。」
「ああ、世話かけたなオリヴィエ」
オスカーはそれだけ言うと、足早にリュミエールの執務室の方向へと去っていった。オリヴィエは苦笑するが、途端に眉をよせる。
「嫌なことにならないといいけど....」
聖地の朝は、いつもと変わりなく、穏やかだった。
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