難破船 4
「リュミエール!」
オリヴィエと別れてすぐに彼の執務室に行ったのだが,あいにくと不在だと告げられ,思い付くままに宮殿を出た。
「オスカー....どうしてここに?」
探し人は,宮殿から然程遠くない小さな湖のほとりで,一人何をするわけでなく佇んでいた。今日も顔色が良くない。
「お前のところへ行ったら不在だったんでたぶん此処だと思ったが,とりあえず正解だったな。」
にやっと笑ってみせるオスカーに,リュミエールがふっと微笑する。
「昨日はご迷惑をおかけしましたねオスカー。送って下さったのでしょう?」
「大分疲れてる様だったからな。身体の具合でも悪いならおとなしく寝ていた方がいいんじゃないのか?」
「....私はいたって健康ですよ。ご心配有り難うございます....」
普段と変わらず穏やかに微笑みながら礼を述べるリュミエールに,オスカーは眉根を寄せた。誰にでも見せる優しげな微笑みだが,オスカーは個人的にあまり好きではない。他人行儀で好ましくないというのが正しいかもしれない。
「.....最近,変わった事とかはないか?」
唐突にオスカーが切り出す。放っておくと,常と変わらない世間話で終わってしまいそうだからだ。なんて色気がないんだ,とオリヴィエがよく言うのだが,これでも彼らの間はかなり進展した方なのだ。
一瞬だけリュミエールの表情が少し硬くなるのを,オスカーは見逃さなかった。
「...俺は....そんなに頼りないか?」
「.....え?」
真摯なアイスブルーの瞳にみつめられて,リュミエールは耐え切れず目をそらす。俯き加減の彼を見ているオスカーの目はとても優しいのに。
「好きな人のことは,想像以上に気になるものだな。何を考えているのか,どんな気持ちでいるのか,一挙一動が目に付いて離れないんだ。」
何を言うのだろうと,リュミエールはオスカーを再び視界に収める。
途端,顔が赤くなるのがわかった。
どうして彼はこんなに正直に,まっすぐ思いを伝える事が出来るのだろう。
リュミエールは内心で呟く。
「座らないか?」
「....仕事に戻らなければ....」
「逃げるのかリュミエール?」
「オスカー......」
困ったような笑みを浮かべるリュミエールを,強引に引き寄せて座らせる。彼も抗って立ち去ろうとはしなかった。
水面が美しく光っている。
そよ風に僅かに波立ち,それでも澄んだ透明な水が鏡の様に光をはねかえす。
「水っていうのは,見てると心が落ち着いてくるな。お前といると心地よい理由がわかる気がするよ....」
オスカーは,遠い目をしてそう言う。だから,リュミエールが揺れた瞳で彼を見ていたのに気が付かなかった。
「以前はあれほどに反発したのにな。何時の間にか,目が離せなくなって,皆といる時のお前を見てるともどかしかったんだ。」
「オスカー....」
既に癖になっているのか,オスカーがリュミエールの髪をいじっている。奇麗で艶やかな青銀の髪が,オスカーの長い指の間をするりと落ちていった。
「なんでお前,何もぶつけてこないんだ?俺に笑顔を張り付かせたって,裏が見えてしまえば意味がないんだぜ?」
「裏....とは何ですかオスカー?」
リュミエールの口調が少し震えている。今の彼には,オスカーの真っ直ぐさが恐かった。
「変な意味じゃないさ。優しさを司る水の守護聖としては,皆に平等に接して優しさしか見せないのは当たり前だろうが,俺はお前が本当に思っている事やしたい事を知りたいといつも思ってるからな。」
「貴方だけですよ,そんな風におっしゃるのは.....」
ため息交じりに言うリュミエールだが,本当はオスカーがそれ程に自分を見ていてくれるのが嬉しくて仕方がない。素直になれない気持ちの反面,隠し切れない本心がそこにあった。
「そうかな?俺だけじゃないと思うけどな。」
オリヴィエは最初から気が付いていた。何も言わないクラヴィスは,もっと良くわかっている,というか見えているだろう。オスカーでもそれはわかる。リュミエールだけがわかっていないのだ。
「もっと,まわりの温かさに目を向けてもいいんじゃないか?」
「.....」
「もっとも,俺に甘えてくれると一番嬉しいんだが。」
リュミエールが照れて赤くなる。今日はオスカーの方が上手だったようだ。オスカーもリュミエールの内面を垣間見れて満足だった。
「....有り難う御座いますオスカー。少し気分が軽くなった様な気がします。」
「そうか?」
時々感じるオスカーの激情とはうらはらに,告白してからの彼は常に穏やかに接してくれる。先程まで,冷たい冬の寒さの中に一人取り残されていたような気持ちだったのに,今では春の日だまりの中で眠っている様な心地良さだ。
「そろそろ仕事に戻りませんか?せっかくの穏やかな時間が勿体無い気もしますが....」
「そうだな。ジュリアス様に見つかったら叱られるぞ。」
笑いながら二人して立ち上がる。
リュミエールの表情が大分明るいのに,オスカーはようやく安心した。好きな人にはいつも笑顔でいてほしい,というのは誰が相手でも変わらないものだ。
一緒に宮殿まで歩いて,お互いの仕事へと戻る。
去り際にリュミエールが羽根の様な軽いキスを贈ってくれたのに,オスカーはガラにもなく照れた。
二人が去った後にも,湖は静かに波立っていた。
そこに映る人影が,彼らの後ろ姿を睨むようにしていたのを彼らは知らない。
『赦さないよ僕は.....』
誰にも届かない声がこだまする。
そこには,見えない悪意が水面下にあふれていた。
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