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難破船 7







ふわふわとしたこの感覚。自分は空中に浮き上がっているのだろうか?
 オスカーの意識は酷く混濁していた。自分がどこにいるのかもよくわからない。
 それでも,薄く眼を開けてみる。

”・・・・・・ここは・・・・・雪?”

 ゆっくりと舞い降りて来る白い星の粒。
 オスカーの眼に映るのは,暗く蒼い世界だった。

”・・・・違う・・・水の中だ・・・・”

 果てしなく深い水底へ向かって落ちて行くのは,かつて命を持っていたもののなれの果て。それはただオスカーの周りを優しく通り過ぎて行く。

”・・・・これは・・海・・・・俺は海の中にいる・・・”

 海。リュミエールが愛してやまない生命の源。

 二人で一緒に見た・・・・・海。




「...っ!?」

 オスカーの意識が急激に浮上する。
 上も下もわからない不安定な感覚に一瞬戸惑ったが,これ以上暗闇に吸い込まれることもなく彼ははっきりとその目を開けた。
 そして,きつく眉根を寄せる。

「どうしたの?まさか恐いわけじゃないよね貴方?」

「....お招き有り難うとでも言えばいいのか?」

 ずっとそこにいたのか,少年が酷薄な笑みを浮かべて目の前にいた。オスカーはその気配に不快感を感じながらも,口元を軽く歪めて少年を見据える。

「強いねやっぱり,感じるよ貴方の炎の強さ。ね,見てよ....」

 少年がある一点を指差す。
 その先にあるのは,ぼんやりとした光。オスカーはほのかに温かさを感じる気がした。

「...リュミエール....?」

 僅かに感じるのは,オスカーが慣れ親しんだ優しくて穏やかな水のサクリア。

「リュミエール!無事なのかっ!?」

 少年が更に笑みを深くする。オスカーの目に映るリュミエールは,微動だにせず佇む。彼の声にすら反応しなかった。不安と焦りがオスカーの意識を支配しはじめる。

「無駄だよ。あの人はあそこでずっと前に進めないまま自分を騙し続けているんだ。あと一歩踏み出せば全て終わるのに,ただ脅えているだけの自分に嫌気がさしているのに....」

 少年の言葉はオスカーには理解できなかった。リュミエールの身に何があったのか,それだけがオスカーを焦らせる。

 白い顔。空ろな瞳。
 目の前を悲しげに見つめている様にも見えるその姿。
 まるで人形さながらに,リュミエールは静かにそこにいた。

「一体何をしたんだ!?」

「あの人は...僕に応えてくれただけだよ。この暗い世界の深淵に安らぎを与えてくれるのはあの人だけだもの....」

 少年は夢想するような表情でつぶやく。

 相変わらずリュミエールは,どこかを見つめたままだ。目の前に透明な壁が存在するかのように,進みたくても前に行けない,そんな様な風情で。
 オスカーは自分を落ち着かせながら今の状況を確認する。はっきりしない存在感が,自分達が生身ではない事を伝えていた。水の中にいるような浮遊感はあっても,その冷たい感触はわからない。それでも,細く寄せて来る水のサクリアだけははっきりと感じた。
 それは,穏やかさの影で悲しみと悲哀に満ちたサクリア。

「貴様...!」

「ああ,そんなに憤らないで。静寂を乱す者は嫌われるよ?」

 少年がゆっくり腕をオスカーに差し伸べる。

「ここは僕たちの墓場なんだから....」

「!?」

 オスカーはその一瞬,自分の身体が下の方へと引きずり込まれるのを感じた。
 視界が回転する。
 リュミエールの姿も少年も,泡の中に消えていく。

「くっ....何なんだこれはっ」

 下へ行くにつれて,押しつぶされる様な圧力がオスカーを苛む。水圧などではない,もっと違う何か重いものが彼の身体に纏わりついていた。

「これはまるで....くっ!」

 気持ちが悪い。
 これは,数百の人間の手に絡められている様な不快感。抜け出せない事への焦りと,気の狂いそうな程の嫌悪感がオスカーを一挙に襲っていた。

『ねえ....苦しいでしょう?』

 少年の声が頭の中でこだまする。

『僕たちは,僕たちの悲しみを聴いてくれる人をずっと長い間探していた....』

『でも..貴方じゃダメだよ。貴方の炎は僕たちを焼き尽くしてしまう....貴方はあの人をも焼き尽くす.....』

『早くあの人の枷を解き放ってあげて...そうすれば僕たちは一緒に落ちていけるから....』

 一体,何の話しなのか。オスカーは混乱した頭を必死で回転させる。だがそれすらも徒労に終わり,彼の意識は再び白濁してく。

 最後に聴いたのは,あの少年の笑い声だったか,それとも....





 急激な意識の浮上は決して心地の良いものではない。だが,遠くから聞こえる懐かしい声に,オスカーは目覚めることを選んだ。

「オスカー!」

 いつもと変わらない綺麗な顔が,不安に歪められているのはオスカーの本意では無かった。だがそっと手を伸ばすと,リュミエールは少し安心したような表情になる。

「なんて顔をしてるんだリュミエール....」

「いくら声をかけても揺さ振っても目を覚まさないので,どうなさったのかと心配いたしましたオスカー....」

 辺りが明るい。どうやら既に朝のようだった。
 今までのことはただの悪夢だったのか,それとも自分が見たものはいまでも暗い水底で次なる者の訪問を静かに待っているのだろうか。

「心配を掛けた様だな。だが俺は大丈夫だリュミエール。」

 それでもまだ不安気なリュミエールに向かって,オスカーは笑いかける。内心はオスカーの方がよっぽど不安だったのだが,表面上ではそんなことを微塵も出さない。リュミエールは他人の心の動きに非常に敏感だ。少なくともオスカーだけは,彼の前で強くあらねばならない。それはオスカーが最初に決心した事だった。

「....何か...あったのですかオスカー?」

 リュミエールが恐る恐る訪ねて来る。

「いや....それを尋ねるのは俺の方だな。」

「えっ?」

 驚いた様な顔をするリュミエールを見て,オスカーはそこで話しを終わらせる。

「...この話しは後だ。とりあえず朝食をとろう。」

「オスカー?」

「天気が良いな今日も。」

 じっと自分をみつめるリュミエールを置いて,オスカーは顔を洗いに行ってしまう。残されたリュミエールは,考え込むような様相のままその後ろ姿から目を離せなかった。




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