雪鏡のとける朝 3
同じように時が過ぎていく聖地の毎日。
ともすれば息がつまりそうなこの生活も,皆それなりに変化を与えて上手くその流れに合わせている。
しかし,オスカーにはそんな心配など不必要だった。
彼の日常は,目下のところバラ色だ。
「オスカー,今日も良い朝ですね。」
「ああ。お前もあいかわらず綺麗だぜ。」
「・・・褒めていただくのはとても嬉しいですよオスカー・・・」
普段は執務があるからと,日の曜日は一日一緒に過ごす事が多くなった二人だ。
オスカーの早朝散歩はあいかわらず続いているし,リュミエールも嫌な顔もせずに笑顔で彼が”通りかかる”のを待っている。
そのまま朝食を一緒に食べて,昼は散歩やお茶,夕飯までしっかり食べて帰るのは既に習慣となってしまった。
「ん・・・・?何か甘い匂いがするが・・・・」
朝食とも違う,甘くて香ばしいお菓子の匂いが漂って来る。
「クッキーですよ。先程まで焼いていたのです。後程いかがですか?」
「先程って,朝っぱらからそんな事をしていたのかお前・・・・」
「はい。育てていたハーブを摘んでいましたら,ふとクッキーなど作ってみたくなりましたので。」
手作りのクッキーなど滅多にお目にかかれる代物ではない。
料理などは普通なら館で働く者達がするから,守護聖たちはよっぽど趣味でない限りキッチンに閉じこもったりしないだろう。
だがオスカーにとっては手作りクッキーという単語は,甘く魅力的な響きを持っていた。
ささやかだが,幸せな匂い。
「お茶の時間にでもお出ししましょうね。」
オスカーが頭の中でうっとりしている前で,リュミエールは微笑む。
何度見ても見飽きないなんて,リュミエールってばお得すぎると言っていたのはオリヴィエだったか。
オスカーはリュミエールに言われるまま,ぼーっとしながら肯いた。
ゆっくりと美味しい朝食を味わってから,リュミエールはお茶の用意をすると言って奥へひっこんだ。
オスカーは,朝一番にリュミエールが庭から選んできた花が可愛らしく飾られているテラスのテーブルで,一人景色を眺めている。
しばらくすれば,リュミエールがお茶とともに朝焼いたクッキーを運んでくるのだろう。
天気の良い午前,恋人の手作りクッキーを美味しいお茶とともにテラスでいただく。
「・・・・かなり王道だよな・・・・」
「何が王道なのだ」
「・・・・え?」
幸せの絶頂オスカーの呟きに返ってきた声に,彼はその主をみつけて驚いた。
「クラヴィス様!どうしてこちらへ・・・・?」
「何故とは,有り難い言葉だな。」
「うっ・・・・;;」
今までも,幾度と無く散歩中のクラヴィスと遭遇している。
もしかして監視されてるのだろうかと思ったりもしたが,クラヴィスは基本的に他人の行動など気にしないタイプなので思い直したりもした。
何にせよ,リュミエール自身がクラヴィスに大変懐いているのがちょっと気に食わない。
そこにリュミエールが銀のトレーとともに戻ってきた。
「クラヴィス様,お待ちしておりました。」
・・・・・お待ちしてたのか?・・・・
オスカーの心の呟きはとりあえず誰にもきかれずに終わった。
クラヴィスを前にすると,リュミエールはとても嬉しそうに彼に話し掛けるのが常だ。
クラヴィスの方はそれが嬉しいのか楽しいのかよくわからない表情だが,
オスカーのこれまでの経験からすればクラヴィスにとってもリュミエールは別格らしい。
「貴方がいらっしゃる前に,お散歩なさっていたクラヴィス様にお会いしたのです。クラヴィス様にもおすそわけしたいと思ったので・・・。
丁度お茶の支度をしていたところなのですよクラヴィス様。」
「それは丁度良い頃合いだったのだな。」
「それではもう少しお待ち下さいね。」
リュミエールは,再び館の中へと戻っていった。オスカーとクラヴィスを残して。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
この沈黙は何なんだっ!と叫びそうになるオスカーだが,クラヴィスはオスカーなど全く興味もなさそうにしている。
数分の沈黙が流れた後,リュミエールが戻ってきた。先程の香ばしい匂いはあまり無かったが,今度はとても良い馨りが漂っている。
「何種類かのハーブを使ってみたのですよ。良い馨りがいたしませんか?」
「ああ,お前が飲んでるお茶と同じ匂いがするな・・・」
「同じ物ですからね。どうぞ召し上がって下さい。甘みは押さえてありますから・・・」
リュミエールはにっこりと笑って,クラヴィスにもお茶とクッキーをすすめている。
クラヴィスの方も,普段あまり見ないような優しい穏やかな表情でカップを手に取る。
・・・・・何か悔しい・・・・・
オスカーはなんとなく面白くないまま,自分もお茶に手をつける。
ハーブ入りクッキーも,リュミエールの手作りだと思うだけで最高に美味しそうに見える。とりあえずは幸せな方へと意識を向けるオスカーだった。
そしてオスカーがクッキーに手をのばしかけた瞬間。
「ジュリアス様!」
リュミエールの声が飛び込んできた。愛馬に跨ったジュリアスをいち早くみつけたらしい。
「珍しい顔ぶれではないか。」
「ジュリアス様もお散歩をなさっているのですか?」
「今朝は道程を変えてみようと思ったのだが,気が付いたらそなたの庭の近くに出ていたのだ。」
「ではジュリアス様も御一緒にお茶などいかがですか?」
にっこりと笑って言うリュミエールの誘いを断る者はあまりいない。
結局,クラヴィス,ジュリアス,オスカー,そしてリュミエールという妙な組み合わせでお茶の時間が始まってしまった。
「そなたは随分と器用なのだなリュミエール。」
「ありがとう御座いますジュリアス様。」
会議中などとは違い,のんびりとした空気が皆をつつんでいる。いや,約一名を除いてというべきかもしれないが。
リュミエールが上手くジュリアスを相手にしているので,クラヴィスに彼がつっかかることもない。
素直にリュミエールの作ったクッキーを褒めつつ感心しているジュリアスを見るクラヴィスの目もまた優しいのはオスカーの気のせいだろうか。
「オスカー?あまりお好きでは無いようですね・・・・・」
「えっ?いや,そんなことはないぞ。」
先程から3人の観察にいそしんでいたオスカーが全くクッキーに手をつけていないのを見て,リュミエールが少し申し分けなさそうに言う。
なにやら言い訳をしながら,オスカーは笑顔でリュミエールを安心させるようにクッキーを摘み上げた。
「ところでオスカー。」
一瞬早くジュリアスがオスカーに声をかける。またもやオスカーはクッキーを食べるタイミングを逃してしまったらしい。
「なんでしょうかジュリアス様。」
「この様な時に仕事の話しで申し訳ないが・・・・昨夜届けて貰った書類なのだが,少々変更することにしたので至急見直しをして貰いたいのだ。」
「変更,ですか?」
「そうだ。帰りに立ち寄ろうと思ったので今持っているのだが。」
「ジュリアス様直々にお出でいただくなどと・・・」
「いや,日の曜日はそなたは早朝からいないとクラヴィスからきいていたのでな。」
・・・・・・仲が良くないのか良いのか何なんだこの方達は・・・・・
内心で思いっきり脱力したオスカーだが,敬愛する上司の前ではやはりきちっとした姿を崩すわけにはいかない。
「できればすぐにオリヴィエにも目を通して貰いたいのだ。」
ジュリアスから書類を受け取ったオスカーは,すぐさまそれに目を通す。
「では俺がオリヴィエに届けましょう。」
「いや,お茶の途中で邪魔をしてしまっては悪い。私が行こう。」
「とんでもありませんジュリアス様。俺が責任をもって届けます。」
オスカーのジュリアスに対する敬愛ぶりは普通ではない。
ジュリアスはそれを頼もしそうにしているが,ある意味でリュミエールがクラヴィスを慕う以上かもしれないという事をオスカーは自覚していなかった。
そして,甘美な休日のデートという構図が崩された今,オスカーは完全に盛り下がってしまったらしい。
「では,これは後程ジュリアス様の方へお持ちします。」
「すまないなオスカー。」
「お気を付けて・・・・」
にっこりと笑って言うリュミエールに,少しは残念がってくれても良いのになあと内心でふくれながら,オスカーは馬に跨って去っていった。
「あいかわらず,従順なのだなあれは・・・・」
「どこぞの誰かと違って,きちんと仕事をこなすのは良い事だと思うが。」
「お前も相変わらずだな・・・」
「そのやる気の無さをどうにかしようとは思わないのかそなたは。」
オスカーが去った途端,ジュリアスとクラヴィスのいつもの低次元な会話が始まる。
この二人は,同じ会話を幾度と無く交わしているが,どうも飽きないらしい。
「あ・・・あの・・・・」
リュミエールの遠慮がちな声に,やっと二人が口を閉じた。
「では,私は失礼しよう。リュミエール,オスカーが戻ったら,書類は明日で良いと伝えてくれ。」
「はい。でも急ぎの書類では無かったのですか?」
「さて・・・な。この怠け者にでも聞くが良いだろう。では失礼する。」
「はあ・・・そうですか・・・」
オスカーと同じように,ジュリアスも愛馬に跨って颯爽と消えていった。
残されたリュミエールはクラヴィスの方を見るが,クラヴィスは黙ったまま何も言わない。
「クラヴィス様,二人でお茶など久しぶりではありませんか?」
深くつっこまないのがリュミエールの長所なのかもしれない。
クラヴィスが昼前に去ってから,ふとリュミエールが呟いた。
「そういえば,ひとつも食べて頂けませんでしたねオスカー・・・・」
柔らかなそよ風が,リュミエールの長い髪で遊びながら通り過ぎて行く。
「では,しばらくこうしてオスカーをお待ちしていましょう。」
彼が戻ってくるのはそう先ではないだろう。
リュミエールは静かにカップを手に取り,一人お茶を楽しむのだった。
完
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