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雪鏡のとける朝 4







今日も聖地は平和で穏やかだ。


「今朝は12ですね。」

お昼の休みを終えて二人がそれぞれの執務室へと戻る道すがら、 通りすがりのマルセルに出会った際に唐突にリュミエールが言った言葉がこれだった。
マルセルの方は何も言わずにっこりと笑顔で頷いたので、オスカーにはますますわけがわからなかった。
しかし思い切り面食らった様子のオスカーを余所に、マルセルはそのまますたすたと行ってしまった。
リュミエールも何事も無かった様に自分の執務室へと向かって歩き出す。
「お・・・・おいっ!ちょっと待てリュミエール!!」
我に返ったオスカーは、慌ててリュミエールを追いかけた。
「何ですか?」
「何ですかって・・・・何だ今の12ってのは。」
「教えません。」
「は?」
「それではオスカー、午後の執務もがんばって下さいね。」
親しき仲にも礼儀有りなリュミエールは、丁寧にそう言うと自分の執務室へと入って行ってしまった。

リュミエールは隠し事をするタイプでは無い。
オスカーに全く関係の無い事柄であればそう言うだろう。
「だが、教えませんってのは何だっ!?」
教えないっていうことは、つまりは隠し事なのだから、オスカーの心中は穏やかではなかった。
午後の執務中ずっと落ち着かなかったオスカーだったが、今日は特に急ぎの書類も無かった為に時間通りに仕事を終える事が出来た。
机を片づけると超特急で隣の執務室へと向かう。
とりあえずコンコンと扉をたたいて返事を待ってから開ける。
この部屋の主は不躾なことが嫌いだ。
「リュミエール!」
「お疲れさまですオスカー。」
「・・・・・・」
いつもと変わらない笑みで迎えるリュミエールに、とりあえず今まで気になっていたことは意識の向こうに追いやるオスカーだった。


日の曜日。
オスカーはリュミエールの館へと向かっていた。
朝の食事を一緒にして、彼の絵のモデルになる約束をしているのだ。
この時間であればテラスの外に出ているか、庭の花に水をあげながら彼を待っているだろう。
愛馬を少しばかり急がせて目前に迫った目的地へと向かう。
館へと到着すると、すぐに人が出てきてオスカーの馬をあずかった。 日の曜日となるとリュミエールの館には極端に人の数が減るが、それでも今朝は食事の仕度などをする女性が何人かテラスにいた。
オスカー以外の人間が言ったら砂をはきそうなセリフを、 それぞれにチャーミングなお嬢さん方に浴びせた後、彼はそのままリュミエールがいるらしい庭の方へと向かった。

彼の人の姿はすぐ目に入る。背が高いせいもあるが、美しい青銀の髪はとても目立った。
「・・・おはようございますオスカー。今朝はとても美しい朝ですので、つい庭の手入れなどしてしまいました。」
いつもと変わらない綺麗な笑顔でリュミエールはオスカーの方へと歩み寄る。
「随分と早起きしたんだな。もう終わったのか?」
「はい、皆様にお手伝いいただきましたので。」
それで今朝は人が多いのかとオスカーは納得する。
普段であれば、主の邪魔をしない様に一人か二人が朝食の仕度などを調えるだけだ。今朝の様な活気はなかなか見られるものではなかった。
尤も、静かであるからこそ、二人の時間も楽しめるというものなのだが。
「オスカー、朝食をいただきましょう。」
テラスには仕度が終わったのか人影は無い。
いつの間にかお嬢さん達は姿を消して、今は彼ら二人きりだった。

リュミエールは常に軽い食事をとるが、今朝はオスカーの為にそれなりの分量が出されてあった。
ゆっくりと食事を終えたリュミエールが、穏やかな表情で立ち上がり、お茶を煎れる為に館の中へと消えた。
「こんな量で足りるってのも凄いな。」
ふと呟くオスカーの耳に、館の中とは反対の方から足音が聞こえてきた。
「返してよゼフェルっ!!!」
「自分で捕まえてみろよっ」
子供達のやかましい声とともに、ゼフェルとマルセルがバタバタと走り込んできた。
この二人がじゃれあっているのはいつもの事だ。朝も早くから元気なのは、流石に子供といえる。
そんな事を言えば、もの凄い反論が返ってきそうなので敢えて口には出さない。
「あ、オスカー様!」
「あ、じゃないだろうマルセル。朝から何をしてるんだ二人とも」
「別に何だって良いだろ・・・・」
胡散臭そうな目でゼフェルはオスカーを見上げる。
いつもそういう目つきで見られるのが少し不思議だったが、オスカーはそれ程気にはしなかった。
「そっちこそリュミエールんトコで何してるんだよ」
「朝食を一緒に食ってるだけだが?」
「あ、そ。」
自分で聞いた割には、ゼフェルは全然興味がなさそうだ。
「おや、ゼフェルにマルセルではありませんか。」
丁度そこにリュミエールがお茶のセットを持って戻ってきた。
「あ、リュミエール様おはようございます!」
「よお、どうだよ?」
すぐに飛びつくマルセルをチラリと見ながら、ゼフェルはつまらなそうな口調でそう言った。
「ごきげんようマルセル、ゼフェル。今日はとても良い朝ですね。」
リュミエールは二人に丁寧な挨拶を返すと、ゼフェルを見て微笑んだ。
「・・・今朝で7つ、全部で100を越えましたね。」
静かなリュミエールの言葉に、わけのわからないオスカーの横で二人が大騒ぎしはじめた。
「へっ!?」
「まだ一週間なのにー!!」
「おや、マルセルは負けたのですか?」
「ぜってーそうだって言ったぜ?」
「そうだけどっ!オリヴィエ様だって、リュミエール様の前だったら少しはペースが落ちるかもよっておっしゃってたし・・・」
「横でクラヴィスの野郎が思いっきり冷笑してたの見たぞ」
「まあまあ二人とも。」
困った様にマルセルをなだめるリュミエールの横で、ゼフェルが勝ち誇った様な表情で二人を見ている。
だが、側でわけのわからないという顔をしているオスカーが視界に入ると、完全に馬鹿にしたような薄笑いを浮かべた。
「俺は帰るぜ。じゃあなリュミエール」
「あ、ゼフェル、お茶などいかがですか?」
「いや、オリヴィエんとこいかなきゃな。」
「あーっ!!ゼフェルのいじわるっっ!!!」
「負けは負けだろ,じゃあなっ」
「・・・・あ・・・お気をつけて・・・」
リュミエールの言葉を半分もきかずに、真っ赤になって頬をふくらませているマルセルを引きずるようにして、ゼフェルは館から走り去って行った。
「あ、オスカー、お茶が冷めますよ?」
ケロリとした顔でオスカーの方をむき直したリュミエールに、オスカーはようやく思考が戻ってきた。
「おい、最近なんだか妙な事を言ってるんだが、一体何なんだアレは。」
「アレ・・・ですか?」
リュミエールが小首をかしげて聞き返す。天然でやってるのだから仕方ないが、彼が何を考えていようとこれ一つで赦されてしまうのが常だった。
だが、今朝のオスカーはそうはいかない。ゼフェルの馬鹿にしきった顔が気になってしょうがないのだ。
「今朝で7つだとか、100を超えたとか何とか・・・・」
「ああ、それですか。子供達の遊びですよオスカー。オリヴィエもですけど・・・・。お気になさらないで下さい。」
「お気になさるぞ俺はっ」
「・・・・・賭、だそうです。」
「賭だと?」
リュミエールが軽く頷く。
「最近、賭けるものが無いとおっしゃるので、オリヴィエが良い提案をなさったのですよ。」
「良い提案?」
「貴方があまりにもよく女性に声をかけるので、一週間以内に100を超えるかどうかと・・・・。ただし私の前でという限定つきです。」
オスカーが目を丸くして、平然と言うリュミエールを凝視した。
確かに今朝はリュミエールの館にきてから7人くらいは女性に話しかけた気がする。だがまさかそれをダシにされていたとは。
そんなオスカーの前で、リュミエールは全く気にした様子もなく続けた。
「最初は2週間だったのですが、 丁度横にいらっしゃったクラヴィス様が一週間で充分だろうとおっしゃいましたので、一週間になったのです。 マルセルが負けたのでオリヴィエは喜ぶでしょうね。」
「・・・・・・」
「お茶が冷めてしまいすよオスカー。」
いつもと変わらない笑みが、逆に怖かった。


誰でも予想がつくことだが、案の定マルセルは賭に負けた代償として、オリヴィエに”女装と化粧をされて聖地をひきまわしの刑”を受けていた。
それ以来、何となく、あくまでも何となくだが、ジュリアスの視線に呆れた様な色があるのをオスカーは感じた。
だが一番怖いのは、やはり無言のクラヴィスの視線かもしれない。
「・・・・気をつけよう今度から・・・」
「いっそのことどれ位の間、女性に声をかけないでいられるか賭けるのはどうだろう?」
「オリヴィエっ!!」
「冗談だよ冗談。でもさあ、マルセルも良いけど、やっぱりリュミエールで遊びたいよねえ。」
「馬鹿言え・・・・。何されるかわからないぞ」
「・・・・・・」
真剣なオスカーの言葉に、オリヴィエも思わず頷いてしまった。



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