ARK 5
「トリューニヒト様、彼らはどうやら皇帝のもとへと向かった模様でございます。妨害しなくてもよろしいのですか?」
盲目的な信者の一人が、ロイエンタール達の動向を報告する為に側に控える。教団の信者達の大半は、自分たちが何のために何をしているのか、正しい判断の出来る人間ではなかった。だが、トリューニヒトはその様な事はおくびにも出さす、彼らの信仰心を褒め称えるのだ。
「心配するな。」
「しかし・・・・皇妃ヒルデガルドの拉致にも失敗し、双璧に太刀打ちできるものがおりません。聖なる書も、皇帝の元に揃ってしまえばどうすることもなりませんでしょう。」
「この私がアギラの書とアルテミスの書を手にしているのだよ。これらがある限り、正統なる使い手の私が破れることはないと言っている。」
「・・・・」
未だ不安を隠せない彼に、トリューニヒトが薄く笑って彼の肩をたたく。
「諸君らの信仰心は、必ずや聖なる書に力を与えるだろう。美しいエルベとアルクスライヒを一つにし、この世でもっとも神聖なる地を我らアークの手にすることを誓おう。君は君のやるべき事をやってくれたまへ。」
「トリューニヒト様・・・・・必ずや聖地を我らの手にお戻し下さい。」
「約束する。」
彼の目に新たな光がともったのを確認すると、トリューニヒトは力強く彼に右手を差し出す。感動した彼はトリューニヒトと堅い握手をかわすと、上気した顔を赤く染めて足取りも確かに退出していった。
信仰心厚い人間というものは、何事に対しても盲目的になれる。
後に残ったトリューニヒトはその顔に張り付いた薄笑いをそのままに、閉まった扉を見つめていた。
「・・・・よもやメギドの書を皇帝に手渡すとは、真実出来損ないの様だなヤン・ウェンリー・・・・。」
トリューニヒト一人の部屋は、僅かな呟きすらも鋭く耳につきささる。
「エルベ王家は腐食し、アルク王家は歳をとりすぎた。あの安穏とした玉座に座っている無能者どもを廃さねば、我が血統は救われないというものだ。」
無彩色の部屋におかれた椅子に、トリューニヒトはゆっくりと座った。緩慢な動作で両手を組み顎を乗せる。
「エルベを裏切ったヤン家の無能者達などどうでも良い。」
彼の薄笑いはまるで仮面の様に変化が無い。
「・・・・私の言うとおりにしていれば良いのだよ全て・・・・」
誰に向かって言ったものか。
トリューニヒトは今度ばかりは僅かに表情を崩し、静かに目を閉じた。
城の一室では、普段では見られない面子がお互いの顔を伺いながら腰をおろしていた。
「ヤン・ウェンリー。卿と私は同じ血の流れを組む者。この度の騒ぎがエルベとアルクの王家にまつわるものであれば、尚更に早期解決をせねばお互いに困るだろう。」
皇帝ラインハルトはヤン・ウェンリーとその連れの登城を、冷静かつ余裕をもって受け入れた。少しばかり心配気味とはいえ、キルヒアイス大公が柔らかな笑みを浮かべて列席しているせいか、この場の雰囲気そのものは比較的友好的で和やかだ。
「・・・ヤン家で密かに保管されていた2つの書のうち、何者かの手によってアギラの書のみ持ち出されました。別々に保管されてあったメギドの書はこうして無事ですが、誰がアギラの書を盗んだのかは未だ不明です。少なくともトリューニヒトではないでしょう。何者か、トリューニヒトとは別に潜んでいる人物がいるはずです。」
「それは一体・・・?」
ラインハルトの問いに、ヤンは手元のカップから紅茶を一口啜り、再度ゆっくりと口をひらいた。
「土台のしっかりとしたアルクとは違い、エルベの王室はいつしか不安定なものになってしまった。今のエルベは、宰相ルビンスキーが裏であやつっていると言っても過言ではないのです。」
ルビンスキーという名をきいて、ラインハルトは驚いた表情になる。
「その様な者の話は未だきいたことがないが?」
「表向きは何事もない様に見えますが、宰相は実に上手く事を運んでいますよ。表面に立つより裏で糸をひいているほうが確かに利口ですからね。」
このヤンという人物は、実に中身の見えない茫洋とした雰囲気を持っていた。信用して良いのかどうか、ラインハルトは未だ決めかねている。彼は思わず視線をキルヒアイスへと泳がせていた。
皇帝はまだ若い。キルヒアイスはラインハルトが彼に対して絶大な信頼をおいていることを知っている。
穏やかな動きで、キルヒアイスは口をひらいた。
「・・・・ヤン・ウェンリー殿、あなた方は何故こちらにいらっしゃったのですか?何か皇帝陛下にお願いがおありになる様に見受けられますが。」
やんわりと言うキルヒアイスにヤンはしばらく無言だったが、微笑すら浮かべている彼を見て意を決した様だ。
「アルクで最高の魔法の使い手である双璧のお二人のお力を。」
ヤンがはっきりとした口調で言った。
横で見守っていたロイエンタールとミッタイマイヤーの二人は、特に驚いた様子もなく続きを待つ。
「ルビンスキーとトリューニヒトがどのような理由でつながっているのかはわかりません。私はルビンスキーのことを殆ど知らないので・・・・。しかし、トリューニヒトはアークの信者達を利用して、エルベとアルクスライヒをもとの一つの国にしようとしています。」
「エルベとこの国を一つに戻す?何故そのような事が必要なのですか?」
訝しげにキルヒアイスが口を挟んだ。
「アークという教団の目的は、聖地、つまりは神殿を取り戻すことです。その為にはアルクという国を奪いとらなければならないでしょう。そもそもエルベの人間もアルクの人間も家族であり兄弟なわけですし、両王家を倒してしまえば自然とあるべき姿に還るはずです。」
「・・・聖地とはいったい?」
「アルクの書に関しては一般市民には全く知られていませんが、トリューニヒトは彼が持つアギラの書とアルテミスの書を聖なる書として信者達に信奉させている様です。聖なる力を崇めるアークの信者にとっては、神殿は聖地となるのでしょうね。」
「それで卿は私達に彼らを押さえて欲しいとおっしゃるのか?」
無言のロイエンタールの横で、ミッターマイヤーはヤンに尋ねる。
「いえ。アルクの書など、何冊集めても大した魔力を持たない信者達には無用の物です。本来ならば2冊の書が無くなったといって、国の危機というわけではないはず。しかし、何故かアルクの花が急に枯れ初めてしまった。それが問題なんですよ。」
アルクの花が枯れる、即ち魔力が枯渇しているということだ。だがミッターマイヤーもロイエンタールも神殿から湧き出る魔力に異変が無いことを身をもって証明している。
「・・・・あくまでも個人的な見解ですが、おそらくはルビンスキーがアルクの古代魔法に相対する何かを手に入れたと考えるのが妥当でしょう。これ以上のことはトリューニヒトとアークの信者達を押さえない事にはどうにもなりません。」
話し終えたヤンは、それ以上は何も言わなかった。
ラインハルトは少しの間何かを考えているようだったが、しばらくするとキルヒアイスに何かを囁く。キルヒアイスが頷いたのを確かめると、ラインハルトがようやく口をひらいた。
「ロイエンタール、ミッターマイヤー、卿らはトリューニヒトという男と信者達の捕獲に全力を尽くせ。リヒテンシュタイン要塞にいるビッテンフェルトとミュラーの二人に協力を頼むが良いだろう。抵抗するものに対してはどのような手段を使っても構わない。」
「御意。」
ラインハルトの命令に、双璧の二人は軽く目を伏せて了解した。
「そしてヤン・ウェンリー、卿らには引き続きこの城に留まって貰おう。まだ話して貰わねばならない事があるようだ。不自由があれば何でも申しつけるが良い。」
「・・・・有り難いお言葉です陛下。」
ヤンとラインハルトの視線が一瞬交差する。
ヤンは、ラインハルトがありきたりな説明で満足してはいないことを充分承知していた。
「ミッターマイヤー、卿はどう思う?」
「ルビンスキーという奴のことか?」
「ああ。」
城をあとにした二人は、再びオーディーンへと来ていた。
彼らから連絡を受けたメックリンガーが到着するのを待つ為に、馴染みの”海鷲”で軽い食事をとる。メックリンガーが滞在している官舎はすぐ近くなので、そう長い間待たなくても現れるはずだ。
「アルクの古代魔法に対抗する力など、本当にあるのだろうか・・・・・?」
ミッターマイヤーは、先ほどヤンが話していた内容を反芻する。
「さてな。ルビンスキーとやらがその様な力を持っていたとして、今度はその力をどこで身につけたのか。終わりの見えない問いだなまったく。」
「トリューニヒトという男も得体が知れなすぎる。アークの信者どもは全く無力に近いと思うが、狂信的なものに限って何をするかわからんからな。」
「神殿が関係するとなれば、俺達は皆の倍は働かされるぞミッターマイヤー。」
「間違いない。」
二人の笑い声が”海鷲”の中に響く。
丁度その時、店に一人の男が入って来た。薄手のマントを目深に被ったその男は、一見よくみる旅人のようだ。
「いらっしゃいお客さん。」
「・・・・・・」
愛想良く掛けられた声には反応せず、男は店内を無言で見渡す。
そして、ある一点に顔が向けられると、男は被っていたマントを取り去った。
その時に男が手にしていた物にすぐに気がついた者はいない。
だが、なごやかな”海鷲”の雰囲気は、一瞬にしてかき消された。
「・・・・聖なる神殿を蹂躙する者どもめ・・・・・聖なる火のもとに裁かれるが良い!!」
男が叫ぶと同時に、”海鷲”は一瞬にして炎に包まれた。
入り口のすぐ外にいた人間はものすごい爆風で吹き飛ばされ、店の入り口からは激しい炎が吹き出す。
そして突然の爆発から数瞬後、今度は銀色の光があたりを強く照らすと同時に、炎がまるで凍るようにして静まった。
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