ARK 6
”海鷲”の周りは騒然としていた。
普段から人の出入りの多いこの店にはかなりの人間がいたはずだ。ほんの数瞬とはいえ激しい炎が吹き出した入り口は、見る影もなく黒こげになっている。
凍り付いた様に動けない人々は、誰も出てこないその入り口から視線をはずせないでいた。その中には、双璧と待ち合わせていたメックリンガーの姿もあった。
「・・・・おいっ、中はどうなってるっ!?」
その声に慌てて周りの者が”海鷲”の焼けこげた入り口から店内を覗く。
「うわっ・・・真っ黒焦げだぞ中も!」
「誰か生きている者はいるのかっ!?」
口々に叫ぶ声が虚しく響く。
”海鷲”は、店の外壁だけはそのままに、中は完全に焼け落ちていた。まだ熱の残る店内には何一つ動くものはない。あれだけの人数が全て一瞬にして焼け死んだのかと、誰もが青ざめた。
「ヤン・ウェンリー。本当のところ、トリューニヒトという男は古代魔法を操るだけの実力があるのだろうか?」
皇帝ラインハルトは、皆が下がった後の静けさの中ヤンと相対していた。ヤンが嘘を言っていなかった事はわかるが、全てを語ったわけではない事も承知している。
「・・・これは本当にお家騒動ですよ陛下。馬鹿馬鹿しい限りですけどね。」
ラインハルトにもきこえる程に大きなため息をつくと、ヤンは苦笑混じりで口を開いた。
「私の母はエルベ王家の人間でした。しかも純粋な血統を持ったいわゆる純血種です。」
ラインハルトもエルベ王家の系図はしっかり把握している。王家というものは非情に複雑な系図を持つ反面、表面上は一族の血統を追うことが簡単だった。それは近しい血族婚故なのだが。
ヤンの母はエルベの前王の末の妹である。前王の后は彼の従妹という間柄なのだから、恐ろしいまでの血族結婚が続いているのだ。
「母は少し前に亡くなりましたが、死の間際に一つだけ私に話した事があります。これは、ヤン家だけではなく王家の問題でもあるので陛下以外の人間にはお話し出来ない事です・・・・。」
そこまで言うと、ヤンはラインハルトのアイスブルーの瞳を射るようにして見た。常に茫洋とした彼の珍しい表情だ。
ラインハルトは無言で頷く。他言はせぬとの了解だった。
「・・・・エルベの前王は、幼少の頃から美しいと評判だった末の妹を溺愛していました。他の姉妹達が全て結婚してしまってからも決して彼女だけは手放さずにいましたが、ある時突然にヤン家との縁談を決めたのです。それは随分と急な話だったそうですが、母はヤン家に嫁ぎすぐさま懐妊しました。」
「それが卿なのか?」
口をはさむラインハルトに、ヤンは静かに首をふった。
「私が生まれる随分前の事です。父曰く、早産だった為に子供は死産だったと・・・。子供は誰にも知られず埋葬されたので、父も見ていないそうです。」
「それでは・・・・」
ラインハルトの表情が険しくなる。
「純血種同士の忌み嫌われた子供である限り、本来なら永遠に表に出ることはかなわなかったでしょう。トリューニヒトは古代魔法の後継者としては申し分ない土台であったはずですが、何故か全く力を持たずに生まれました。けれどその器は誰よりも適しているわけです。」
近親相姦の生み出した中途半端な器。
「母も彼が誰の手で保護されたのかは知りませんでした。私の考えではやはりルビンスキーと考えるのが妥当だと思いますが・・・問題は、そのルビンスキーが何者かということです陛下。」
「何者かわからずに宰相などという地位にいられまい?」
これほどに近しいエルベとアルクの間で、ルビンスキーという宰相の地位につく男の話は全く流れては来なかった。これはかなり異常だといえる。
「私も王家の司書ではありますが、実際に何が起こっているかまでは関知できませんよ陛下。私に感じとれることは、ルビンスキーという男が何か負の力を持っているということだけです。」
「負の力・・・?」
「アルク古代魔法を正とするならば、ルビンスキーの力は相反するものです。アルクの花を枯らしたのも彼ではないでしょうか。」
強大な力に守られたアルクの花を枯らすものとは、古代魔法と同等かそれ以上の力でなければならない。そしてその様な物の存在は、今までに知られてはいなかった。
「だからこそ、アルクの双璧が最後の砦なのです。彼らならば古代魔法全てを掌握する事が出来るでしょう。そうでなければルビンスキーには対抗できないと、私の持つ血がそう言っています。もっと早くにトリューニヒトの企みに気がつければ良かったのですが、最早私ではどうにもならない・・・。」
初めてヤンが苦しそうな表情になった。
ラインハルトは何も言わない。
ヤンが思うのは、半分とはいえ血を分けた兄弟なのか、表に決して出てはならなかった王家の罪なのか。
「・・・最悪の場合は、我がアルクスライヒはエルベ王家を見放さなければならないが・・・・。」
双璧だけではなく、皇妃ヒルデガルドをはじめとする名だたる使い手が存在するアルクスライヒは、例えルビンスキーに負けたとしてもそう簡単には国を奪われまいが、エルベは完全に彼の手に堕ちる。
「どうか始祖国アルクスライヒがルビンスキーの手に堕ちない様・・・・。」
そう言うとヤンは静かに黙礼した。
オーディーンのはずれの小川の側で、アルクの双璧は僅かに煤で汚れた頬や手を拭っていた。
少しばかり二人に疲れが見えるのは決して気のせいでは無い。
あれだけの大人数を一気に移動させるのは、流石の彼らでも一苦労だった。
後で何倍にしてお返ししてやろうかとロイエンタールが悪態をつく。
「・・・・最近は不本意なことに魔法を使う事が増えたな。」
「まったくだ。」
「さて、こいつをどうしたものか。」
「お礼をしたいところだが、案内して貰わなければならんからな。」
ロイエンタールとミッターマイヤーの物騒な会話の下で、男が一人転がっていた。先ほど”海鷲”で火系魔法をぶちかました張本人だ。
間一髪のところで二人が店内にいた全ての人間を別のところへと移したが、一瞬でも遅れていれば今頃はこの男を含めて全員黒こげだ。
「しかし・・・、これは一体何の魔法なんだろうか。アルクの物では無いことは確かなんだが・・・・・」
「一つだけ言える事だが、これは一時的に与えられた物であってこの男は正式な魔法の使い手では無い様だ。」
「それはそれで厄介だな・・・。」
同じ攻撃魔法を得手とするロイエンタールには、先ほど男が放ったものが純粋な魔法かそうでないかははっきりと見分けがつく。目の前の男の場合、必要なだけの魔法を与えられただけなのか、力を使いきった後にはほとんど魔力が感じられなかった。
「今までと同じだとすると、一体どれ程の者なんだろうな。」
「・・・・・・」
素直に感心するミッターマイヤーだったが、ロイエンタールは少し考え込むように視線を泳がせた。
「ミッターマイヤー、卿は暗黒魔法のことを聞いた事があるか?」
「いきなりどうしたのだ。確かに聞いた事はあるが?」
アルク始祖王が持つ古代魔法によって永遠に封じられたと言う、禁断の暗黒魔法。古代魔法とは完全に相反する性質を持つその魔法は、この世の全てを手に入れようとした魔王が編み上げた魔法と伝説では伝えられていた。
その名は今ではかろうじていくつかの書物の中でのみ見ることが出来るもので、アルクの魔法の使い手達も殆どがその名を知らないと言っても良い。
「・・・伝説とは言え、これほどに永い時が経つと本当のところそれが何であるかは誰にもわからないに違いないが・・・・。もしもだ、もしも暗黒魔法が関わっているとしたらどうする?」
「まさか!」
ミッターマイヤーは驚いて相棒の顔を見るが、その可能性は完全に否定できるものではなかった。
「神殿に行けば何かあるかも知れないな。つき合ってくれるかミッターマイヤー?」
「ああ、勿論だ。だが本当に暗黒魔法などというものが関わっていたら、これは俺達でどうにか出来るものではないぞ。」
「卿は自分の力を過小評価している様だな。」
「そんなことはない!」
シニカルな笑いを浮かべたロイエンタールに、ミッターマイヤーは声を荒立てる。
双璧と呼ばれるずっと以前から二人は共に神殿で教えを受けて育った。良き仲間でありライバルでもある為か、ときたま負けず嫌いな面を見せることもある。
常に冷静なロイエンタールとは反対に、ミッターマイヤーは素直な質だった。
「・・・・っと、ロイエンタール、こいつのことを忘れていたが・・・。」
ふと気がついた様にミッターマイヤーが足元を見る。
未だ気絶したままの男が転がっていた。神殿に行く前にどうにかしなければならない。
「いっそ共に連れて行くか?」
「そうも行くまい。陛下にしばらく預かっていただこう。まずは神殿が先だ。」
「承知した・・・・・」
ロイエンタールは軽く頷くと、何やら小さく呟きはじめた。
空間が僅かにずれる。
間もなく何もなかった場所から、眩しい光とともに一羽の鳥が現れた。虹色に輝く両の羽根を誇らしげに広げて二人の前に降り立つ。
「ガルーダ、手数をかけるがこの男を陛下の元へ届けて貰えまいか。」
珍しくも殊勝に尋ねると、ガルーダと呼ばれた鳥は大きく頷いた。
「俺達は一度神殿へ向かう。陛下には俺達が戻るまでこの男を逃がさない様にお願いしてほしい。」
肯定の意か、ガルーダが大きく羽ばたき、それと同時にものすごい風が巻きおこった。ほんの一瞬だが、ロイエンタール達があまりの風に目をつむっている間に、ガルーダも男の姿も光とともに消えて無くなった。
「・・・・・機嫌が悪いのかガルーダは・・・?」
ミッターマイヤーがぼそっと呟く。
ロイエンタールは眉ねを寄せて難しい表情になった。
「この得体のしれない魔法が影響している様だ。俺が暗黒魔法かもしれないと言ったのはこのせいだ。攻撃系の主に火や土系の魔法に何か働きかけているらしい。」
火や土というと、ロイエンタールが主に使役する魔法だ。
「だから俺にはあまり感じられないのか。」
「そういうことだ。ともかく神殿に急がなければな。」
「ああ。」
お互いに頷きあうと、二人は急ぎ神殿への道を駆け出した。
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