今日は、朝から緑の匂いがした。心地よい目覚めとはこういうものか。ラインハルトは待ちに待った今日という日に、踊る心を隠せなかった。
3月14日。本日は皇帝ラインハルトの生誕日である。本来であれば、国を挙げて式典やら何やらが行われるのが常識ではあるが、皇帝自らが内輪で祝いたいと願った為に、簡単なセレモニーが午前中に行われるのみとなった。
ラインハルトは国民への義務として顔をみせねばならない為、早々に支度をはじめた。普段でもたびたび民衆の前に姿を表す皇帝ではあるが、今日は祝いに駆けつける国民に対して、感謝を表す意味でも普段よりもにこやかに笑顔を向けなければいけない。寝覚めが良かったのは幸いなことである。
「おはよう御座います陛下。御支度が御済みでしたら、どうか皆の前へ....」
こんな朝早くに皆ご苦労だな...などと思いながらも、罪の無い忠実な召し使いには笑顔で答え、ラインハルトは群集の集まる広場に面するバルコニーへと足を急がせた。
バルコニーへと姿を表したラインハルトの耳には、歓喜に震える国民達の歓声がすぐさま飛び込んできた。皇帝として、国を治める者として、この風景は我が身に戒めとして留めなければならない。皇帝の座について早6年、なかなか上出来だろうとラインハルトは心でつぶやいた。
小一時間程のセレモニーが終了すると、ラインハルトはそそくさと中へ入る。既にいつもの朝食の時間は過ぎているが、今日は特別に宮殿の中庭で親しい者達と軽食パーティーをひらくことになっていた。親しいと言っても、家族とごく少数の知人達だけである。皇妃ヒルデガルドも久方ぶりに父と身近であえると喜んでいた。息子のアレクも仲の良い友が来るのでおおはしゃぎだった、とヒルダが言っていたのを思い出し、ラインハルトは笑みを浮かべた。
「Vater! Herzlichen Gluckwunsch zum Geburtstag !!!」
中庭へ出た途端、誕生日おめでとう!の声と共に駆け寄って来たのはやはりアレクだった。
ラインハルトはアレクを抱きかかえると、既に彼を待っていた皆へ顔を向けた。
「本日は誠におめでとう存じます。アレクもこのように喜んでいますし、わたくしもこの様なパーティーは大変久しぶりですわ。」
ヒルダが美しい笑顔で言う。そして次々と、集まった皆からの祝いの言葉を聞いて、ラインハルトは今日この日がある事を嬉しく思うのだった。
主役のラインハルトがかすむ程に、子供はいつもの如く元気が良い。今日はロイエンタールが息子のフェリックスを連れてきていたが、早速アレクが彼を奪いさってしまった。
フェリックスはアレクにとって目下、一番大好きな友達である。ラインハルトの目には、かつての自分とキルヒアイスが浮かぶようでとても微笑ましく写るのだった。
「フェリックスはとっても頭がいいんだよ!僕が皇帝になったら絶対に一番にしてあげるよ。」
「あ、でもっ、僕はアレク殿下のように綺麗な金髪じゃないしっ、お父様は皇帝陛下じゃないしっ、殿下の御母上はお綺麗だし...あの..その.....」
アレクがまくしたてて言うのを、当のフェリックスが顔を真っ赤にして言い訳しようとする。横で見ていた父ロイエンタールは、この時ばかりは元帥としての威厳もそっちのけで息子へ優しく笑いかけた。
「フェリックス、せっかく誉めていただいたのだから、殿下にお礼をいいなさい」
「そうだぞフェリックス。お前は父に似て出来が良いのだから、将来はぜひともアレクの片腕として側にいてやってほしい。もっとも、アレクが離さんだろうがな。」
敬愛する皇帝陛下と父にダブル攻撃された彼は、照れながらアレクに礼を述べる。
「有り難う御座います殿下。僕でよろしければ、将来は是非とも殿下を御助けしていきたいと思います。」
「なんだフェリックス!父上の前だとかしこまるんだな!お前は僕の友人なんだから、僕にはかしこまらなくていいんだよ!」
またもやフェリックスが顔を赤くするのだった。
一通り友人を困らせた後、アレクはフェリックスをひっぱって、食べ物を物色しに駆けていった。大人たちには、その微笑ましい光景がうらやましく思えるのか、しばらくは彼らの方に皆笑顔を向けていた。
そんな中で一人ラインハルトは怪訝な顔をしていた。アレク達を見ていてふと気になったのだが、彼の最大の親友にして、姉のアンネローゼの夫君であるキルヒアイスが夫婦そろってここにいないのだ。いつもなら必ずいるはずの二人の姿が見えないので、だんだんラインハルトはイライラしてきていた。
そんな彼を見て、
流石にそばにいたロイエンタールやミッターマイヤー夫妻が、キルヒアイス夫妻がいない事に不振を唱える。
「どうやらキルヒアイス元帥夫妻は遅れてお出での様ですね。もう少し待てば、御二人ともいらっしゃるでしょう。陛下はともかく楽しんでおられてはいかがですか?」
「そうだな。卿の’言う通りだ。皆がせっかく私の為に集まってくれたのだから、楽しまなければ損だ。」
ミッターマイヤーの言葉に、ラインハルトは表面上笑顔で言う。もちろん、他の皆もキルヒアイスが遅れるとは尋常ではない事を重々承知なのだが、せっかくのパーティーを盛り下げたくはなかったのである。
普段は執務の関係でしか話をしない各元帥達とその奥方達とのアットホームな会話は、ラインハルトにとって彼らの素の面を知るいい機会でもある。ミッターマイヤーはあいかわらず愛妻家であるし、あの漁色家で名高かったロイエンタールも息子可愛さに最近はいたって真面目な様だ。ロイエンタールが同僚達にからかわれているのを見ると、数年前がうそのようである。
しかし、だがしかーし......
ラインハルトの胸中は、パーティーも一時間程過ぎたあたりでは既にイライラを通り越して、どんよりしていた。遅れるにしても普通なら前もって連絡があるはずだ。あの姉上とキルヒアイスがそのあたりを怠るわけがない。これは事故か何かに違いない....
どんより真っ暗なラインハルトの思考は、止まることを知らずにますます嫌な想像をさせる。
俺が何かしたということは無いはずだ。昨日キルヒアイスは確かに参上するとか言っていたし....姉上を怒らせるような事もしていないぞ断じて!しかし事故にしたって、連絡はくるだろう....
何か一人で力んでいるラインハルトを見て、ようやくミッターマイヤーは通りかかった召し使いに、キルヒアイス元帥に連絡を取るようにたずねた。キルヒアイスと姉の事となるとまるで子供のようになるラインハルトは周囲の笑みを誘っていたが、当の皇帝陛下はそんな事にすら気がまわってなかった。
「陛下、キルヒアイス元帥閣下ご夫妻はただ今こちらへ向かっておられるそうです。あと少しでお着きになられるかと....」
使いの男が運んできた伝言に、ラインハルトは急に表情を変えた。
何事もなくてよかった事への安堵と、何故今まで連絡してこなかったのかという苛立ちとが入り交じった、妙な表情である。
キルヒアイスのやつ、着いたら問い詰めてやるっ!
「陛下、ご安心なさったところで、わたくしの娘を紹介させていただきとうございますわ」
心で密かに決心を固めるラインハルトに、今まで遠慮していたビッテンフェルト夫人が声をかけて来た。
「フラウビッテンフェルト、貴方とお会いするのも大変久しぶりであったな。そちらが噂のフロイラインか。父親が自慢するだけあって、余も将来が楽しみだ。」
心中の子供じみた自分をさらけ出すことなく、皇帝の顔で夫人と令嬢に答える。側で見ている有能な双璧のお二人は、お互い笑いをこらえる事ができないでいたのだが。
ふと中庭がざわついた。キルヒアイス元帥夫妻が到着したのである。
「陛下、このような日に遅れて大変申し訳御座いません。」
まっすぐにラインハルトの元へやってきたキルヒアイスは、不機嫌そうなラインハルトの顔をまっすぐに見ながらにこやかに笑顔でそう言った。後ろから来るアンネローゼもいつにない笑顔だ。
「謝っているわりには、顔が笑っているぞ。何か良いことでもあったのかキルヒアイス。」
笑顔のおかげで、既に不機嫌は去っていたが、キルヒアイスと姉の不可解な笑顔が気になる。何か隠しているのは一目瞭然なので、ラインハルトは好奇心一杯にたずねた。
「出来る限り早くご連絡申し上げようと思ったのですが、やはりわたくし達自らご報告致したいと思いまして....」
もったいぶらずに早く言えキルヒアイスっという気持ちがラインハルトの顔にはっきり現れている。その時ふいに横で、ミッターマイヤー夫人が「あっ」と小さく声を上げた。
「もしかして!まあ!」
アンネローゼが夫人の言葉にゆっくりうなずく。ラインハルトは全くわかっていなかったが、他の元帥達もなんとなく理解していた。天才ラインハルトも、意外と鈍い面があるのだった。
「ラインハルト、貴方に姪ができるのですよ。」
一瞬真っ白になったラインハルトであるが、再度アンネローゼが繰り返し伝えるのを聞いて、途端に喜びの表情になった。親友と愛する姉との子である。ラインハルトにとって、もっとも喜ぶべき事であった。
「そうか!女なのだな。きっとアレクの妃にするぞキルヒアイス。姉上、よろしいですね。」
息子の意見など聴かずに、ラインハルトは速攻で姪の将来を決定した。アンネローゼとキルヒアイスは、嬉しそうにうなずいていたが.....
「検査に時間がかかりまして、連絡すればラインハルト様は理由をおききになるでしょうから、敢えてしなかったのです。ご心配をおかけしました。」
「そのような事はどうでもよい。」
ラインハルトは既にまだ見ぬ二人の娘に思いを馳せていた。
「きっと、姉上に似て美しい子が生まれるぞキルヒアイス。ということは、俺にも似るのだな。皇妃のように聡明ならば言うことはない。まあ、お前と姉上の間で、聡明でない子供が生まれようはずがないがな。」
「わたくしには身にあまる光栄ですラインハルト様。」
喜びにあふれる宮殿の中庭には、仲の良い親友同士の姿があった。
「母上...私の皇妃が生まれるのですか?」
アレクがヒルダにささやいた。
「その様子ね。どう?アレクは嬉しい?」
「はい母上!フェリックスと3人で遊びます(^^)」
まだまだ子供なアレクであった。
END