ルーマニアってどこ?
「ルーマニアに行く」と言うと、たくさんの人に「ルーマニアってどこ?」と聞かれました。 ベネッルクス三国の一つであると間違って認識している人もいました。はっきり言って…ぜんっぜん違います…(ちなみにベネルックス三国とは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのことですね) 実は東ヨーロッパ、黒海沿岸にあるのですが、かなり日本人にとってなじみの薄い国であるようです。国境を共有している国はブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、ウクライナ、モルドバです。って言っても分からない人には分からない…。 …とにかく、東ヨーロッパの国ってことですね。 |
涼しくないどころか…
ルーマニアといえば東ヨーロッパ、東ヨーロッパといえばロシアに近い、よって涼しい国である、という認識が私の中では成立していたわけですが、現実はまったく違いました。 ルーマニアに着くなり凄い熱気で"ここは本当にルーマニアだろうか?"と思った程です。 まぁ、少し考えれば当たり前のことですが、ポイントはルーマニアが内陸にあるってことですね。典型的な内陸性気候で夏は暑く、冬は寒い。雨は余り降らないが、湿度は高い。過ごしにくい所です。(いや、ルーマニアに住んでいる人には失礼な書き方かもしれないですが、日本人にとっては…いや、世界一般的に言っても厳しい気候でしょう) 私がルーマニアに滞在している間、夜は35℃から40℃、昼は40℃から50℃、という状態でした。よっぽど良い所でないとエアコンも扇風機もないので夜は、寝苦しいころこの上ありません。窓を開けると蚊が大量に入ってくるので酷い日は42℃の密閉された部屋の中で寝ていました。この時は日本文化の紹介の為に持っていった扇子が役に立ちました。ルーマニアでこそ扇子、団扇を売るべきだと思います(笑)。 シティーホールでクライオヴァという市の市長さんや、政府の方とお会いする機会があったのですが、話している間中、お偉いさん達は汗ダラダラでした。市民会館にもクーラーが付いてないんですねー。 ただ、ルーマニアでも山の高度の高い所では夜ぐっと気温が下がり、トレーナーを着た上にもう一枚ジャケットを着ないと耐えられないくらいでした。 とにかく、過酷な気候です。私と一緒にツアーに参加していたルーマニア人以外の人達は10日間の間にそろって咳をするようになっていました。 私が、ルーマニアのツアーに参加しようと思ったのはねー、”こんな機会でなければ行けない!”と思ったのもありますけど、”熱い日本から脱出して優雅な夏休みを送ろう”と思ったからでもあるんですよ。 ”余計暑い所に行ってどうするよ!?私!”って感じでしたね…。 |
日本人観光客の少ない国
ルーマニアではドラキュラ以外に目立ったものがないせいか、もと共産圏だったせいか、観光地としてはぜんぜん発達していません。 ほとんど英語が通じる人がいませんし、お土産の店もありません。そしてほぼどこの国に行っても、うじゃうじゃいる日本人観光客に会いません。私がいた12日の間に、一緒にツアーに参加していた日本人3人と台湾人2人以外、一人も東洋人の顔を見ませんでした。 それだけルーマニアでは東洋人が珍しいらしく奇妙な物でも見るかのような視線に始終さらされ続けました。中には私に触って喜びながら去っていく人もいました。芸能人や相撲取りに触って喜ぶ一般人の心境なのでしょうか。(芸能人みたいないいもんじゃないけど…) ブカレスト駅構内のトイレで、突然ニコニコ笑いながら私のあごを撫でてきたおばあさんが忘れられません…なんだったんだ…? |
交通ルールはどこへ…?
首都であるブカレストはともかく私が長く滞在したCraiova他の都市の道路は舗装されていたとしてもガタガタでかなり悪い状態です。一番よく使われる交通機関は車(タクシーを含む)でしょう。そして、路面電車もよく見られます。普通の電車はブカレストから各大きな都市に移動する時にのみ使われるようです。 タクシーの料金は安く(全体的に物価が安い事もあるのでしょうが日本ではタクシーで600円かかる距離をルーマニアでは約50円で行けます)人々は日常的に、気軽にタクシーを使います。それだけ多くのタクシーが道を走っています。 ガタガタの道をたまにあるセンターラインもなんのその。無視して前から来る車を右へよけたり左へよけたり。交通ルールはないのか?と聞きたくなるくらいの運転を皆します。最初乗った時はかなりの恐怖を感じましたが一週間もするとそれが普通になってしまいました。っていうより快感…。それだけ移動によく車を使っていたということですね。 |
もうポテトはいいです
ルーマニアでの食事について。 まず、食事をとる時間ですが全体的に遅いです。朝食は11時前後、昼食は3時前後、そして夕食は10時前後。朝起きてもすぐに朝食ではないのです。最初は私達だけおかしなスケジュールで動いているのかとも思っていたのですが、ホテルで食事をするときも11時くらいに横のテーブルで子供連れの家族が食事をしていたり、と日本ではあまり考えられないような情景に出会いました。 食事自体はまずくないのですが、メニューが少なく、ちょっといいレストランに行くとパスタが選べるくらいであとは昼晩いつもほぼ同じ料理を食べていました。もう次に何が出てくるか予想できてしまうわけです。 まずトマト味のスープ。そしてトマトサラダもしくは塩漬けのキャベツ。その後にメイン料理として肉とポテト。最初は喜んで食べていた料理も毎日食べていると気分が悪くなります。日本に帰ってしばらくはジャガイモを見るのも嫌でした。 ヨーロッパでは良くあることかもしれませんがお皿が出てくる間隔が異様に長いです。だから、スープを飲むと30分会話時間。サラダを食べるとまた30分といった調子でした。まぁ、その間に他の国からのツアー参加者といろいろ話が出来、仲良くなれたので有意義な時間だったわけですが、これが日常茶飯事だと思うと、せっかちな大阪人としては耐えられないものがあります…。 一度、ミーティングの為に時間がなくて急いでいたとき会計を頼んでから30分待たされたことがありました。この時はさすがに一緒にいたルーマニア人が何度かウェイターに「早くしてくれ」と言ったのですが、それでも30分…。やってられねー。 朝食は軽くパンに異様に酸っぱいヨーグルトそして甘い牛乳程度です。パンにのっているチーズがくせもので塩辛くてとてもではありませんが食べられませんでした。 でも、ルーマニアの伝統のデザート、パパナッシュはかなりおいしかったです。ドーナツに甘いソースがかかったデザートです。ルーマニアに行く人はぜひぜひ、ためしてみてください。 |
NO WATER!
ルーマニアで悩まされたのが暑さと水です。私が長くいたCraiovaが特に悪かったのですが朝と晩一、二時間ずつしか水が出ないのです。出ても冷水だけなので私たちは冷水シャワーを短い時間で浴びる毎日でした。惨めですよ…冷水シャワー…。うかつにシャンプーも出来なかったです。だって途中で水が止まってしまった時のことを考えると…。 水が出ない間はトイレの水も流れないので本当に大変です。ホテルに帰るなり皆、洗面所に走り、「No water!」と叫ぶ毎日でした。今思えば笑える光景ですが、あの時は本当にやりきれない思いでしたね。 ある一ヶ所に集めた水を広い地域に太いパイプで運ぼうとするので、そういうことがおこるということです。共産圏だったころの名残ですね。 また飲み水にも困りました。もちろん水道水は飲めない(その前に出ない)のですが、売っているナチュラルウォーターも私たちに言わせてみれば全然ナチュラルでない代物だったのです。最初飲んだときは本当に驚きました。何の疑いもなく普通の水だと思って飲んだ水が炭酸入りでなんとも言えない後味が残ったのですから。 あの後味に耐えられず、私たちはしばらくジュースばかりを飲んで過ごしていました。そのジュースもめったに炭酸の入っていないのが存在せず、たまにオレンジジュースやグレープフルーツジュースを見つけてもそれがまた妙な味で…。甘くなった口をどうにかするために、歯磨きをしたかったのですが、例のごとく水が出ねー。この飲み物が無いのは私たちをかなり疲れさせました。二日で帰りたくなったくらいですから。 けれどたまたま入ったスーパーマーケットでAPA PLATA と呼ばれる炭酸なしの水を見つけ、私たちは生き返りました。APA PLATA…それが私たちの覚えた最初のルーマニア語でした。それからは店に入る毎にAPA PLATAはないか?と店員に尋ね、あれば大量に買い込んでペットボトル4本くらいを持ち歩いていました。 一緒にツアーに参加していたマケドニア人に聞いたところによるとマケドニアでも炭酸入りの水が普通だそうです。日本人とオランダ人が特にその味の水が苦手なようでした。 |
社会と学生
AIESECは主に海外研修に携わる団体なのですが、そこが主催するツアーに参加したため、いろいろなことを体験しました。 ルーマニアの政府役人や企業の人とのディスカッションもその一つで、それを聞いていて日本との違いをとても感じました。 日本では企業が学生を学生の間に育てることに熱心ではありません。よって研修生を受け入れてくれるようお願いしに行っても、なかなか聞いて頂けません。話も聞かずに拒否されることもしばしばです。ルーマニアや他の欧米の国々はそうではないらしく、学生のすることに耳を傾けてくれる、そういうところが多いようです。 日本ではありえないことですが、AISECのプレゼンテーションを市長や政府の人、マスコミが聞きに来、質問が飛び交うのです。フェアウェルパーティーにはテレビカメラが入り国ごとに歌を歌っているところや、日本の一気コールで楽しんでいるところなどを撮られました。 |
最後に
ルーマニアレポートをざっと書いてみたのですが、まだまだ書き足りません。ここで書き残した部分は、写真の横に書き添えていきますね。よろしければ、そちらの方も見てやって下さい。 |