お題其の一・学食


アメリカの大学では「学食=Dorm Food(寮の食事)=一年坊主」という
図式が私の大学も含めて一般的だと思う。なぜか?カリフォルニア州、また
は州外から集まってきた新入生達には、学生街に位置するアパートを借りる
ことがほぼ不可能に近いからだ。2、3、4年生、そして院生の先輩達のシレツな
学生街のアパート確保バトルは、新入生がのほほんと入学してくる9月などには
もうとっくに終わっていて、そんな時期に彼ら一年坊主どもが住める所といえば
悪名高い(値段も高い)「Dorm(寮)」しかないからだ。
この寮部屋、日本の感覚からすれば広いのかもしれないが、だだっ広い国・
アメリカで育ってきたお嬢様、お坊ちゃま達にしてみれば、自宅の風呂場くらい
にしか思えない広さだ。本来ならばどの寮も一部屋につき二人の割当てなのだが、
寮部屋を入学前に申し込むのが遅れると泣こうがわめこうが、恐怖の三人部屋に
割り当てられてしまうのだ。風呂場サイズの部屋で三人の見知らぬ男(または女)
が生活してると、当然毎日仲良くなんてしてられない訳で、酷い所になると
「ルームメイトが麻薬ばっかりやってるんで部屋を変えてください」
という哀れな真面目学生からの申込みもあったりして中々親元を離れたばかりの
新入生にとってはシビアな世界なんである。

・・・なんだか話が食べ物くさくなってこないので、ここらへんで無理矢理話題を
元にもどすことにする。えー、なんだっけ。あ、そうそう、学食ね、学食。

二年前の九月、そのミジメったらしい一年生(Freshman)だった私は環境の
180度大回転に胃をキリキリさせ放題で、最初の二、三日は学食の味なんぞに
気を取られてるバアイではなかった。
「あーあ、いくら大学に慣れるためとは言え、授業が始まる一週間も前に寮に
入らせられるくらいだったらその分家に居たかった・・・」
そう、私は過度の「家っ子」で、家から離れると突然ブルー、 万年腹痛症候群、
平たく言えばホームシックになりやすい人間だったのだ。今はもう過去の話だが、
寮に着いてさっそく次の日の朝には家に電話して怒涛の涙をこぼしていたのも
私である。ちなみに学校から実家まで車で2時間。泣くなよ、二年前の私。
兎に角、「うちに帰りたい病」からやっと目が覚めて周りを見渡してみると
私と現実(=マヅイ学食)があったのである。

「米はいづこ?ウェアー・イズ・ライス?」

これが小川奈央(本名)が大学生活初めて意志を持って他人に問い掛けた最初の
質問だったといえる。だって日本人だし、お米ないと納豆も食べられないんだもん。

「あっち。タイ米とスティッキー・ライスがあるよ」

ありがとう、名も知れぬ学食で働く人!って、ヤダっ,名札に名前書いてある★
イヤイヤ、そんなことより米だ、米!なんだか米の亡者みたいになってしまった私を
待ち受けていたのは、いわゆる「日本の米」風のベタついたお米。
我が大学の学食ではタイ米と一線を引く存在のこの米を総じて 「スティッキー・ライス
(ベタついた米)」と呼んでいたのであった。 でもこの時は家から遠い場所(ちがう)で
日本のお米に出会えた事が素直に嬉しかった。
欲張って沢山皿に盛る私。さて、オカズになるものは・・・・・・・・・・・・・・・・

ピザ

小川奈央、痛いシッペ返し。
かくして一番最初の学食の思い出はといえば「ベタついた米Meetsイタリアン」
という大変これからのちの食生活が危ぶまれるものだった。
その後のメニューはおぼろげながら、ピザ、ラザニア、チキンナゲット、フライドチキン、
ハンバーガー、スパゲッティー、サーモン、等々の口に出すのも濃すぎて胸が一杯に
なりそうな料理のサイクルだった事は覚えている。
無論うどん、ラーメン、カレーなんぞはもっての他。私ら日本人はここでは外人
なのである。大人しくこっちの味に慣れるか、二年めからはアパートで好きなものを
自炊するしかないのである。予想通りというか、なんというか、私はこの一年後
即、アパートに引越し好きなだけ日本の米を買ってきて生卵と一緒に食べたのである。

大学生活一年目の学生さん達はこうしてホームシックを克服していくという話でした。

●ほりゑ(日本)の「学食」エッセイを見る●

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