春信は、当時流行っていた「絵暦」と呼ばれる絵入りカレンダーの絵を担当して、絵暦に多色刷りの浮世絵を多く入れたことから、「錦絵(多色刷りの浮世絵)の創始者」、と呼ばれるようになりました。 春信は、おそらくは、浮世絵発達段階の初期に活躍した、西村重長の門人であろう、と言われています。 また、上方の浮世絵画家、西川祐信(1671-1751)や、中国人画家、Jiu Yingの影響も深く受けており、春信の魅惑的な若い男女を描く作品は、多くの人々に受け入れられました。