浮世絵の歴史 |
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江戸時代 - 浮世の世界 |
浮世絵初期 |
初期錦絵 |
錦絵は多色にするため多くの木版を要します。春信は美しい若い男性や女性を多色刷りの技法を使って詳細に表現しました。
黄金時代 |
安永、天明年間(1772-1789)、北尾派は重政(1739-1820)が中心となってその勢力を拡大していました。 重政は多くの門人を持っていたと言われ、歌麿、また、後、頽廃期に活躍する北斎をはじめとする 多くの浮世絵画家が出ました。
天明(1781-1789)、寛政(1789-1804)年間に活躍した浮世絵画家として 鳥居清長、 喜多川歌麿、 東洲斎写楽、 歌川豊春 (1735-1814), 歌川豊国 (1769-1825)が挙げられます。
清長は多くの美人画を描いた画家として知られていました。女性の洗練された美しさを最大に引き出すため、清長は2枚、3枚の続き絵を多くてがけました。
国内、海外を問わず、浮世絵画家として一番名の知れているのは歌麿、と言われています。「大首絵」、として知られる、歌麿特有の美人画は、女性の美しい表情を強調して描くためにを創案した、と言われています。
写楽は、出生、本名を含め全てがなぞに包まれていますが、彼の誇張した、ユニークなスタイルは世界的にも有名です。
豊春は風景がで知られており、彼の作品は後に北斎や広重 に影響を与えました。
豊春の門人である歌川豊国は多くの役者絵や美人画を描き、歌川派は豊国の代において、大いに勢力を伸ばしました。
頽廃時代 |
江戸時代の文化は全盛期と言われた天明、寛政年間を過ぎると、寛政の改革の反動もあって、徐々に退廃へと移行していきました。政治面では、幕府の関心は対外国政策へと移行したものの、思うようにはかどらず、また、これといった国内政策も行われませんでした。文化面においては新鮮さや自由さが欠けていき、かわりに誇張され、また歪んだ複雑なものが喜ばれるようになっていきました。
江戸文化の退廃期と言われた19世紀初頭から中期にかけて活躍した浮世絵画家には、美人画では歌川国貞(1786-1864)、溪斉英泉(1790-1848)、菊川英山(1787-1867)らが、武者絵では歌川国芳(1797-1861)、また風景画では葛飾北斉(1760-1849)、歌川広重(1797-1858)があげられます。