自由の女神とフェルメール
〜 New York 母娘旅行 〜 2000/4/18-20 |
「ニューヨークへ行って、自由の女神の天辺に登ろう!」 これが、今回のニューヨーク行きのスローガンである。 ニューヨークへは、これまで何回も行ったことがあるけれど、 その殆どがMETでのオペラ鑑賞のためで、夜に着いて翌日慌しく帰るパターンだった。 アメリカの象徴でもある「自由の女神」の姿を目にしたのは、 遊びに来た両親をつれて市内観光のツアーに参加した時一度きり。 それもフェリーに乗って「自由の女神」を遠くから眺めただけで終わった。 なんとかと煙は高いところが好き、というが、 これまで塔があれば必ずその天辺まで登っていた私である。 あの時ほど不完全燃焼を感じたことはなかった。 そして、いつか自由の女神に登ろうと、固く心に誓ったのであった。 しかしいつしか月日は流れ、そんなことを思っていたことも忘れていた昨今のこと、 ペン太さんのHPで、フェルメールの絵がメトロポリタン美術館に5月末まで特別に展示されていることを知った。フェルメールといえば、去年の春日本で特別展があり、ちょうどその頃一時帰国していた私は、数日違いで見逃して大変残念だった経緯がある。 今回のは、35枚しか残っていないフェルメールの絵のうち15枚が展示されているというのを読んで、これは是非とも行かなくちゃと思った。 折りしもMintの学校は春休み。 よし、ニューヨークへ行こう!<単純 そして、ニューヨークへ行くなら「自由の女神」に登るぞ、と忘れていた自分への約束を思い出した。 そうだったそうだった、「ニューヨークへ行って、自由の女神の天辺に登ろう!」 そう決心したとたん、ふつふつと情熱が湧き上がってくるのを感じたのであった。 |
ニューヨークへ出発しようとした日、目が覚めると外は雪だった! もう4月も半ばを過ぎているのに、外は雪で白く煙っている。 車で行くつもりなので、雨ならまだしも、雪は怖い。 行くの、やめよかなぁ…。いきなりくじけるBasilであった。 しかし、雪は次第に雨となり、午後にはすっかり上がって晴れてしまった。 やっぱり行くか。しかし、遅いのである。 やっと行く気を取り戻してなんとかホテルを押さえて、ミュージカルは何をやってるのかなぁ、 なんて今頃やっていると、今日、水曜日にはマチネーがあったことを知るのだ。 が〜〜〜〜ん。マチネー、逃がした。 Mintのことを考えたら、マチネーが一番いいのに。無知ほど悲しいものはない。 またまた行く気が失せたが、ホテルのキャンセルができないことを思い出して、 取り敢えず出発した。 今回は、初めて自分1人(ナビゲーター無し)でNYまでのドライブである。 地図はあっても見られないなぁ、なんて思っていたら、その地図が車に無かった。 マンハッタンの地図はガイドブック等に載っているが、 ボストンからNYまでどうやって行くのかがわからないのである。 確か、二通りの道があったなぁ。<これじゃ、わからん。 最初はマスパイク(90号)だった。それから80何号かの道に出て…。 ま、行けば標識が出てるだろう。わからなかったら、どっかのGSで地図を買おう。 方向音痴で浦安から東京の自宅に車で帰るのに、地図があっても道に迷って東京駅までM氏に迎えに来てもらったこともある私なのに、アメリカに来てから大胆になったものだ。 ま、先を急ぐ旅じゃなし。そう思ってかなりいい加減に出発したが、90>84>91>95号と標識に従ってNYに入り、ここがNY最後のExitという標識であわててフリーウェイを降りて、セントラルパークから4ブロック南にあるホテルに迷わずに到着した。偉いぞ、自分。休憩を取らなかったので、過去最短時間(家から約200マイル(320km)を3時間20分)で走ってしまった。 |
翌朝は、朝一番のフェリーに乗るために、早くにホテルを出発した。今日はいいお天気だ。 バスに乗ってマンハッタンの南端にあるバッテリー・パークに8時過ぎに到着した。 朝一番のフェリーは9時だ。 桜や木蓮が満開の公園を横切って、バス停と反対側の端っこにあるチケット売り場まで歩く。チケットを買って、既に15mほどできているフェリー待ちの列に並んだ。沖の方に横向きの「自由の女神」が見える。 フェリーはほぼ定刻通りに満員で出発した。進行方向右側に立って乗っていたので、 近づいてくる女神の像をずっと眺めていることができた。 女神像の後方にある船着場でフェリーを降りて、足早に像の方へ向かう。朝一番だけれど、手荷物チェックがあるので左右二手に分かれて順番待ちの列ができていた。 左の写真は、背面にある入り口の手前で女神の後姿を写したものだ。 中に入ると中央にエレベーターがある。 このエレベーターは台座の上にある回廊までしか上がれない。 エレベーターの先に女神の冠のところまで登る人用の階段があった。頂上まで357段。一気に登るのは大変かもしれないが、残り300段ぐらいから先は、既に人の列で埋まっていて、のろのろとしか進まない。 私とMintは、たまたま学校か何かのフィールド・トリップで来ている中学生ぐらいの集団の中に紛れ込んでしまい、頂上まで、前後を騒々しいティーンエイジャーに挟まれて居心地が悪いったらなかった。 階段は途中から、多分台座から女神像の足元になったところで、人が1人立てるぐらいの狭くて急な螺旋階段にかわる。その狭さときたら、アメリカ人の太った人だったら、つっかえて動けなくなりそうな感じだ。まぁ、そういう人は、冠まで登ろうなんてしないだろうけれど。 螺旋階段からは、女神の像の裏側が見えていて、ああ、ここが裾のところだなぁ、とかわかる。 あんまりぐるぐるぐるぐる回って、わけがわからなくなった頃、天辺についた。 左の写真がその螺旋階段の終わりと天辺のスペースを写したもの。 人の立てるスペースは1畳半といったところだろうか。 自由の女神の中の天井は、こんな風に白い波模様だった。 写真を撮っていると、私達の後ろから上がってきたティーンエイジャーが、 「たったこれだけのために、こうして登ってきたわけ!?」 と叫んでいる。 確かにねぇ。狭くて、眺めという点では、窓はが1/3周ぐらいしかついてないけど。 それでも、"Stature of Liberty" の冠のから眺めるマンハッタンの摩天楼は、特別だった。 そして、"Stature of Liberty"の冠の棘や、腕や、手や、トーチの一部が窓から見えるのが面白かった。(下の写真がそれ。) |
▲冠の左端の方の窓。 |
▲マンハッタンの摩天楼を臨む。 冠のスパイクが指しているようでしょ? |
▲冠の右端の方の窓からは、 腕の一部が見える。 |
▲窓から見上げると、 トーチの下部と手が見える。 |
▲博物館で、実物大の女神の足と。 |
下りでは、台座の上で外に出て、ぐるっと一周回って女神像を見上げたり、周囲の眺めを楽しんだりした。台座の下の台の部分は幾分広く、像の写真を撮るのには絶好の場所だった(このページのトップの写真はそこで撮ったもの)。 そのさらに下にある博物館を見学し、お土産を買って出てきたら、これから登る人の行列は朝の倍ぐらいに伸びていた。大変だなぁ、と他人事のように思っていたら、帰りのフェリーの列も同じぐらい長くなっていたのだった。一時間ぐらい待って、やっと乗りこむ。行きと反対の左側に陣取って自由の女神を見納める。 その途中、行きのフェリーとすれ違ったが、そのフェリーが女神の像の見える側に傾いていて今にも転覆しそうなぐらいだったのが可笑しかった。 帰りのフェリーはエリス島に寄った。 この写真の島の右の方にある学校のような煉瓦色の建物がエリス島移民博物館だ。 かつて1892年から約60年間、1700万人の移民が、この島にあった移民局で審査を受けてアメリカへ入国したのだそうだ。 とても興味があったが、既に時間が一時を過ぎていたのでフェリーを降りずにそのまま戻ることにした。 |
次の目的地は、メトロポリタン美術館。 メトロポリタン美術館は、以前に1日かけて見たことがある。 今回は"Vermeer and the Delft School"の、中でもVermeerだけに焦点を絞って見学した。 展示されていたVermeerの絵は、以下の通り。(展示順) ・Christ in the house of Mary and Martha (1654-1655年頃) ・The Procuress (1656年) ・A Maid Asleep (1657年頃) ・The Glass of Wine (1660-61年頃) ・The Little Street (1660-61年頃) ・Woman with a Water Pitcher (1662年頃) ・Study of a Young Woman (1668-70年頃) ・Woman tuning a Lute (1664-65年頃) ・Girl with a Red Hat ・Young Woman standing at a Virginals (1670-71年頃) ・Young Woman Seated at a Virginals (1671-75年頃) ・Young Woman Seated at a Virginals ・Woman with a Balance (1663-64年頃) ・The Allegory of Faith (1670-75年頃) ・The Art of Painting (1664-66年頃) 夜、なんとかライオンキング(ミュージカル)が見れないかと、7時前にキャンセル・チケットを狙って劇場のチケット売り場へ行ってみた。すると、キャンセルされたチケットを買う人の列というのがもうできていて、私達は14番目ぐらいだった。先頭の人は3時台には並んでいたのだとういう。いつ頃から売りに出されるのか全くわからないまま並んで待つ。近くで火事があったようで、消防車が何台も集まってきた。焦げ臭い臭いもする。列は最後には30人ぐらいになっていた。 先頭の数人は10分ぐらい前に中に入れたがあとは8時を過ぎてからやっとチケットを売り出した。現金のみ。続きの席がなかったら駄目だなぁと思っていたが、私達の前の人までで、チケットはなくなってしまった。 がっくり。 駄目モトで並んではいたのだが、目の前で締切られるというのは残念すぎたなぁ。 |
2日目の朝は、荷物を部屋に残して、ロックフェラーセンターの方へ歩いて行った。
紀伊国屋とその並びにある源吉兆庵が目的である。 何でも手に入るボストンだけれど、本当の和菓子というのは手に入らない。 日本にいた時は、和菓子なんてそんなに興味がなかったのに、 食べられないとなると、無性に恋しくなるものだ。 だから、NYへ行った時は、必ずここに寄ってしまうのだ。 今回は、春を感じさせる和菓子を数種類と、柏餅、そして、いつも買う草餅と赤米餅を買った。 本に関しては、このところ、かなり充足しているので、紀伊国屋では、雰囲気を味わって満足した。 12時の時間いっぱいでチェックアウトをして、24時間20ドルでホテルのバレーパーキングに預けた車を待ちながら、カフェでお昼を食べる。 6th Ave.を北上するとセントラルパークの中を抜ける道に行きあたった。セントラルパークも行きたいなぁと思っていたので丁度よかった。 公園内の桜や木蓮、レンギョウ、水仙が満開で、いい季節に来たなぁと嬉しくなる。 本当は車を降りて花の下に立ちたいところだけれど、停車できないので歓声をあげながらできるだけゆっくりと車を走らせた。 最後、72nd St.に出る前の信号待ちで、満開の桜の木を写してみた。(左写真) NYって街が汚くて好きじゃなかったけれど、こんな風に自分1人でも車でぴゅっと行けるってことがわかったので、今ではまた行きたいなと思っている。 これまでNYへ車で行くのが大仕事に思えたのは、Mintがうんと小さかったからだったということがわかった。ぐずられて仕方無く、高速で走っている車の助手席から、アクロバットのように後部座席に移動してあやしたり、途中で休憩すれば、食事だ、トイレ(赤ちゃんの時はおむつ)だとなんだかんだで1時間近く時間がとられたもんなぁ。だから、いつも片道5〜6時間はかかっていたのだ。 今回は、渋滞していた帰り道も、休憩無しだったから4時間はかからなかったもの。 今度は、Frick Collectionに3つあるVermeerを見に行こうかなぁ。 |