名護屋城
 
所在地 佐賀県東松浦郡鎮西町 お勧め度 3.5
稼働年代 天正二十(1592)年〜慶長十三(1608)年 最後に訪れた日 1993.3.8
 
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秀吉の朝鮮遠征失敗に伴い廃城となったため石垣のかなりの部分が崩壊しているものの、曲輪の形状は意外に良く残っている。石垣を切り崩して本丸まで車道を通していたり、本丸に古びた旅館があったりして近代になってからの城址破壊もあるようだ。最近は発掘調査に基づいた修復整備が進んでいるようなので、本丸の石垣も元に戻して旅館も申し訳ないが移転して欲しい。城址は急造で野面積みが主体の石垣と広大な敷地の対比が興味深い。現在、本丸、二の丸、三の丸、弾正丸、遊撃丸などの曲輪が整備されて旧状を取り戻しつつある。山里曲輪はまだ林や民家敷地となっている。縄張りを眺めてみて大手口よりも搦手口の方が立派であるのは不思議だ。あくまで大陸派兵の拠点で形式にこだわらなかったのか。かなりの規模なのにいまいち垢抜けた感じがしないのは急造だからだろうか、秀吉期の城だからだろうか。いずれにせよ近世の築城技術変遷を示す貴重な城である事は間違いない。(1997.8.3)

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