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Goodbye, maestro

 5月にフィラデルフィア・オーケストラの2002-2003レギュラーシーズンが終わりました。最近は特に日記には書いていませんが、昨年の秋からこの5月までのレギュラーシーズン中に15回聴きに行き、今シーズンも存分堪能しました。例えば、Charles Dutoit指揮・Martha Argerichピアノでチャイコフスキー・ピアノコンツェルト。の、予定が直前にラヴェル・ピアノコンツェルトに変更。そう言えばArgerichは昨シーズンもプログラムを直前に変更し、ショパンのはずがシューマンだったような。ギフトショップではプログラムの曲目・演奏者に合わせてCDを揃えて販売しているのですが、「3日前に突然変更が伝えられ、それに合わせてCDを揃えるのが大変だったのよ。」だったそうです。噂通りの気まぐれ女です。それから誰もが知っているベートーベンの第5。指揮はCharles Dutoit。隣の席のおばさんは、その大きな身体を揺らしながらノリノリでした。クラシックで今にも踊りだしそうなくらいのノリの観客を見たのは初めてです。そして、ジャズ歌手でもあるBobby McFerrinの指揮。Mozartのフィガロの結婚序曲ではリラックスした指揮で、途中で突然指揮棒を振りやめて演奏に耳を澄まして聴き入り、かと思えばGershwinでは一転してエネルギッシュな演奏を引き出して聴く人を楽しませました。

 さて、このシーズンはフィラデルフィア・オーケストラにとって特別でした。10年間音楽監督を務めたWolfgang Sawalischが辞任し、来シーズンからはCristoph Eschenbachが後任に就くのです。そのため今年はSawallischのため、Robert Schumman Weekと称して彼のお気に入りの作曲家の特集プログラムがシーズン中に合計5つ用意されていました(録音はCD化されて現在発売中)。そしてシーズンの最後の3週間はSchummanの5つ目のプログラムからチャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」、そしてベートーベンの第9と盛り上がって幕を閉じ、その後北米・南米ツアーでSawallischの音楽監督としての仕事が終わる予定でした。が、79歳と高齢のSawallischにはそれはハード過ぎるスケジュールだったようです。

 最後の3連続週間の幕開け、Robert Schumman Week Vのプログラムはベートーベンの第6「田園」とシューマンの交響曲2番でしたが、これがいけなかったようです。なにしろ通常はプログラムのメインにすべき曲を1日に2曲も指揮するのですから、疲れもたぶん普段の倍近く。これをフィラデルフィアで3日公演した後、ニューヨークのカーネギーホールでも演奏。これでSawallischの疲労はピークに達したようで、疲労と高血圧のため体調不良となってしまいました。そして次の週はキャンセル。代理の指揮者はフランクフルト・ラジオ・オーケストラの若きアメリカ人指揮者Hugh Wolffでした。Wolffは突然の代打だったにもかかわらず、Sawallischが指揮するはずだったプログラムを変更することなく、立派な指揮をしました。チャイコフスキーの悲愴は少々力まかせだったような気もしますが、非常にエネルギッシュな演奏を聴かせてくれました。とは言え、聴く方としては「Sawallischだったらどういう風に指揮をしただろう」と、つい思ってしまいます。しかし、この週はSawallischにじっくり休養してもらい、次の週のフィラデルフィア・フィナーレに備えてもらわなくてはならないので、ここは我慢です。

 そして最後の週。音楽監督辞任の記念コンサートを含め合計4日間連続のフィナーレです。ところがSawallischの体調は未だ回復せず、無理を押しての公演となりました。4日間ベートーベンの第9を、そして記念コンサート以外はそれに加えてさらにブラームスを1曲指揮するはずでしたが、最終日まで乗り切るためにブラームスの指揮はコーラスの指揮者に任せ、Sawallischは第9だけに専念することとなりました。もう一つ、とても大きなキャンセル。Sawallischはフィラデルフィアでの最終公演後のツアーの指揮を断念し、フィラデルフィア・オーケストラはSawallisch抜きで代打の指揮者とツアーに出かけることとなりました。Sawallischの体調は相当に悪そうです。それにもかかわらずフィラデルフィアでの最終公演は自ら指揮したいというSawallischの強い意志に、音楽にかける情熱とフィラデルフィアへの思い入れを感じることができます。そして、思わぬ副産物があります。Sawallischの音楽監督としての最後の指揮は上述の通りツアーの予定でしたが、Sawallischのツアーキャンセルのため、フィラデルフィアでの最終公演がSawallischにとっての音楽監督としての最後の指揮となってしまったのです。

 そして最終日の5月10日、土曜日の夜。予期せず超プレミアム公演となってしまったこの公演は開始前からすでに熱狂的な雰囲気です。通常の公演では一定数の当日券が開演2時間半前から売りに出され、平日なら発売の30分前、土曜日でも1時間前に並べば通常チケットが手に入るのですが、この日は3時間の行列。そしてその後も、チケットを買いに来て売り切れのためがっかり帰る人が絶えません。そして開演後、ブラームスの演奏と休憩が終わり、いよいよSawallischの入場です。観客は総立ちでSawallischを迎え入れ、まるでカーテンコールのようでした。そしてSawallischが指揮台に上ると、いつもはお行儀がいまいちのフィラデルフィアの観客達も今日だけはシンと静まり、決して演奏の邪魔をしてはいけないという緊張感がいつになく観客席を覆いました。Sawallischは椅子に腰掛けての指揮で見るのが痛々しかったのですが、指揮は弱々しい外見とは異なり、力強く、そして細部にこだわった繊細なものでした。一般的にはSawallischの指揮はやや重たくどっしりとした傾向にあるようですが、第9はやや軽快なテンポでメロディーの美しさを最大限に生かしながら、金管楽器のすばらしい音色が音に厚みを加え、ティンパニのメリハリがすばらしいアクセントとなり、弦楽器と木管楽器がきれいにまとめるという、快・厚という一見相反する要素を両立させたすばらしいものでした。すごいのは指揮だけでなく、その指揮の難度の高い要求に応え、快・厚の演奏を見事にしてみせたフィラデルフィア・オーケストラもさすがと唸らされました。歌も見事でしたが、コーラスだけでなくソロの歌手達も今日は脇役になり、まさにSawallisch一人のためのステージのようでした。

 そして見事な演奏が終わると観客は再び総立ちで割れるような拍手とBravo!の声がいつもの何倍も飛び交いました。ひらぴーももちろん何度も絶叫しました。カーテンコールは通常は3回、多くて4回なのですが、この日はなんと7回。誰もその場を惜しんで立ち去ろうとしないのです。カーテンコールの回数もさることながら、その様子も非常に珍しいものでした。楽団員達は立ち上がって観客に応えるようSawallischに指示されても、それを拒否し、さらに途中からは観客と一緒に拍手を始めるではありませんか。いつもなら賞賛を浴びる方にいる彼らも、今日だけは観客の拍手をSawallischだけに送りたかったようです。そしてカーテンコールが5回、6回と増えていくと、会場はいっそう盛り上がるのですが、Sawallischの体力が気になるところです。そして7回目のカーテンコールの後、少し拍手が減ったところで思い切ったようにコンサートマスターが立ち上って会場を後にし、他の楽団員達も続いて退場し、ついに大興奮のフィラデルフィア・フィナーレは幕を閉じました。

 誤解の無きよう書いておきますが、Sawallischはフィラデルフィア・オーケストラの音楽監督は辞任しますが、フィラデルフィア・オーケストラと縁が切れる訳ではありません。来シーズンは客員指揮者としてフィラデルフィア・オーケストラにやってきます。今回はあくまでも「音楽監督としての最後の指揮」であって、フィラデルフィアでの最後の指揮ではありません。来シーズン、体調の良くなったSawallischをまた見たいものです。


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