インデックス>日記:04年の日記 ◆引っ越し1 ◆引っ越し2 ◆引っ越し3 ◆引っ越し4 ◆警察 ◆高速 ◆912 ◆ツリー ◆ギラギラ
1年半の迷走 登場人物はこちらを参照
今は昔、2002年の3月のある日、研究室のドアを閉め切って突然ボスがみんなに切り出しました。
「ここだけの話だが、実は研究室を引っ越すことにした。」
ここアメリカでは研究室の引っ越しは珍しいことではありません。そもそもひらぴーが今のボスと知り合った頃はまだボスはNCI(アメリカ国立がん研究所)にいてひらぴーはてっきりNCIに行くつもりでいたら、突然メールでフィラデルフィアに引っ越すことにしたというお知らせがあり、フィラデルフィアに引っ越した後の研究室に合流したという経緯があります。もちろん引っ越し騒動に巻き込まれないよう合流を遅らせ、研究室の引っ越し後数ヶ月経ってからひらぴーがフィラデルフィアにやって来たことは言うまでもありません。しかし研究室がジェファーソン大学に来て、この時点でわずか4年未満、いくらなんでも早すぎます。まさか自分が引っ越しに巻き込まれようとは・・・。
さて、肝心の引っ越し先と引っ越し時期ですが、これが大問題。「行き先の候補は4カ所、時期は半年後から2年以内」という非常に大雑把なアナウンス。つまり見当がつかないってこと。ちなみに候補地は西海岸に2カ所、東海岸に2カ所。アナウンス後の研究室メンバー同士の雑談では、「のろまなボスだから行き先の結論が出るのは半年後から1年以内になるのではないか、よって半年後の引っ越しはあり得ない、早くて1年後だろう」という結論に落ち着きましたが、とにかくボスの結論を待つしかありません。しかしこの時、結論が出るのに1年半かかろうとは誰が予測できたでしょうか。おそらくボスですらこの後の展開は全くの予想外だったに違いありません。
アナウンスから間もなく、ボスが西海岸の候補地の一つに出かけセミナー兼交渉。そしてさっそく1カ所脱落。ここは季候が良く、住むには楽しそうな所だっただけにちょっと残念。さらに1月ほどしてもう一つの西海岸の候補地にも出かけ、ここも可能性が薄そうだというところから急に交渉ペースがスローダウン。引っ越し宣言後は暇さえあれば引っ越しについてこっそり(研究室外には内緒だからね)噂していたメンバー達も、どうせ半年しないと何のアナウンスも無いんだろうとだんだんあきらめムードになってきました。それでもメンバーは皆ボスが口を滑らせるようなきわどい質問をしたりして、情報収集に必死。そしてアナウンスの半年後にはおそらく東海岸の1カ所が一番可能性が高いということと、そして "I think I make a decision very soon."というボスのセリフまでたどり着き、いよいよかと盛り上がったのですが、この時には"I think"という表現がとても曲者とは予想もつかず、ましてvery soonがこの1年後を意味していたとは思いもよらないことでした。ちなみにこの最有力候補地は同じフィラデルフィア市にあり、自宅の引っ越しの必要が無く、研究室の誰もがここに決まれば最高と考えているところでした。
結局この年の終わりには可能性の薄かったもう一つの西海岸も完全に消え、おそらく市内のP大学もしかしたらもう一つの東海岸のJH大学というところまでたどり着きいたものの、すっきりしない年末年始を迎えたのでした。
春になり新たな動きが出てきました。ボスが自宅を数ブロック離れたところに買い換えることにしたのです。つまり他の街には引っ越ししないという決断であり、ほぼP大学に決めたということです。この頃になるとボスが引っ越すという噂があちらこちらから湧いてきて、度々他のラボの人たちからいつどこに引っ越すのと聞かれました。そのたびに「おれに聞くな」と答えていたのですが、ある日「P大学から聞いたんだけどいつ引っ越すの」と聞かれた時には返事に窮してしまいました。そしてついにP大学から正式な招聘の手紙が届き、後はP大学にはyes、JH大学にはnoの返事をするだけとなったのですが、いつまでたっても正式に引っ越し先をアナウンスしません。研究室のメンバー達の疑問に「JH大学の友達(ボスを引き抜こうとしている人物)に申し訳無くて、まだNoと言えないんだ」というなんとも情けない返事。それでもついに決意したようで、夏のある日オフィスのドアを閉め切って内緒の電話をかけて、いよいよアナウンスかと思いきや、その週末にJH大学に出かけ、そして自宅の売買を突然キャンセルし、と予想外の展開となってきました。
てっきりP大学に決まりと思いこんでいた研究室のメンバー達の混乱はすざまじく、Kristyは"He (Boss) is going mad!"と悪態をつき、Mariaはボスのオフィスで話し込んだ後目を真っ赤にして出てくるし、Carlosはvisa更新をほぼあきらめムードとなり、研究室から笑顔が激減してしまいました。最大の被害者はApril。テネシーからボーイフレンドがわざわざフィラデルフィアで職を見つけて出てきて、二人で住むアパートに1年契約を済ましたばかり。「ついこの間までボスは、アパートを借りるのでなく家を買ったほうが良いんじゃないって私に言っていたのに。」それでも望みはありました。ボスの子供が学年途中での引っ越しは絶対嫌だと言っていたことです。アメリカの新学期は9月開始。まさかこれから新しい家を探し、子供の新しい学校を探し、新学期を新しい街で迎えるのは時間的に不可能です。JH大学に引っ越すとしても来年なんじゃない?という希望的観測にすがるよりありません。
そして最初のアナウンスからほぼ1年半たった2003年8月の最後の平日、突然ボスがジェファーソン大学がん研究所の所長に呼び出されました。そして小一時間後、疲れた顔で戻ってきたボスがメンバー全員を招集しドアを閉め切って切り出しました。「今、所長とタフな交渉を終えて来た。とってもタフだったが最後に所長は、ぼくがJohns Hopkins へ引っ越すことについて同意してくれた。」と宣言。この瞬間、P大学というメンバー達の望みは完全に消え去り、BaltimoreというPhiladelphiaより治安の悪い(?)ところへの引っ越しが正式に決定したのでした。
上にも書きましたが、ボスの子供の学校が重要ポイントだったはず。ところがどっこい、次の週、つまり9月の第1週目をなんとボスはBaltimore郊外のアパートで迎えていたのです。そうです、ボスはちゃっかり仮の住まいと子供の学校の手配を済ませていたのです。そしてボスの子供は希望通り学年途中に転校することなく新学期を迎えたのでした。にもかかわらず研究室のメンバーには最後まで正式な引っ越し先を伝えず、内緒にしていたのです。ここでメンバー達のボスに対する不信感は増すばかり。それだけではありません。このボスの子供の一足先の引っ越しがこれから大きな問題となっていくのです。 つづく