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責任者不在 登場人物はこちらを参照
Baltimoreへの引っ越しの最大の理由、それはボスの奥さんのポジションです。ボスは夫婦揃って研究者です。しかし研究者夫婦が揃って満足のいくポジションを得られることはアメリカでもさほど多く無く、どちらかが妥協せざるを得ないのが現実です。例えば研究室を去って主婦となったJeannineが典型的な例です。ボスの奥さんも非常に優秀な研究者でありながらボスの引っ越しに付き合いフィラデルフィアにやってきたため、研究所内のサービス部門の中の地位に甘んじていました。そこで今回の引っ越しでボスが行き先に求めていた条件は奥さんにも独立した研究室を与えるということでした。交渉が長引いたのもここを粘りに粘ったからで、ようやくP大学がその約束をしたものの、条件がかなり厳しく、そんな時Johns Hopkinsがかなり良い条件を提示したのが最大の決め手でした。
さて、引っ越し先宣言の翌週からボスはほとんどBaltimoreに行ったっきりです。これはボスの子供が新学期をBaltimoreで迎えたからで、比較的時間の自由が利くボスが基本的にBaltimoreにいて子供の世話をして奥さんはPhiladelphia、そして平日のうち1日ほど入れ替わるというのがそれからのパターンとなりました。つまりボスは週1回しか研究室に来ないということです。これは想像以上にストレスでした。もちろん普段はボスは留守で好き勝手出来る方が有り難いのですが(もっともボスがいても好き勝手ですが)、引っ越しを控えてはボスがいないと困ることが多々あります。ひらぴーの場合はVisaの更新時期に引っ越しが重なり、非常に複雑なケースとして苦労しました。CarlosはVisa変更をあきらめ帰国することに(これについては後述)。学生達は引っ越し後の身分やどちらの学校で学位を得るかなど、Aprilは政府からの研究費の移行に、Mariaは引っ越し先でのポジション(これについても後述)のことやらVisaのことやら、全員がボスと相談しなくてはならないことが山積しているのに肝心のボスがほとんどいない。これは大問題です。正直言って、引っ越し先の決断が遅かったのもストレスでしたが、その後の先が見えない状態の方がさらに大きなストレスで、研究室はイライラがつのっている状態でした。もちろんメンバー同士仲が良いのは変わりませんが、雑談の内容がボスの悪口ばかりであまり良い雰囲気ではありません。たまりかねてある日ボスに、「あんたがあまりにいないから研究室の雰囲気が悪くなってきている。これから出来るだけこっちにいてくれ」と言ったものの、「ここの研究室はメンバーがみんな良くやってくれるので僕がいなくてもなんとかなるけど、奥さんの所はそうじゃないから。それに僕が向こうにいると引っ越し受け入れの準備があれこれ出来てそれも大切なんだ。」と、あらためる気配はありません。ボス不在による意志疎通のため議論はいつも堂々巡り、ある日ついにラボミーティングでひらぴーがきれたら(アメリカに来て初めてきれた)、ボスもさすがに反省したようでそれからは大分マシなり、ラボにはいないものの頻回に電話で話をし、こちらの要求には出来るだけ早く答えるようになりました。
そんな状態でも誰も移籍を口にしないのは、日頃からボスがいい人で、かつメンバーが良く、研究室の居心地がとても良いから。引っ越しともなればストレスは大なり小なりあるけど、それを差し引いても魅力的な研究室だということをみんな実感しているからなのです。学生のMelanieはジェファーソン大学内の別の研究室で現在の研究を続けることも可能でしたが、一緒に引っ越すことにしました。「だって、表面上は仲良くやって内心いがみ合っている研究室に行ったらもっと不幸でしょう。ここはメンバーみんなが本当に仲が良くて、自分のことより他のメンバーを助けることを優先する人ばかり。移籍は出来ないわ。」実際に引っ越しにあたり当然ながらいろいろな要求をボスに突きつけるのですが、この時も示し合わせたわけでもないのに自分の要求より他人の分を要求してばかりです。
さて話を戻しますが、引っ越し先決定の少し前にMariaに転機がやってきました。Madrid市内にあるMariaが生まれた病院から自分の研究室をもらえるという提示を受けたのです。しかし研究者の世界ではスペインの研究施設はほとんど話題になることはありません。スペイン政府は研究予算をほとんど持たず、Mariaのところも例外でなく、年間予算は雀の涙ほどで顕微鏡を1つ買ったらそれでほとんどお終いだそうです。それでもMariaにとっては母国でのチャンスです。家族の絆の強いラテン系としては「外国暮らし5年間は十分で、これ以上家族と遠く離れたアメリカなんかでは暮らせない」だそうです。それを言ったらひらぴーなんて地球の裏側じゃない。さて、予算の乏しい母国に帰りつつ業績も上げていきたいMariaのアイデアは、基本的にスペインにいて数ヶ月をアメリカで研究するというものです。そのため、引っ越し先はMariaにとって人一倍重要な問題でした。そしてボスの決定はPart TimeのAssistant Professorの地位がMariaに約束されていたP大学でなく、Jophns Hopkins。Hopkinsの出したMariaのポジションはFull TimeのAssistant Professorで、どこからどうみてもHopkinsの条件の方が有り難いのですが、スペインに帰りたいけどアメリカに研究拠点を残しておきたいMariaとしては、どうしてもPart Timeでなくてはなりません。そのためMariaの交渉は難航し、ついに結論を待たないまま11月にCarlosを連れてスペインに帰国となりました。(その2ヶ月後にようやくPart Time Assistant Professorの約束をHopkinsよりとりつけました。)この二人の帰国は大打撃でした。単に人手が減っただけでなく、研究室全員の信頼を集めているMariaと"Mouse Master"の別称で呼ばれ動物の管理を完璧以上にこなしているCarlos抜きでどうやって引っ越ししろと言うのか、という状態です。
さらに学生の地位は引っ越し直前まで不透明。MelanieとKristyはジェファーソン大学に籍を残したまま学位を目指すことになりましたが、その場合のHopkinsでの身分や給料、健康保険などわからないことだらけ。AaronはどうやらHopkinsの学生となれそうですが、単位の認定などやはり不透明。そしてボスは研究室にいない。こういう時にはボスがHopkinsにいる方が有り難く、すぐに向こうの担当者と話をつけようとしているらしいのですが、新しい場所で勝手が良く分からないためボスも思うようにいかずにストレスを抱えているようです。ジェファーソン大学は規模が小さい分小回りが利いて、いろんな部署の人たちと個人的な良い関係さえ築いてさえいれば電話一本でほとんど用が足りてしまうところなのですが、大きな大学であるHopkinsではほとんど全ての電話は留守電にメッセージを入れてアポイントメントを取るという、信じがたい非効率的(こちらの視点から見れば)なところで、ジェファーソン大学では数分で済むことに数日かかることも希ではありません。そんなこともあり、引っ越し準備は遅々として進まず、ボスをはじめみんなはストレスを抱え込み、訳のわからないまま引っ越し日が近づくのでした。
そして12月最初の平日が引っ越し日。幸か不幸かこの日は各自の都合によりフィラデルフィア組とボルチモア組とメンバーが二手に分かれてしまいました。そのため結局フィラデルフィア組が荷物を送りだし、ボルチモア組が受け取る手筈に。基本的には業者が運んでくれるので、フィラデルフィア組の仕事は冷凍庫の中身をドライアイスと一緒に発泡スチロールに詰め込むこと。ボルチモア組はそれを冷凍庫に戻すこと。実際には荷の到着が遅かったので、一部は箱ごと大学の巨大冷凍庫に放り込んで一段落となったらしい。どうやら物は移ったものの、多くのメンバーが問題未解決のままで、本当に大丈夫?という新研究室の船出でした。
ひらぴーの問題:研究室の引っ越し約1月後に解決。
Mariaの問題:研究室の引っ越し約1.5月後に解決。後はビザを取得して来るだけ(って未だにかなりやっかいな問題)。
Aprilの問題:研究室の引っ越し約1.5月後に解決。しかし、しばらくはフィラデルフィアからボルチモア通勤をすることに。
Melanieの問題:研究室の引っ越し約1月後に解決。
Kristyの問題:研究室の引っ越し約1月後に解決。
Aaronの問題:研究室の引っ越し約1.5月後に解決。Hopkinsに籍が移ると大学院修了に1年半余分に期間がかかることが判明しジェファーソン大学に籍を残し(つまりMelanieやKristyと同じ条件となる)学位を目指すことに。
研究室の問題:未だに山積み。