「福留 孝介」メモ


福留 孝介 (21歳 PL学園−日本生命−98年ドラフト1位)


福留の生まれは鹿児島県曾於郡大崎町。
一見ドラゴンズに縁もゆかりのない町 であるが、かつてドラゴンズがキャンプを張っていた串間(宮崎県)に比較的近い。
福留は大崎小学校3年からソフトボールを始め、6年には全国大会に出場。

    中学時代は「鹿屋ビッグベアーズ」に所属。当時から右投左打のショート。
その頃福留は1人の選手にあこがれた。
ドラゴンズの立浪選手だった。父親の景文さんに連れられ、串間キャンプで立浪 のプレーを見ているうちに自身にだぶらせた。
右投左打の遊撃手。
福留も立浪も共通点がある。
「立浪のような選手になりたい」という憧れの気持ちと、「プロに入るためには注目 される学校に行きたい」という気持ちが、鹿児島からはるばる遠い大阪にある PL学園進学を決意させた。

PL学園では1年夏に早くも5番。そして1年秋からは4番を打ち、2年春のセンバツ では打撃の調子は今一つであったが、宇高(近畿大−近鉄1位指名)、サブロー (現ロッテ)らとともにベスト4進出に貢献した。

2年夏は準々決勝で近大付にサヨナラ負けして甲子園出場は逃した。
しかしその年の冬に豪州で行われた第1回アジアジュニア野球選手権大会では 高校全日本の4番を打ち、3ホーマーを放ち、日本の初代Vに貢献。

3年春のセンバツでは沢井(現ロッテ)擁する銚子商と初戦で激闘を演ずる。
福留、沢井とも期待通りの一発を放ったが、福留の一発は甲子園のセンターバック スクリーンに突き刺さる豪快な3ラン。
この段階でプロのスカウトを魅了してしまった。
結局、この試合は大激闘の末、PL学園は敗れてしまった。
私事であるがこの試合私はウォークマンでずっとラジオを聞いていた記憶がある。
途中までテレビ中継を見ていて、所用のため出かけたのですが、いい試合で すごく経過が気になってしまい、高校野球をラジオで聞くという滅多にしないことを してしまっていた。
そのくらい印象に残った試合であった。

そして最後の夏。
大阪大会では先輩・清原の5ホーマーの記録を破る7ホーマーという度肝を抜く 記録をひっさげて甲子園出場。
注目の甲子園初戦、北海道工戦では125メートル級の満塁&2ランホーマーを ライトスタンドに叩き込む。
この2本のホームランは、藤本投手の緩いボール(多分 カーブ)を打ったもので、このバッティング技術にプロのスカウトの絶賛の声が 次々と上がった。
チームは北海道工、城北(熊本)、日大藤沢(神奈川)を順調に破り、準々決勝 で智弁学園(奈良)と激突。
この試合、激しい打ち合いとなったが、9回表6−8とPLが2点リードされた1死 1塁の場面で福留に打席が回った。
しかしショートゴロ併殺打で試合終了。
福留はその瞬間をこのように振り返っている。

「その瞬間は悔しかったけど、フッと冷静になったとき「自分で終わってよかった」と 思えたんです。
もしあそこで自分が打っても、その後のバッターが打てなくて試合 が終わったら「福留が打ったのに」と言われることになる。
僕が打てなくて負けたのなら僕の責任なのだから、ずっと僕が背負っていけば いい。そんなふうに考えたんです。
  (「週刊ベースボール7月4日増刊号 
        第80回全国高等学校野球選手権大会予選展望号」 より)

夏の甲子園は4試合で15打数7安打7打点を記録、高校通算40ホーマーで 高校野球生活は終わった。
もちろんその後はプロからの激しい勧誘にあう。
ドラフトでは中日、巨人が希望球団であったが、近鉄、中日、日本ハム、巨人、 ロッテ、オリックス、ヤクルトの7球団の競合の末に近鉄が交渉権を獲得。
福留本人は近鉄との交渉の席についたが、両親にはドラフト後の記者会見に 臨む前に電話で「3年間社会人で頑張る」と告げるところは、高校生離れして るなとの感想を私は持っています。

結局、初心を貫き日本生命に入社。
いきなり全日本の合宿に参加。そして大リーグツインズとのオープン戦いでは ホームランを放ちモノの違いを見せつける。
アトランタ五輪にも今岡(現阪神)、井口(現ダイエー)らとともに内野を守り レギュラーとして銀メダル獲得に貢献、福留にとって順風な社会人1年目で あった。
しかし2年目、壁にぶつかる。
打順が6番から3番に上がり、チームは都市対抗 を制したが、福留本人は大会最多の10三振を記録。
全日本ではレギュラーからはずされたり、左投手の時は代打を送られたり 打撃フォームの改造がうまくいかず、厳しい屈辱の2年目であった。

そしてドラフト解禁と周りの注目を浴びる3年目。
1月早々のスポーツ紙に「福留中日1位決定」の文字が踊る。
そのとおりにドラゴンズは早々と福留のドラフト1位獲得を決めた。 春先は不調であったが、打撃フォームの改造が徐々に身を結び、4月下旬の 岡山大会では3試合連続ホームラン、都市対抗予選でも2ホーマー。
しかし都市対抗本戦では目だった活躍ができずチームも準々決勝でシダックス に敗れてしまう。

激しいマークにあいながら好不調を繰り返していた3年目であったが、夏を過ぎ ドラフト戦線も大づめ。
11月2日日本生命合宿所で「私、福留孝介は中日ドラゴンズを逆指名させて いただきたいと思います」と念願のドラゴンズ逆指名。
3年越しの相思相愛を叶えた。

しかし福留には社会人でやり残したことがあった。
それは社会人2年間で実現していない日本選手権の制覇である。
補強選手を使える都市対抗と違い、日本選手権は単独チームでの参加。※
優勝にも意味合いが違ってくる。
日本生命は順当に勝ち進み、福留も今までのうっぷんを晴らすがごとくホーム ランを連発し、決勝戦に進出。
決勝の相手はNTT関東。日生は関東先発の立石(98年日本ハムドラフト3位)の 145キロを超える速球に中盤苦しみぬき、福留のバットも火を吹かない。
終盤ホームラン攻勢で逆転するが、9回裏に救援の土井がつかまりサヨナラ負け。

こうして福留の社会人での3年間は幕を閉じた。
11月20日ドラフト会議で無事にドラゴンズの1位指名を受け契約。
そして、現在の活躍ぶりはみなさんがご存知の通りです。


    ※ 「都市対抗」と「日本選手権」
都市対抗」は予選で負けたチームから5人まで「補強選手」として選手を入れる ことができる。
岩瀬(NTT東海−中日ドラフト2位)が昨年の都市対抗では新日鉄名古屋の一員 として出場していたのがいい例です。
「日本選手権」は「補強選手」なしの純粋な1チームでの大会です



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