「概要」
岩村町は800年の歴史をもつ3万石の城下町として、今も城山に本丸をはじめとする
石塁を残し、往時の面影をとどめています。
城下には古い町並みや旧跡も保存され、情緒あふれる史跡観光の町です。
雄大な森林が町面積の66%を占め、町の中央部を南北に国道257号線、
東西に363号線と明知鉄道が走り、交通の要をなしています。
「位置」
岩村町は、岐阜県の東南端、恵那郡の南部に位置し、東は中津川市、西は山岡町、
南は上矢作町、北は恵那市に接し、周囲を山に囲まれた盆地で、ほぼ中央を南から北へ
木曽川水系の岩村川が貫流しています。
「過去のあゆみ」
(1)古代
根平、矢田洞などの地区から出土する遺跡によって、この地方には
縄文時代から人々が生活していたことがわかっている。
弥生時代の遺跡は少ないが、次の時代に入ると、飯羽間から富田にかけての丘陵地帯に
20数基の古墳が発見されている。
西暦645年の大化の改新によって恵那郡が置かれ、平安時代には郡内に六郷の名が見える。
現在の岩村を含む阿木川の一帯は、その中の安岐郡に属した。
その後、荘園の発達により平安末期に遠山荘が成立している。
(2)中世
鎌倉時代の初期に、遠山荘へ居を構えた遠山氏が恵那郡全域に勢力を広げた。
遠山氏の居城岩村城が現在の城山に築かれたのは、鎌倉時代の中頃といわれている。
戦国時代に入ってから岩村城は各武将抗争の的となり、元亀元年(1570)、遠山一族は
武田方の秋山晴近に城を奪われて滅びた。
その後の岩村城は天正3年(1575)織田方の手に落ち、森蘭丸、田丸具忠、
松平家乗、丹羽氏信などと城主を変え、明治4年の廃藩置県を迎えている。
(3)近世・近代
江戸時代の慶長6年に入部した松平家乗は城下町の整備を行い、
今日の岩村町の骨格を形成した。
岩村藩は、町分とよばれる城下の町人と、入分と呼ばれる周辺の農民によって
士族の生活を支えた消費都市となり、東濃地方の経済的中枢としての役割を果たした。
おもな産業は、農業・林業・養蚕・製紙などで幕末には焼き物も生産したが、
苦しい藩財政が続いた。
明治13年11月には岩村村会が開設され、明治22年6月に町制が施かれている。
大正時代には第一次世界大戦の不況打開策として製造を始めた寒天業が、
その後の地域経済を支えることになる。
(4)現代
第2次世界大戦終了後、岩村地方には未開墾地の入植・開拓が活発化して、
丘陵地のほとんどが開拓され農業が振興した。
昭和28年(1953)には町村合併促進法が公布され、翌29年9月に
本郷村(富田・飯羽間)と合併して新しい岩村町となり、今日に至っている。
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