島崎藤村[夜明け前]
木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
<中略>
馬籠は木曽11宿の一つで、この長い渓谷の尽きたところにある。
西よりする木曽路の最初の入り口にあたる。
そこは美濃境にも近い。
美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿を見つける。
街道の両側には一段ずつ石垣を築いてその上に民家を建てたようなところで、風雪をしのぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる。
宿場らしい高札の立つところを中心に、本陣、問屋、年寄、伝馬役、定歩行役、水役、七里役(飛脚)などより成る百軒ばかりの家々が主な部分で、まだそのほかに宿内の控えとなっている小名の家数を加えると60軒ばかりの民家を数える。
荒町、みつや、横手、中のかや、岩田、峠などの部落がそれだ。
そこの宿はずれでは狸の膏薬を売る。
名物栗こわめしの看板を軒に掛けて、従来の客を持つ御休処もある。
山の中とは言いながら、広い空は恵那山のふもとの方にひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。
なんとなく西の空気も通って来るようなところだ。
<中略>
古い歴史のある御坂越をも、ここから恵那山脈の方に望むことができる。
大宝の昔に初めて開かれた木曽路とは、実はその御坂を越えたものであるという。
その御坂越から幾つかの谷を隔てた恵那山のすその方には、霧が原の高原もひらけていて、そこにはまだ古代の牧場の跡が遠くかすかに光っている。
<後略>
本文より抜粋