上切獅子舞保存会、平成11年春の公演
平成11年4月25日 於:上切集会所にて
「獅子頭」
「悪魔払い」
名前の通り、「悪魔」を払う為踊られる。
一人が獅子頭を舞う一人立てと、もう一人が胴に入る二人立てがあり、笛、大小の太鼓などではやすのが普通の獅子舞で、東山時代に大陸から伝わったとされている。
岩村方面には戦国時代=元亀、元正の時代に三河方面より入って来たようであり、農村芸能として武士と農民のひとつの交流方策として続けられたようである。
最近では、昭和3年11月の御大典の折り盛大に公演され、その時の記念写真が「岩村町民俗資料館」及び上切地区の「津島神社」に掲げられている。
「忠臣蔵七段目」
ご存知「忠臣蔵七段目」、お軽の役を獅子が演じます。
その時、既に寺坂平衛門の妹お軽は早野勘平に嫁いでおりますが、経済事情の為「廓一力」へ身売りし家計を助けておりました。
赤穂藩家老の大石内蔵助良雄(芝居では由良之助)は主君の仇討ちを考えていたが、吉良藩に油断を与える為妻子と離別し京都の「廓一力」にて芸者遊びなどをして本意を悟られないようにしていた。
大石の息子、大石主税良金(当時16歳)は父親へ現状を伝える書状を持参する連絡係として「廓一力」に出入りしていた。
ある時、内蔵助がその書状を読んでいるのを、たまたまお軽が見て内容を悟り本意を知ってしまうのです。
一方、大石もその事に気付き、他に知られない為お軽を「一力」から請け出す算段を始めるのです。
お軽の実兄、平衛門は赤穂藩では足軽職であった為、大石は平衛門を義士の仲間に入れていなかった。
ある日、平衛門が妹のお軽とたまたま話しているうち、大石の本心をお軽が既に知っているのに気付き、廓から請け出したあと主君の仇討ち計画を敵の吉良藩に密告される心配の為お軽が処分されるのではないかとお互いに心配するが、お軽としてはもし本当にそんなことになるのなら実兄の手に掛かったほうがましだと言い出す。
二人の合意の上、それでは平衛門がお軽を切ろうとするのを陰で聞いていた大石は、平衛門の大石に対する忠誠心を理解し、またお軽も安全な場所へ預けることとした。
晴れて平衛門は赤穂浪士47士の一員と認められ、立派に討ち入りに参加したのです。
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